落とし物
鉄道マンの朝は早い。始発の電車に合わせ、始業する。特に駅を開ける早番の駅員は責任重大だ。
いつだったか、どこぞの地下鉄で駅員が寝坊したために駅が開いてなかった、なんて一大ニュースになったことがある。こうなってはどうなるか分からない。
朝4時。仮眠を終えた僕は仮眠室を後にし、休憩室へと向かう。休憩室に入ると、ジャージ姿の男性が席でマグカップ片手に食パンを頬張っていた。
「おはようございます」
男性は僕に気付くとマグカップを机に置いて、挨拶代わりに片手を振った。
彼の名前は市瀬 和真。同じ駅に勤める同僚であり、同級生であり先輩社員。僕は大卒で入社したが、彼は高卒で入社した。同い年だが、駅員5年目のベテランだ。
「まだ始業まで時間はあるし、そんなに急いで食べなくてもいいんじゃないですか?」
口の中に残った物をコーヒーで流し込むと、と人差し指を左右に振りながら「チッチッチ」と僕の言葉を否定した。
「分かってないな。時間は有限だ、有効活用しないと‼」
一理ある。
僕は食パンをトースターに突っ込み、インスタントのコーヒーをマグカップに入れて彼の向かいに腰かけた。
「飯を食ったら、体ほぐしてランニング‼ お前も行くか?」
「勘弁してください」
ランニングのためには朝食も急がなくてはならないらしい。朝からそんな元気がどこから出てくるのか。不思議でたまらない。
「というか、同い年なんだから、人がいなけりゃ敬語はやめようぜ」
いつも言ってるだろ、と少しうんざりとした顔をする。
「そうは言っても先輩ですし……」
「こまけぇこたぁいーんだよ」
普段からタメ口で話していると、他の社員の前でも出てしまいそうで怖い。そういつも言うのだが……。
「ったく、頭が固いとモテねぇぞ」
「反論の余地がない……」
トースターから芳ばしい香りが鼻をくすぐる。チン‼という音と共に狐色のパンが飛び出した。冷蔵庫からバターを取り出し、パンに塗る。朝食の定番だ。
「来週の火曜は冷え込むらしいぞ」
「そうなんです?」
僕はテレビのリモコンを取り、天気予報にチャンネルを合わせる。週間予報では火曜の欄に雪だるまが笑っていた。寒気が流れ込むらしい。
この地域で雪が積もることは滅多にない。年に一度、よくて二回だ。
「その日、陽斗の出勤だろ?」
「そうだったと思います」
彼はニヤリと口角を上げる。
「俺は休みだなぁ‼ やったぜ‼」
それが言いたかっただけなのか……。とは言うものの、雪の日の駅務は少しばかり大変だ。普段、車で出勤している人が道路の凍結を恐れて電車で出勤しようとする。その上、雪で電車のダイヤが乱れたりしたら地獄になる。
「俺ぁ二度と雪の日に駅務したかねぇなぁ……。まぁ、大変だろうが頑張れよ」
大袈裟な笑い声をあげながら僕の肩を数回叩き、空になった食器を下げに席を立った。力の加減を知らないのか大分強く、思わず肩を擦りながらその背中を眺める。
「いつも言ってるが、何事も大変なことを経験するから良いことも起きるんだ」
雪でダイヤが乱れに乱れた日を経験したという先輩が口にすると、その言葉の重みが増す。
「っしゃ、ちょっくら走ってくるわ」
片付けを終えた彼が僕に向けて左手を挙げる。いってらっしゃい、とその背中を見送った。
僕の一日は始まったばかりだ。
朝一の駅の始業を終えた僕は一息ついていた。これから始まる通勤通学ラッシュに備えてのトイレ休憩。ラッシュ時間帯はトイレに行く暇もない。
この時間を乗りきれば今日の業務は終わりだ。1日ぶりにアパートへ帰れる。
駅員の勤務形態は大まかに分けて2通りある。朝9時に出勤し、駅で一泊し、翌日9時に退勤する泊まり勤務。そして、普通の会社員と同じように朝出勤し、同日夕方に退勤する日勤だ。泊まり勤務だった僕は9時に退勤して、あとの半日は休み、ということだ。最高じゃないか。
「さて、あと2,3時間頑張って帰りますか」
自分に言い聞かせるように呟いた。
「おはようございます。いってらっしゃいませー」
いつものように窓口から顔を覗かせ、改札を抜ける社会人や学生に声をかける。いつもなら気にしないのだが、通り抜けていくお客様達の顔に目が行く。
「……」
その理由は恐らく……いや、そんなことはない、気のせいだ。
「あの、すみません」
ハッとして声の主に慌ててピントを合わせる。
「あっ」
「あ……」
お互いに相手の顔を見て、小さく声を出した。昨日のあの娘だった。
「えーっと、おはよう」
一瞬の沈黙が長く感じられ、気まずさから僕が先に口を開いた。
「おはようございますっ」
昨日のあの口数の少なかった彼女からは想像できないほど、明るく爽やかな笑顔だった。
「えっと、その、昨日はありがとうございました」
彼女は少しはにかみながら、お辞儀をする。釣られて、いやいや、そんな、なんて言いながら僕まで頭を下げてしまった。
「お茶、温かかったです」
ふふっ、と口許に手をあて、今度は柔らかな笑顔をこぼした。
「そっか、よかった」
彼女はあっ、そうだ、となにかを思い出したように手を叩いた。
「すみません、私、ペンダントを無くしてしまって……」
その言葉で昨日、あのあと拾ったものを思い出す。
「あー、もしかして……ちょっと待っててね」
「あっ、はい‼」
僕は落とし物の保管箱へ急いだ。泊まり明けで朝も早かったのに、なぜか身体が軽く感じれた。
「これかな?」
昨日のペンダントを掌にのせ、彼女へと差し出した。
「これです‼ 拾っておいてくれたんですか?」
彼女はペンダントを掌から両手で受け取り、大事そうに握りしめた。
「うん、君のいたところで拾ったんだ」
そっか、と小さく呟いていた。本当に大切なものなんだと容易に察しがついた。
「大切なものなんんだね」
「……はい」
彼女は笑顔のまま、しかし、少し寂しげな目をしていた。そんな彼女になんと声をかけていいかわからず、口を閉ざすしかなかった。
「二度も助けられてしまいました……本当にありがとうございます……‼」
再びお礼を言う彼女は、寂しげな目は気のせいだったかのように元の爽やかな笑顔に戻っていた。
「どういたしまして」
今日ははっきりと、彼女に面と向かってそう答えた。
「じゃあ、学校、行ってきます」
名も知らぬ女の子は、踵を返し背を向ける。
「うん、いってらっしゃい‼」
その言葉はきちんと彼女に届いたようだった。こちらに振り返って手を振り、僕もまた、自然と手を振っていた。
爽やかな朝の冷たい風が駅舎の中を通り抜けていった。




