第22話 駒が入り用で、座は空いていた
寝所に近い側の部屋は、火の入りがいちばん早い。
今日も、入りは夕より先だった。灯を入れる順も、ここが先だった。
夕の口を過ぎると、外のほうが先に暗い。内の色は、そのぶん濃くなる。濃くなるほうへ、目は慣れていく。
窓の面には、外の冷たさが来ていた。立つ場所を選ばずとも、それと知れる。知れるだけで、部屋の内には及ばない。
昼間は、ここへ用が来ない。来ないぶん、夕からの間が長かった。長い間を、埋める決まりはない。
戸の外を通る者も、この刻限にはもういない。
灯の高さは、手もとが読めるだけに合わせてある。上げる用は、まだない。
クリスの用は、済んでいる。済ませた順も、いつもと変わらずに見えた。
空いた盆が、戸の脇に置いてあった。載せるものは、もう何もない。
片づけにかかった手は、途中で止まったなりでいる。止まりの先に、次の用は控えていない。
済めば長くはいない人だった。今日は、まだいる。
館のほうにも、急ぐ用がない。上がってくる足も、なかった。呼び出しの先触れも、今日は来ずに終わる。
下の階のざわめきは、この高さを越えない。越えないまま、夕の底へ沈んでいく。
手もとには、読みさしのものが一冊、伏せてあった。頁は、夕のうちから進んでいない。進まないまま、夕のほうが尽きていた。
進める気は、どこかで切れていた。切れた先は、放ってある。
クリスが口をひらいた。手のもとは、まだ片づけに戻らない。
「このあいだ、東へお供した日がありましたでしょう」
「ええ」
「お戻りのあと、お召し物をおたたみした日です」
たたむ手が、あの日はおそかった。おそさの中身は、あれきり出ていない。
その日の中身へは、たがいに寄らずにきた。寄らない決まりが、あるはずもない。寄らないまま、続きが来る。
「あのときから、考えていたことがあるんです」
「この国は、どうしてお妃を帝国からお迎えするんですか」
訊く声は、いつもの用のときと同じ高さだった。高さの変わらないまま、届く先だけが違う。
知らないところを、そのままに訊く。飾りも、遠回りもない。訊かれた側に、遠回りの用もない。
答える先は、決まりの側にある。決まりなら、教わってきていた。
「この国の縁組は、家の格で決まるの」
「上の家からお妃を迎えるのが、筋とされているの」
口に上るのは、教わったままの言い回しだった。手を加える先が、そもそもない。
クリスの目が、こちらへ据わった。聞く構えだった。
説く回りは、こちらだった。ふだんとは、逆になる。
「この国のなかの、上のお家からでは」
「内から入れれば、その家が上がるの」
「上がる、というと」
「妃の実家になるんだもの」
短く切って、渡した。ひと息に説く言い方は、選ばずにおく。渡すそばから、顔のほうへ届いていく。
切れ目ごとに、クリスの頷きが入った。頷きの深さは、まちまちだった。
わからない顔は、わからないなりに前へ出る。引く色は、なさそうだった。
「それを、好まない向きがあるの」
誰が、までは言わない。言わずに済む話し方が、決まりの話にはあった。
「お好みにならないと、どうなさるんです」
「外から、もっと上の家を連れてくるの」
間があった。呑み込むまでの間である。
間のあいだも、クリスの目はこちらを離れない。離れないまま、瞬きが止んでいた。
「それで、帝国からお迎えを」
「格の高い家は、外にあるもの」
クリスの頷きは、浅かった。浅いなりに、先へ進む。
「では、どうして、いまだったんでしょう」
二つめも、国の側の問いだった。こちらへは、向いていない。
二つめの答えも、同じ棚から出るものだった。取り出すのに、手間が要らない。
「座が、空いていたのよ」
「夫には、妹がいるの」
「その方の縁組が、先に決まったの」
「ええ。それで、あとの順が、急がずに済んだの」
「正妃の座だけが、空いたままだったの」
決まりごとの並びを言う声で、そこまでを言った。当てる先は、足さずにおく。足す先を、向こうも訊いてこない。
クリスのほうが、しばらくだまった。だまった顔は、手もとのほうへ落ちていた。
「……そうだったんですか」
それきり、続きは来ない。来ない続きを、待たずにおいた。
言うことは、それで尽きた。口を閉じる。閉じた口の内に、余りはない。
答えは、二つとも、はじめから手の内にあった。輿入れの前に、ひととおり教わっている。
教わった順のままに、しまってあった。出す折が、これまでなかった。出さない不便も、なかった。
新しいものは、どこにもまじっていない。並べたことが、なかった。
並べると、ひと続きになった。要るのは家の高さで、あとは、空きに合うことだった。
高さなら、はじめから足りている。空きのほうは、先に出来ていた。どちらの支度も、こちらの外で済んだ。
どちらも、家と時期の話である。人の話は、どこにも挟まらない。
出ていなかった答えが、一つ出た。出た先で、勘定は合っている。合った勘定を、確かめ直す用はない。
合わせるのに、要ったものはない。動いたのは、並びだった。動いた音も、しない。
並べた順は、逆さにたどっても崩れない。
問いの立っていた場所は、それで埋まった。埋まったあとは、平らである。平らな上に、足すものは出ない。
伏せてあったものを、卓の奥へ押しやった。開く用は、今日はもうない。
手が戻る。手首だけが、途中で留まった。
持つものは、ない。ひと呼吸ぶん宙で保って、下りた。
下りた手は、そのまま動かずにいる。
外は、もう夜と呼べる暗さだった。
クリスが、立った。立ちぎわの間は、いつになく長い。
「お盆、そろそろ下げてまいりますね」
「ええ」
「明日のお支度は、ふだんの刻でいたしますね」
「火は、このままにしておきます」
「アリシアさまは、どうぞそのままで」
「ええ、ありがとう」
ふちに、指がひとまわり掛かり直る。掛かり直す先に、欠けは一つもない。
持ち上がるまでにも、ふだんより間が空いた。空きを埋める手も、なしで過ぎた。
胸もとまで上がりかけて、また低くなった。
盆は、両手で持ち上がった。いつもは、片手だった。
持ったまま、立つ場所がすぐに決まらない。決まらないなりに、体の向きだけが整っていった。
戸のほうへは、まだ向かない。
訳は、訊かずにおく。
窓の内側が、薄く曇っていた。曇りのなかから雫がひとつまとまって、下へすべり、桟へ着くまえに止まった。
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