非日常
「ご利用ありがとうございますー。お帰りなさいませー」
改札を足早に抜け、帰路を急ぐ世間のお父さんたちに窓口から挨拶をする。これが僕の日課だ。もうこの駅に勤めて半年以上が経った。
「すみません」
「はい、どうしました?」
「この切符で改札通れなかったんだけど」
キャリーバッグを引いた白髪混じりの男性が水色の長距離切符を差し出す。
「ちょっと拝見しますね」
切符を受け取り確認する。特に問題は見当たらない。
「大丈夫ですね。もう切符はご不要ですか?」
「あぁ、いいよ」
「かしこまりました。どうぞお通りください」
「どうも」
「ご利用ありがとうございましたー」
足早に立ち去る男性にも挨拶をする。聞こえているかどうかは分からない。
世の中は忙しなく移り変わり、そして人々も忙しなく動いている。きちんと挨拶を交わすことなどなかなかない。皆自分のことで精一杯なんだ。――僕もまた然り。
幼い頃の夢を追いかけた僕は、大学を卒業してこの業界に飛び込んだ。
大学と言ってもそう大した所でもなく、ただ自分の勉強したい事だけ勉強し、あとは適当にやった。大学に限ったことではない。小中高大、どこでも目立つ存在ではなく、成績も特筆する点はなし、部活動も委員会もしておらず、ただそこに存在していただけのようなものだ。
そんな特に取り柄もなく、人間関係も得意ではない僕がこうして夢にまで見た職に就くことができたのは運のお陰だと言ってもいいかもしれない。
仕事を始めると、これまでにない体力勝負、お客様からのクレーム対応や難しい要望……精神的にも辛いときもある。
それでも、鉄道が好きだから続けられる。まだ夢への第一歩でまだ先があるから続けられる。
……とは言え、ほぼ毎日同じような風景を見て、同じように仕事をこなしているという面もある。プライベートなんて言うまでもない。職場とアパートの往復、興味もないテレビを眺め布団に入る。
平々凡々な23年目となりつつある。正確には平々凡々な23年間、か……。
いや、大学の頃、一時期だけ平々凡々ではない時期があった。その時は、毎日が楽しく、こんなに幸せな日々があってもよいのかと思ったほどだ。
どんなことにも終わりはやってくる。例外などない。
そんな時間も儚く崩れてしまった。
平凡な日常に退屈を感じ、非日常を期待しつつも、非日常が起きて再び何かが壊れるんじゃないか、そんな漠然とした恐怖が僕の中に渦巻いている。壊れるくらいならこのまま退屈でもいいか、なんて。
帰宅ラッシュの終わる頃、僕は休憩を済ませてゴミ袋を片手にホームへ降りた。掃除は担当ではないが、常に駅を綺麗に保つには必要だろうと勝手にはじめ、今ではこれも日課になった。帰宅ラッシュ後にはゴミが散乱することが多々あるのだ。人が多いのも原因だが、酔っ払いも大きな原因だ。
酔っぱらいは駅員にとって頭痛の種になることはままある。ゴミも勿論だが、吐いたり、救急搬送、はたまたお客様トラブルやクレーマー、時には危険な事故にもなりかねない。仕事終わりの飲みから帰る時間帯にホームに降りることでトラブルを未然に防ごうって意味合いも兼ねてだ。
ゴミを拾っていると人の少なくなったホームで揉めているような二人を遠くに見つけた。
「おじさんと一杯付き合ってくれよー」
「ちょっと、やめてっ……‼」
女性が嫌悪の声をあげる。周囲の客はその様子を見てはいるものの、誰一人として止めに入る気配もない。皆面倒事は御免だと思っているのだろう。
自販機で冷たい水と温かいお茶を買い、駆け足でその二人の元へ行く。
高校生くらいの女子学生にスーツ姿の男が絡んでいるようだ。男は明らかに酔っている。スーツの襟に弁護士のバッチが刺さっていることに気付いた。
二人の間に割って入る。
「お客様、失礼ですが、嫌がる女性に無理強いするのは大人の男性としていかがなものでしょうか」
「うるせぇ‼ 無関係な人間が入ってくんじゃねぇ‼」
典型的な酔っ払いの反応だ。こういう人への対応は得意ではない。
「お客様、弁護士の方ですね?」
「な、なんでそれを……」
「弱者の味方を名乗る方がこんなことをしてもいいんでしょうか。恐らくですが、未成年への強制わいせつ、未成年飲酒あたりに触れかねませんよね。こんな様子が世間一般に晒されるとなると……」
「く……っ」
買っておいた冷水を渡す。
「少し酔いが回りすぎですよ。これで醒ましてください」
出来る限り丁寧な口調で諭すように話す。下手に逆撫でするよりもこの方がいいだろう。
「……けっ」
男は水を奪うように受け取ると逃げるようにホームを後にする。
「お嬢さん、怪我はない?」
この時初めて女の子をきちんと見た。
ほのかに茶色がかった長めの髪。顔立ちは色気こそないが、柔らかく美しい。いや、可愛らしいという言葉が正確かもしれない。
「だ、大丈夫……」
怖かったんだろう。返事をする声が震えている。
「気付くのが遅くなって申し訳ない。もう大丈夫」
女の子はうん、と頷いた。
「今日も寒いね。風邪引かないようにこれ飲んで温まって」
さっき買っておいた温かいお茶を手渡す。彼女は少しだけ落ち着いたのか、僕と目を合わせて少し笑顔を見せてくれた気がした。その笑顔に胸の鼓動が一瞬早くなった。
「気を付けて帰ってね」
再び、うん、と頷くのを見て僕は少し安心した。仕事に戻るため、彼女に背を向ける。
「……ありがと」
後ろから躊躇いがちな声がした。僕は半身だけ振り返りこう返した。
「どういたしまして」
彼女を乗せた電車が駅を出発していく。また絡まれないだろうか、と少し気がかりだが、大丈夫だろうと掃除を続ける。
彼女が絡まれていたあたりのゴミを拾っていると、輝く物を見つけた。
「なんだ……?」
見たところ、ペンダントのようだった。紐の部分が切れている。もしかして……と思った。とりあえず、落とし物として届けておくことにした。
そして、この日もいつもと同じように夜が更けていった。
だが、この日常から止まっていた僕の、そして、僕らの時計の針は回り始める。




