第15話 双方に筋が通り、話は動かなかった
行き先は前の日に決めてあり、朝になっても考え直さなかった。
守る側は、黙っていれば日が過ぎていく。奪いに行く側は、説かなければ何も動かない。説く者は口数が多くなる。多く出せば、そのぶん綻びも出る。押すなら、そちらである。
近衛はもう車寄せに出ていた。衛兵が荷を運び入れ、縄を掛け直している。こちらの支度は、袖を通すだけで済んだ。外套は色の濃いものを選んだ。役所を訪ねるのに、明るい色は要らない。
外套を抱えたクリスが、戸口で待っていた。
「今日は、街へ出てちょうだい」
「はい」
「衛兵の詰所のあたりで、人の出入りを聞いてきて。誰が来て、どこへ行くのか」
「何を、お調べになりますか」
「聞いたままを、そのまま言えばよい」
クリスは襟の位置を直して、下がった。訊き返さない。
陸兵部、と告げた。
*
陸兵部の建物は、石段の幅が広かった。扉は二枚とも開けてある。人の出入りは絶えない。荷を負った者が石段を下り、入れ替わりに別の者が上っていく。
名を告げるより先に、内から人が出てきた。誰かに繋いでもらう手間がなかった。
通された部屋には、もう灯が入っていた。椅子の向きが直してある。卓には湯の支度まで整っていた。すでに注いであり、湯気がまっすぐ上がっていた。板には大きな図が留めてあった。海の線と、川の線と、そこへ打たれた小さな印。
昨日は、通されてから相手が来た。今日は、着く前から支度がしてあった。
これは格である、と受け取った。誰が来たのかを知って、役所はこう動く。
応対に出たのは、四十ほどの男だった。革の帯に緩みがなく、踵を揃えて止まり、止まってから頭を下げる。着ているものは文官のそれに近い。袖口も襟も、ほつれ一つなかった。立ち方だけが違っていた。
「陸兵部のランツァウと申します。こちらまでお越しになるとは、思いがけぬことでございます」
ランツァウ子爵である。前の日に会った相手と、格は変わらない。
「衛兵の指揮のことでございましょう」
切り出したのは、子爵のほうが先だった。
「戦の起こる日には、内務省へ人を借りに参ります。借りるには、話をつけねばなりません。話をつけるには、どこに何人いて、誰が使えるのかを、先に知っておらねばなりません。その日になってから調べ始めるようでは、間に合わぬのです」
「日ごろ手足を動かしていない者を、その日にだけ動かすことはできません。手が覚えておらぬからです。ですから平時より、陸の治安は我々が預かるのが筋である、と申し上げてまいりました」
言葉が途切れない。言い直しもしない。何度も口にしてきた者の喋り方だった。
上手いのではない。年月のあいだに、言い方から余計なものが落ちたのである。
話し終えて、子爵は湯の器へ指を掛けた。掛けただけで、口はつけなかった。
「協議が滞るのが困る、というお話ね」
「さようでございます」
「なら、協議のやり方を改めればよいのではないかしら。人を借りる先はそのままで、借り方だけを先に決めておく。指揮を移さずとも、戦の日には間に合うでしょう」
子爵は、少し黙った。黙ったのは、答えを探したからではない。
「その案は、幾度も出ております。決めておいたところで、決めた者のほうが先に代わります。役所の人は三年で入れ替わりますから、決め事のほうが古びます。古びたものを持ち出せば、また初めから話をつけ直すことになります」
「戦の起こった日に、初めから話をつけ直す。それで間に合うのでしたら、我々の言い立ては要らなくなります」
返ってきた。押した先が、へこんでいない。
「お疑いになるのは当然のことです。お目にかけます」
子爵が手を上げると、次の間から束が運ばれてきた。厚みがある。紐が古く、括り直した跡が幾重にも重なっていた。
紐を解いて、上から一枚ずつ広げていく。上のほうは端が黒く汚れていて、下へ行くほど白くなった。
どれも似た体裁の書面だった。こちらの求めがあり、あちらの返しがある。求めている中身は、初めの一枚から終いの一枚まで変わらない。返しの文言も変わらない。違うのは、右の端に入った日付だけである。
「私が入るより前のものもございます。十四年になります。求めて、断られ、また求めております。年ごとに文言は練り直しました。返ってくるものは、動きません」
断りの側の書面も、その束に綴じてあった。慣いとして内務省が担ってきた、という一行である。
なぜそれが欲しいのかは、どちらの紙にも出てこない。
求める側は戦の日の指揮のことだけを書き、断る側は慣いのことだけを書いている。読み合わせても、二つは触れ合わない。触れ合わないまま、十四年ぶんの日付が重なっていた。
「妃殿下がこちらへお越しになったと、あちらにも聞こえましょう。聞こえるだけで、我々には意味がございます」
訂正はしなかった。訂正すれば、部屋の温度が変わる。変えて得るものがない。
辞去のとき、子爵は戸口まで送ってきた。頭の下げ方は、迎えたときと変わらなかった。
*
クリスは、日の落ちたあとに戻ってきた。外套も脱がずに、そのまま話しはじめた。
「詰所の方が、月のはじめに商会を回っておいでだそうです。大きなところから順に。手ぶらでは行かれないと、酒屋の裏手の方が申しておりました」
「回る先は決まっておりまして、新しい店には行かれないそうです。行っても話にならないからと。年の暮れには、商会のほうからも詰所へ届け物があるそうです」
「両方から行き来しているのね」
「はい」
言い終えると、クリスは外套を掛けに下がった。
夫は、膳の並ぶころに戻った。手を洗って、そのまま席に着いた。
「今日は、陸兵部へ参りました」
訊かれる前に、こちらから言った。
「言い分が二つございまして、どちらもよく出来ております。突きどころを探しに参りましたが、見つかりませんでした。まだ、形になりません」
夫は頷いて、汁の椀を置いた。
「南の橋の普請が始まったそうだ」
「はい」
「年の内には終わらぬと言っていた。市の立つ日が動く。西の門のほうへ移すそうだ」
「遠くなりますね」
「暦の変わり目に、また戻すという話もある。決まってはおらぬ」
返事はいつもの調子だった。話はそこから、年の暮れの贈答の日取りへ移っていった。館の外のことばかりである。皿が空くと、夫のほうが先に席を立った。
束のことは、話に出さずにおいた。十四年ぶんの日付のことも、詰所と商会のことも。隠したのではない。人へ渡せるところまで、まだ揃っていないからである。
どちらの言い分にも、破れているところがない。片方だけが理に合わないのであれば、そこを押せばよかった。押した先に何もなかったのは、押しどころを外したからではない。二つとも、押されて壊れる作りになっていなかった。
二つが欲しているものは、一つところで重なっている。重なっているものは、どちらの書面にも載っていない。載せれば、なぜそれが要るのかを訊かれる。訊かれて答えられるものであれば、とうに上へ持ち上がって、とうに決まっていたはずである。十四年、書面のやり取りの高さで止まったままなのは、上げられないからだ。
ならば、訊き方が違っている。どちらへ渡すべきかを訊いている限り、答えの出るところへは行き着かない。二つとも欲しいものを取り上げずに済ませる置きどころが、どこかにあるのか。そこは、まだ見えない。
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