第26話 労いを受け取り、見られたと知らない
次の間で、呼ばれるのを待った。
支度が整うまで、との言い置きである。言い置きの分だけ、待ちは先へ延びた。
召しの声は、朝の内に来た。仔細は無く、日を措かず、とだけあった。
声を運んだ使いは、答えも待たずに去った。呼ばれ方に、公の堅さは無い。
短い文言の内に、急ぎの気味を帯びていた。急ぎの割に、着いてからの間は長い。
用向きは、道々でも告げられずに来た。当てのどれとも、決めずに歩いて来た。
次の間には、人の行き来が絶えない。行き来の足は、どれも軽く急いでいた。
隅のほうでは、荷の受け渡しが済んでいた。済んだ荷から、順に奥へ運ばれていた。
運び込みの手が、奥へ続いて消える。戻る手は、どれも空いて見えた。
待つ間、廊の側を人が過ぎてゆく。過ぎる足は、止まらずに流れていた。速さの様は、朝の城を映していた。
待ちの長さに、苦の混じりは無い。長さの分だけ、奥の手間は厚いらしい。
やがて奥から声が掛かった。掛かった声に、待ちの区切りが付く。
戸を引いたのは、内側の手である。開き方に、音の立つ所は無い。
通された先は、義父の居室である。
入るなり、薬の匂いが立ち込めている。込み方の深さに、日の浅さは無い。
部屋の造りは、存外に浅い。飾りの類も、目に付く所に少ない。
物の少なさは、片付けの後のようだった。片付いた分だけ、人の手が知れる。
義父は、褥の上で身を起こしていた。起こした背は、脇の支えを借りていない。
起き姿に、病の重さは載って見えない。聞いた話との間に、幅があった。幅の分は、良いほうへ外れていた。
髪は白いものが増え、後ろへ流してある。目の向きが、声より先に来ている。
声の張りに、細りの気味は無い。張りの分も、聞いた話と離れていた。
侍従がふたり、離れて控えている。ふたりの立ち処は、話の輪の外にあった。
褥の手前で歩みを止め、辞儀を置いた。止めた先は、教えられた通りの間合いである。
「陛下。お召しにより、参りました」
下げた頭の上を、返しの声が越えた。越え方に、遮りの強さは無い。
「家の内では、父と呼ぶがいい」
物言いは短い。あとへ、言い足しは続かない。
頭を戻すと、掌がこちらへ浅く返っていた。促しは、その動きだけで通じた。
「はい、父上」
「もっと近う。座を寄せさせるがいい」
言われた分だけ、座が褥の側へ動いた。動かしたのは、侍従の手である。
近さは、手の届く手前で止まる。止まる先も、言われる前に決めてあるらしい。
就いた座から、目の高さが浅く並んだ。高さの近さは、家の内の形をしていた。客をもてなす据えとは、寄せの近さが別だった。
「息災にしておるか、近ごろはどうだ」
「はい。お陰さまで、変わりなく過ごしております」
「父上こそ、お加減はいかがですか」
「見ての通りだ。今日は具合が良い」
言いようは軽い。軽さの分、こちらの言葉は要らずに済む。
加減の話は、深追いにならずに終わる。終わり方も、あちらが決めていた。
皿の果実が、手の届く所へ寄せられた。勧めは、身ぶりのほうが先に来た。受けの間も、狭められずにいた。
「甘いのが入っておる。まず食うていけ」
皿の上のものは、小さく切り分けてある。切り口の色は、まだ新しい。
ひと切れを受けて、口へ運んだ。甘みは薄く、あとを引かない。汁気も浅く、指先は汚れないで済んだ。
食べ終わりまで、話は待たれていた。急かしは、身ぶりにも載らない。
「例の案のこと、わしの耳にも入った」
本題は、果実のあとから来た。置き方に、身構えの気は無い。
「はい。先の評定にて、決まりました」
「臥せっておっても、話は入って来る」
「この耳は、まだまだ役に立つらしい」
言い終わりの調子が、わずかに上がった。上がりは、すぐに元の高さへ戻る。
「痛み入ります」
事実の外は、口に載せずに置いた。続きの向きは、向こうが決める。
細かい経緯までは、問われずに済んだ。やり取りは、短いままで進んでいた。
「あれは、そなたがひとりで組んだのか」
「はじまりの形を、引いたまでです」
「仕上げの手は、どうした」
「係りの方々に。のちに、手もとで検めました」
問いは短く、切れ目を挟まずに続く。聞く側の首が、区切りの度に浅く動く。
答えは、事実の丈で切って足りた。切り口を、向こうは咎めない。検めの中身まで、話は下りない。
果実の皿が、音を立てずに脇へ引かれた。引いたのは、控えの手である。
「なぜ、あれが通るとみておった」
言い換えのほうが、口を開くより早い。開きかけた口は、そのまま閉じて待った。
「やり方の話ではない。人の配置の話だ」
「どなたの取り分も、動かさずに済むからです」
首は、今度は動かないでいる。動きの代わりに、間のほうが据わった。
間の長さが、前の区切りより延びている。延びた分は、手を付けずに待った。
「昔からのやり方は、変え難いものでな」
「変えるのでは、ないのです」
「無いところへ、足すのです」
「足す、か」
言い添えの句を持ったまま、ひと呼吸ぶんの間を置いた。
問いのほうが、間の先に動いた。
「その形が立つのは、何年先のことか」
「二年では、まだ足りません」
夜具の上の手が、すこし動いて止まった。開きかけた指は、そこで留まっている。
指の留まりは、長くは続かない。ほどけた手は、夜具の上で薄く伸びた。
間が、前よりすこし長く据わった。長さの割に、重さは載って来ない。
続きの求めは、両の側から出ない。流れの尽きた先に、次の声が立った。
「わしも若い時分には、よう待たされた」
昔話は、そこで閉じた。どこで、とは言い足されない。語りの丈は、ひと言ぶんきりだった。
先を促す言葉は、口へ出さずに置く。閉じたあとの声は、はじめの軽さへ戻っている。
上体が、こちらへ浅く傾いた。傾きの分だけ、間合いが詰まる。
差し延べられた手が、こちらの手の甲に重なった。重なった手は、乾いて軽い。
握りには、力の入りが無い。乾きと軽さだけが、掌に伝わった。
「この国は、良い娘を迎えた」
句の調子は、前の話の高さに留まっていた。そのままの調子で、句が置かれて終わる。
手は、言い終わりと前後して離れた。離れたあとも、句は消えずにいる。
「もったいない、お言葉です、父上」
受けは、それより膨らませずに置いた。そこへ足す言葉は、持たずに済む。
「今日は長く引き止めたな。もう戻るがいい」
「はい。日を改めまして、また参ります」
「どうぞ、お体をお厭いくださいませ」
座を離れて立ち、下がりの礼を置いた。置いた礼に、言い添えは重ねない。
礼の間、声は後ろから掛からない。戸口までの歩みも、遮られないで済んだ。
戸を引き、外へ出た。次の間の人らは、来た時のままに動いている。過ぎ合う顔に、見知りは居ない。
動きの中を、来た道へ戻る。帰りの道に、待ちの間はもう無い。
*
「この国は、良い娘を迎えた」
句のあとへ、足される語は無い。
人がひとり減った分だけ、薬の匂いが、もとの濃さへ帰っていく。
戻った匂いは、朝からのものと違わない。
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