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01 あたしのこと

※この物語はフィクションです。実在する人物・団体・組織とは一切関係がありません。

 

 夢を見た。

 心がポカポカして、涙が出そうなくらい、幸せな夢。

 大きくて頼りになるお父さんがいて、いつも笑顔の優しいお母さんがいて、あたしに甘々なお兄ちゃんがいて。そんな温かな家族に囲まれて、毎日が幸せでいっぱいな夢。

 嬉しくて、嬉しくて。あたしは緩みっぱなしの顔で、大好きな家族の顔を見上げて。

 ピタリと固まった。さっきまでの幸せが跡形もなく消えて、頭のなかが真っ白になる。

 なん、で……?

 見上げた家族の顔は、まるで靄がかかっているかのように霞んでいる。お父さんの顔が、お母さんの顔が、お兄ちゃんの顔が、見えない……。

 なんで?! だってさっきまでちゃんと……笑って、いっしょ、に…………?


「あ、れ……?」


 突然疑問が沸き起こった。本当に、笑ってた? 本当に、一緒にいた? お父さんは、お母さんは、お兄ちゃんは、…………どんな顔をしてた?

 寒くもないのに、背筋が凍る。頭の芯が、痺れる。心がスッと冷たくなる。

 わからない。お父さんの顔が、お母さんの顔が、お兄ちゃんの顔が。思い出せない。さっきまで一緒にいたのに。さっきまで見ていたのに。さっきまで覚えていたのに。

 なんで? どうして? さっきまでちゃんと……。


──覚えていた? 本当に?


 頭の中で、声がする。あたしはその声に頷いた。

 覚えてた。本当に。だってさっきまで見てたんだから。今はなんでか顔が見えないけど、目の前にほら…………っ?

 いつの間にか俯いてた顔を上げて、目の前にいる家族を見上げたはずなのに。なぜだかそこには誰もいなかった。

 お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも。誰もいない。何もない。


「なん、で……? っどうして……?」


 真っ白な空間に、あたし一人。どこまでも続く白に、体が震える。


──本当に、覚えていた? 本当に、そこにいた?


 頭の中の声が問う。

 いた。いたよ。さっきまで、一緒にいた。


──本当に? 本当に?


 繰り返されるそれに、あたしは頭を抱えて踞った。

 やめて。黙って。それ以上言わないで。頭が、いたい。

 頭がガンガンする。あたしはぎゅっと目を瞑って、頭を押さえた。だけど、頭の中の声は止めてくれない。


──本当に? 本当にいたの?


 しつこく聞いてくるその声。どうしてそこまで疑うのかと、痛む頭を押さえながら、ちらっと思った。


──だって。だってさ……。


 まるであたしの疑問に答えるように言うその声に、頭の中で警報がなる。その続きを聞いちゃだめだ。聞きたくない。聞いたらあたしは……。


──最初っから家族なんて、いないじゃない。


「っぁ…………」


──家族なんていないでしょう? ずっと一人だったじゃない。それなのにどうして? 家族がいるだなんて。毎日が幸せだなんて。夢を見ても、辛いだけでしょう?


「ぁ、う………………っ」


 聞きたくない、と耳を塞ぐあたしを嘲笑うかのように、頭の中に響く、あたしの声。

 聞きたくなかった。気付きたくなかった。忘れていたかった。

 せめて夢の中では、家族に囲まれていたかったんだ。

 いもしない、家族に。

 せめて夢の中では、幸せに包まれていたかった。

 ありもしない、幸せに。


「いやな、ゆめ……」


 弱々しく、掠れた声。涙で歪む天井を眺めて、あたしは小さく息を吐いた。

 泣きながら目が覚めるなんて、いつ以来だろう。しかも内容が内容だけに、恥ずかしさよりも自己嫌悪に陥る。

 家族、ね……。もうとっくに、割りきったつもりだったんだけどなぁ。

 だけど結局“つもり”だもんね。心の奥底では、未だ諦めきれずに求めていたんだね……。

 あたしに家族なんて、できるはずないのに。


「はぁ…………」


 体を起こせば、目の前に広がるのは自分に与えられた部屋。柔らかなクリーム色を基調とした家具が揃えられた、女の子らしい部屋。だけど温かみなんて一切ない、冷たい部屋。

 まるで、あたしを拒絶してるみたい……。

 そこまで考えて、つい苦笑する。

 そもそもあたしは、何に期待してるんだろう。

 産まれて間もないまま捨てられて。保護された児童養護施設では、法の目を掻い潜った施設長にいいように使われて。養子として引き取られたこの家でも、気配を消して生活して。

 家族がほしい、だなんて。家族という存在にすがろうとするなんて。


「バカみたいだ……」


 第一あたしは、生まれることすら望まれていなかったんだから。誰もが与えられる、名前という贈り物さえ与えられずに捨てられて。

 そんなあたしに家族なんて、最初っからできるわけがなかったんだ……。

 まだあたしが、自分の立場を知らなかった頃。数ヵ月だけいた年上の女の子に言われたことがあった。


『透夏ちゃん。透夏ちゃんはかわいそうだね』


 って。「どうして?」と首を傾げるあたしに、女の子はにこりと顔を歪めて言ったんだ。


『だって透夏ちゃんはいっしょー愛されないから。あのね、ふつーはみんな、生まれたら名前をもらうの。名前は愛なの。でも透夏ちゃんは名前、もらってないでしょ?』

『……? とうかのなまえは、とうかだよ?』

『それはしせつの人がつけたの。透夏ちゃんは、名前なしで捨てられたんだよ。だから透夏ちゃんは、愛がもらえないの。だって捨てられちゃったから』


 「だからかわいそうだね」そう言って笑った女の子の顔は、もう覚えていないけど、その時の会話は、今も鮮明に覚えてる。

 今になっては、あの女の子も複雑な家庭環境やらでグレていたんだろうなぁと受け流せるけど、当時は本気でへこんだ。言われた内容の半分も理解できなかったけど、「かわいそう」と言われて、自分は可哀想な子なんだと思った。

 だけどまあ、あの女の子が言っていたことも、あながち間違いでもないと思う。

 事実、あたしは“愛”を知らないのだから。

 あたしはへその緒が付いたまま捨てられたらしい。コンビニの袋に入れられて、駅の女子トイレの個室に捨てられたところを、丁度やって来た清掃のおばさんに発見されたとか。産みの親はそのまま走って逃げたらしいけど、あたしはそのおばさんのお陰で保護されることになった。

 それがいいことだったのかどうかは、今でもわからないけど……。

 とにかく、そんな赤子(あたし)が産みの親に名前を付けてもらっている訳もなくて。


『だから透夏ちゃんは、愛がもらえないの。だって捨てられちゃったから』


 生まれて初めて、親から贈られる名前(プレゼント)。生まれてきた魂を、この世に繋ぎ止める鎖。他の何者でもない一個体として明確にする(しるし)

 名前に関する概念や思想は様々あるけど、どれも共通して名前がとても大切なものであると言っている。


「あたしは……」


 誰かに必要とされることがあるのかな。

 父親は、知らない。母親には、産み捨てられた。名前をつける、という労力さえ惜しいように。

 あたしは望まれてこの世に誕生したわけじゃないんだ。

 そんなあたしが、誰かに必要とされることが、この先あるのかな? いや、ある意味では今までずっと必要とされてきたか。下の子達のお世話に、掃除、洗濯、料理。施設の評価向上。そして、世間からの支持を更に上げるための駒。

 この世に生まれてまだたったの十七年だけど。目まぐるしくて、だけどあたしにとって薄っぺらい人生。

 幼い頃はまだ幸せだった。何も分からないから、理解わかってないからこそ、あった幸せ。

 ひとつのベッドに四人で寝たり、ひとつのおかずをみんなで食べたり。服は全て上の子達のお下がりで、みんなお揃いの髪型。四六時中みんなといて、楽しかったし幸せだった。

 だけど小学校に通うようになって、文字通り外の世界を知って、そこで初めて疑問を持った。そして、今までの生活が異常だったことを知った。

 外に出たことで知った、世界、常識、物、事、価値観や考えは、あたしのこれまでの全てを否定するものだった。今までの生活は、環境は、幸せは、世間一般の常識から逸脱していて、まともじゃなかったんだ。

 “幸せ”が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。

 髪を伸ばせても、結ってもらっても、キレイな服を貰っても、嬉しかったのは最初の頃だけ。給食の時間に配られる、見たことのない料理をたくさん食べられることにワクワクしたのも、最初の頃だけ。

 世間を、常識を、外の世界を、知れば知るほど虚しくなる心。まるで胸の辺りに、小さな小さな冷たい小石が少しずつ貯まっていくように、ずっしりと蓄積されていく何か。それなのにどこか、ぽっかりと穴が空いてしまったような虚しさ。

 何もかも、信用できなかった。優しい言葉をかけてくれる“トモダチ”も、心配そうに声をかけてくる大人も。

 今まで信じてたものが、幸せが、全て偽物で偽りで。他人なんてなおのこと、信用できるはずがなかった。

 だからあたしは、勉強をした。空いている時間を全て使って勉強した。世の中の事を、常識を、社会の仕組みを、価値観や考えを。ありとあらゆる分野に手を伸ばして、たくさんの知識を、情報を、頭に詰め込んだ。

 全ては、生きるために。

 何も知らなければ、騙されるから。利用されるから。世の中は、平等じゃないから。幸せになりたかったら、動かなくちゃいけない。自分で掴みに行かなくちゃいけない。

 ただ助けてくれと叫んでも、どうにもならないんだ。なにもしないで救いの手を待っていても、現状は悪化するだけ。だから自分で、動かなくちゃいけないんだ。

 ……だけどあたしは、何もできなかった。

 見て、聞いて、感じて、勉強して。たくさんの知識と情報を詰め込んで、理解したのに。たどり着いた先には、救いなんて何もなかった。

 あったのは、無力な自分だけ。

 結局あたしは子どもで。保護されて、世話をされている身。生きていく力も、経済力も、頼る宛もない幼い身で、この小さな(せかい)を壊すことなんて、できるはずがなかった。

 いつか。いつかきっとここを出て、自分の足でしっかり立って、本当の幸せを掴むんだ、って。そう自分に言い聞かせて、ひたすら耐えるしかなかった。

 そんなあたしが施設を出ることになったのは、それから三年後の中学一年生の春だった。養子の話がきたんだ。

 相手は政治家で、子どもの為の活動を積極的に行っている人。どうしてもあたしが欲しいらしく、お金をたくさん寄付しよう、と言っていた。最初は渋っていた施設長も、お金の話になったとたん、手のひら返して頷いた。

 あたしは施設長の私欲のために売られたんだ。

 でもまぁ、この施設にいるよりはましだろう、と。もしかしたら本当の幸せを掴めるかもしれない、と思っていた。だけどそれは大間違いだった。

 養父があたしを養子にしたのも、私欲の為だったんだ。

 政治家の養父は、更に上に登り詰めるために、民間の支持率を上げることを考えた。そこであたしの登場だ。親のいない、可哀想な女の子を養子にすることで、民間の心を掴もうとしたのだ。

 だけど、孤児なら誰でもいいって訳じゃない。多少賢くて、おとなしく、従順な子だ。でないと、養子にして問題を起こされたら困るから。

 そこであたしが選ばれたんだ。

 その企みは、大成功。喜んだ養父は、ご褒美だ、と今まで一個上の義姉と同じ部屋だったのに、一人部屋を与えてくれた。その事に一番喜んだのはあたしじゃなくて、養母と義姉だったけど。

 二人とも、どこの誰とも知れぬあたしを家族に入れるのに大反対で、あたしは常に睨まれていた。そして二人は、あたしが義姉と同じ部屋だと、義姉に何かするんじゃないかと、常に疑っていたみたいだ。あたしとしては、彼女たちはどうでも良かったんだけどね。

 ただ、この息苦しい家の中で、ようやく息をつける空間を与えてもらえて、初めて養父に感謝した。

 一人部屋になってからと言うもの、あたしとこの一家の関わりは、ぐっと少なくなった。ご飯は、いつのまにか部屋の前に置かれているため、部屋で一人で食べているし、家にいるときは基本自分の部屋に籠っている。学校も、義姉と同じ私立に行かせてもらっているが、学年が違うし会うことはない。

 “家族”として迎えられたこの家で、疎まれ期待され、関わりを持つことなく息を潜めて生活し、ただただ同じことを機械的に繰り返す毎日。

 あたしは、なんのために……。

 幾度となく浮かんでくるそれに、小さく頭を振るとベッドから降りて机に向かった。そして使い込まれた辞書を手に取る。パラパラとページを捲り、開いたそのページは何度も目にしたもの。


 か-ぞく【家族】:夫婦の配偶関係や親子・兄弟などの血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団。社会構成の基本単位。(『広辞苑 第六版』より)


「血縁関係、ね……」


 分厚い辞書をばたんと閉じて、小さく息を吐き出す。

 家族ってなんだろう。そんな疑問から何度も辞書を引いてみたけど、無駄だった。納得のいく答えなんて書いていない。

 ふわふわ~っとした、曖昧な枠があるだけ。伸ばすのも形を変えるのも自由自在。とりあえずその枠の中に入ってればそれで良し。

 そもそも、世の中に溢れてる様々な事柄なんて、ほとんどがそんな感じだ。決まりだのなんだの言ってるけど、突き詰めてしまえば、曖昧で、不確かで。これ!といった確かな答えなんて在りもしない。

 それなのに答えを求めて。これが正しいのだと、安心したがる。自らの行動の正当性を立証したがる。


「……バカみたい」


 ほんと、何やってるんだろ。あたしは。あたしなんかが、家族について調べるなんて。無意味にも程があるよ。

 調べたって、答えが見つかったって、あたしに家族なんてないのに……。



 

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