第30話 別々に決まった順、一枚に並んだ名簿
日の上がりきらぬうちに、召し替えが来た。ゆうべの集まりから、夜がひとつ明けたきりだ。
「お召し替えの刻限にございます」
「摂政殿下は、渡りにてお待ちです」
短く頷いて、立った。
支度は、発つ前に決めた通りに運んだ。運ぶほうにも、こちらにも、選ぶ余地は残っていない。
そのあいだ、外の物音は届いてこなかった。届かないまま、支度は終わっていた。外の暗さは、まだ抜けていない。
渡りへ出る。ゆうべの道筋を、逆へ辿った。
辿る先の扉が、着くより前に開かれていった。開くまでの長さは、どの扉でも変わらない。
夫は、渡りの半ばに立っていた。立つ位置が、ゆうべと変わっていない。
「よく眠れたか」
「はい」
ふたりで、表へ歩いた。歩くうちに、口を使う用はない。
先導が、扉の前で振り返った。
「御着きは、前の列にございます」
「読み上げのうちは、お掛けのままにて」
「その後に、ご挨拶の回りがございます」
表の広間は、昨日通ったときと、様子を変えていた。
既に、連なりができていた。頭の向く先は、入る扉の方で、外れがない。
前へ出ている者ほど、身に着けているものが違う。織りの細かさが違い、留めているものの重さが違った。
違いは、前から後ろへ、段を追って落ちていく。落ちる途中に、跳ぶ所はない。
柱と柱のあいだに、旗が下がっていた。旗の色は、前へ出ている織りの色と揃っていた。旗の下に飾りの類はなく、要る所に要る物しかない。
ゆうべの面々は、上の段にあった。周りと変わらぬ隔たりで、その連なりの内に収まっている。
その後ろに、この国に仕える衆の一団がいた。さらに後ろへ、他所から招かれた客の一団があった。
後ろの一団は、前より詰めて据えてある。詰め方に、乱れは出ていない。
どの一団の内でも、前へ出る側と、後ろへ退く側とがあった。前と後ろとを分ける線は、一団ごとに変わらぬ引き方をしている。
客の一団でも、線の引き方は変わらなかった。他所の線を、この国の線と揃えて引いてある。
こちらの席は、前の列の、端に設けてあった。夫が主に近いほう、こちらがその隣だった。
着くより前から、席には写しが置いてあった。
薄い一綴じだった。綴じ目が新しく、括った紐に、括り直した跡はない。
端は白く、汚れも癖も、まだ乗っていない。
手に来る重さはない。来ない軽さで、そこに在った。
求めた覚えはない。求めるより前に、既に在った。
隣の席にも、その隣にも、変わらぬ写しがある。後ろの列には、置く台そのものがない。
写しのある席と、ない席とがあった。あるかないかが、既に連なりの通りである。
置かれない後ろに、そちらを見る顔はない。置かれた前にも、開いている顔はまだない。
扉の脇で、告げる声が上がった。
「王の、お出ましにございます」
主が入り、連なりが揃って身を折った。折る深さが、前と後ろとで違わない。
「どうぞ、お掛けを」
主が座に着き、連なりが上から次々に腰を下ろしていった。下ろす早さも、上からの通りで乱れがない。
読み上げが、前へ出た。
「これより、功の名簿を読み上げます」
「異端を平らげた日の、功でございます」
「まず、王家の御方々より」
声が、上から始まった。抑えも張りもない声で、上げ下げを付けずに字を辿っていく。
紙を開く。白さが、周りの古い木の色から浮いていた。
書いてあるのは、いま連なっている若い顔の、生まれるより前のことである。書かれた物のほうは、この式のために新しく作られていた。
中身は遠く、物は新しい。
移してあるのは、遠いものである。移した所に、古びは付いていない。
声は、耳に入れていない。目は、字の上を進んでいた。
声の追う順と、目の追う順とが、違わない。声が呼ぶより先に、目はそこを過ぎていた。
上に、王家の名があった。次いで、上級の家々の名が続く。
名の並びは、いま前に出ている並びと重なっていた。字の上と、目の前とが、別々に決まって、着いた所が違っていない。
家々の後に、仕える衆の名があった。仕えてきた長さによるのではない。出た家による。
分けているのは、あの日に何をしたかではなかった。家柄である。
名の載る者たちがここにいて、載らない者はここへ来られない。来られない者がどれほどいるかを、この紙は言わない。言う用がないからだ。
字の癖は、上から下まで変わらない。この一冊を書いたのは、ひとりだ。
家々の分が尽きて、他所の分に移った。
リューベックが、そこにあった。
協力した国として、載っている。
その下に、もう一つの功が続いていた。
海の向こうに、島がある。アルビオンといった。その島が、こちらの異端を助けに海を渡ろうとするのを、フラリンとその配下と、リューベックとが艦を連ねて、海の上で阻んだ、とある。
阻んだ、とだけある。押さえた側だけが、そこに連ねてあった。
正しく載っている。
リューベックが、異端や異教の亡命者を受け入れてきたことは、こういう紙に書かれる種類のことではない。書かれない種類のものは、書かれない。次の行へ移った。
行は、そこから下も揃っていた。字の大きさも、字と字の隔たりも、端まで変わらない。
紙を閉じる。声は、まだ下の方を読んでいた。読み終える所まで、目は待たない。
読み上げが終わり、連なりが、少し緩んだ。
読み上げに使われた紙は、その場に残されたままである。持ち帰る用は、告げられていない。
「御退出まで、その場にてお待ちを」
前の列を、挨拶が回りはじめる。回る順は、座の順のままで、外れていない。
若い男が、夫の前で足を止めた。背は高く、肩の線は細い。
「フィリベルトと申します」
「フリーラントの、王太子でございます」
「母の縁で、この式に連なっております」
フリーラントは、リューベックの隣にある国である。かつては、フラリンに属していた。
母君が、この王家の傍系にあたる。この場に来る血の由が、そこにあった。
夫が短く応じた。
「摂政である。隣どうし、よしなに」
「こちらこそ、お願い申し上げます」
「妃殿下にも、お目にかかれて何より」
こちらは、身を浅く折った。折る上に、句は要らない。
「船の路は、いかがでございましたか」
「はい。よい日和でした」
「それは、幸いなことでした」
「この後、またお目にかかります」
若い男は、それで礼を置いて、次の席へ移った。移り方に、留まる向きはない。
どこの国の、どういう立場の男か。それで足りていた。足りたものの先を、こちらは追わない。
次に来たのは、上の連なりの、年長の男だった。
「遠い路を、よくお越しになった」
「式の後も、どうぞごゆるりと」
句は儀礼の丈で尽き、それより伸びない。受ける側も、その丈で返していた。
回りは、上から下へ降りていく。降りきる前に、こちらの前は空いていた。
上の段の脇に、聖都からの客の座があった。教皇庁の者が、連なっている。
ある、というだけである。それより先へ、目は動かない。
ゆうべの面々は、上の段の内で、座を離れていない。周りと変わらぬ隔たりのまま、そこにいる。
主のところへ、挨拶が次々に着いては、離れていった。着く長さも、離れる長さも、前と後とで変わらない。
こちらの隣で、摂政が次の挨拶を受けている。受け方に、ゆうべと変わる所はない。
声の止んだ広間に、動く気配だけが続いている。
広間の連なりを、もう一度、前から後ろへ見た。
館から門への道で見たものが、ここにもある。役所の上と下で見たものが、ここにもある。組合の内と外で見たものが、ここにもあった。
どれも、中心に据えられた者と、周りに据えられた者とを持っていた。どちらも呼び名を一つにしながら、入れ替わる先を持たない。
別々に決まった順が、一枚の上で重なっていた。重なりに、足すものはない。引くものもない。
ここにあるのは、その原理の、桁の違う大きさだった。
大きさが変わっても、原理は変わらない。同じ原理が、ここでも動いている。
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