第11話 余所者の小娘だから、嘘が通った
昼を回ってすぐ、門前の騒ぎが館の内へ届いた。
東の間で、冬物の毛織を卓へ広げていた。夏のあいだ蔵に入れてあったものである。蔵から出したときの縄が、卓の脚に掛かったままである。虫の食った跡を端から検めて、厚いものは重ねずに置き、薄いものは畳んで脇へ寄せる。丈の足りないものが二枚。縁のほつれたものが三枚。北の織りで、故郷のものより目が詰んでいた。日は高く、床の照りが朝よりも白い。
クリスが入ってきて、卓の手前で止まった。息の継ぎ方が、いつもの取り次ぎと違っている。手には、階下から持ってきたままの布切れ。
「門のところに、お役人が」
「役人が」
「内務省の方と、式部省の方が。初めはお二方でしたが、今は」
そこで言葉を止めて、外のほうを見た。
「もう少し、増えております」
「いつから」
「昼の膳を下げてすぐかと」
毛織の端をもとへ戻して、手を離した。
内務省の者が館へ入っていることは、今朝のうちに聞いていた。館の回り方を改めたので、詳しく見に来る。用向きは、そう聞いている。蔵と厨の回りを歩き、数を書き付けて、帰る。門で人の増える用向きではない。
言い合いの声は、この部屋には入ってこない。
王宮の内を預かるのは式部省である。この館も、その内にある。式部省の者は、館の内にも詰めていた。断りのないまま人が入っていれば、式部省は咎める。咎められた側は、法に照らして退かない。役所の者が務めで出入りするのを妨げる条を、法は置いていない。
どちらが退いても、退いたほうにだけ形が残る。次に同じことが起きたとき、その形が持ち出される。だから、双方とも退けない。言い分を足せば、足したぶんだけ退けなくなる。
長引けば、話は上へ行く。上がった先に、館の女主人が詫びて済む場はない。
立ち上がって、戸口へ向かった。
「門へ出ます」
廊を抜けて、表へ出た。
門扉は開いたままである。石畳は昼のあいだに乾いていた。門柱の脇に、掃き寄せた落葉の山。その前に人が集まっていた。内務省の側が三人、式部省の側が四人。荷を提げた者。館の者。道を行きかけて足を止めた者。声を張っているのは若い者たちで、その後ろで、年かさの二人が向かい合っていた。
日は西へ回りはじめていた。
こちらに気づくと、集まりの端から順に動きが止まった。年かさの二人が、揃って辞儀をした。
「式部省、ケストナーと申します」
「内務省、シュタールでございます」
ケストナーのほうが、先にこちらを向いた。上背はない。袖の縁も、襟の合わせも、乱れはなかった。名乗りの声は、庭を隔てても届く高さに揃えてある。
「王宮の内は、当省の預かりにございます。この館も同じにございます。お断りのないまま人が入りますのは、慣いに合いません」
「務めで参りました者にございます。役所の者の出入りを妨げる条は、一つもございません」
シュタールの声は低かった。腰の高さで手を組み、そこから動かさない。組んだ指の先だけが、少し白い。
「慣いに従っていただくよう、これまでも申し上げて参りました」
「慣いは、条ではございません」
「お名を承ります。当省より、そちらへ改めて申し入れます」
「お伝えいただいて結構にございます」
言葉が一つ増えるたび、退く道が一つずつ塞がっていく。
どちらも声を荒げない。同じところを、言い方を変えて二度ずつ言っていた。若い者たちはもう黙っている。荷を提げた者は荷を提げたままで、下ろす場も帰る道もなかった。石畳に荷の角が触れて、また持ち直される。
アリシアは、二人の間へ立った。
言い合いが止まる。二人の目が、同じ高さでこちらへ動いた。
「その方は、わたくしがお招きいたしました」
ケストナーの襟が、わずかにこちらを向く。
「館の回り方を改めましたので、内務省の方に見ていただくよう、こちらから申し入れたのです。お運びくださいました」
誰も口を利かない。門扉の蝶番が、風もないのに一度だけ軋んだ。
「式部省へお届けを出しておくべきところ、出さずにおりました。わたくしの不調法でございました」
アリシアは頭を下げた。
石畳が近くなる。目の高さに入るのは、門扉の下の縁と、履のつま先と、荷の縄の端。石畳の目地に、砂が溜まっていた。門の外の道を行く荷車の音。頭を下げているあいだ、誰も足を動かさなかった。
若い者たちの足が、石畳の上で揃わないまま止まっていた。
「ご面倒をおかけしました。お詫び申し上げます」
詫びの言葉のあとに、続ける言葉はない。
頭を上げると、ケストナーがこちらを見ていた。見ているだけで、まだ口を開かない。書かれたものを二度読む者の目に近い。二度読んで、それから紙を置く者の目。
その目が、伏せられた。ケストナーは袖の合わせに指を当て、位置を整えてから、一歩下がって一礼した。所作に、遅れはなかった。
「妃殿下のお客であれば、当省より申し上げることはございません」
ケストナーの背後で、若い者たちが顔を見合わせていた。
言い方は、名乗ったときと同じである。高さも、間の置き方も変えていない。
「お届けの儀は、後日で構いません。当省にて承ります」
「お手数をおかけします」
シュタールが、こちらを向いた。組んでいた手が、腰から下りている。連れの者は、荷を提げたまま動かない。
「恐れ入ります」
シュタールの目が、一度だけ門の内へ動いた。連れの者の背が、そこにある。
言葉は、そこで終わった。礼を重ねる気配はない。こちらの顔を見る間も置かず、手を下げたまま半歩だけ退いた。
アリシアは門の内を示した。
「お待たせいたしました。奥へお通しいたします」
荷を提げた者が、荷を提げ直す。式部省の側の若い者たちが、石畳の脇へ寄った。内務省の者が、門の内へ入った。
「茶をお出しして。書き付けの続きがおありでしたら、館の内をご覧いただいて」
取り次ぎに出た者が先に立つ。荷の音が石畳から板へ変わり、それから聞こえなくなった。
門の前から、道は緩く下っていた。
ケストナーは門の外に残り、若い者たちを先に帰した。人の姿がなくなってから、もう一度こちらへ一礼して、その道を下っていく。シュタールもそれに続いた。二人の歩幅は、揃っていた。
門扉が、内から閉てられた。
*
夫の帰りは、灯を入れたあとになった。
入ってくると、上着を腕に掛けたまま、卓の端に立った。灯は卓の上に二つ。毛織はまだ広げたままだった。
「門で行き違いがあったと聞いた」
「内務省の方がお見えでした。式部省の方と、門で行き違いになりまして」
「それで」
「わたくしがお招きしたことにいたしました。お届けを出し忘れたと申し上げて、詫びを申し上げました。奥でお茶を差し上げて、お帰りいただきました」
夫は、卓の端に指を置いた。置いたまま、動かさない。
「立ち合われたのは」
「式部省のケストナー様と、内務省のシュタール様です」
指が、卓から離れた。
「そうか」
上着を椅子の背へ掛けて、掛けてから座る。卓の上の毛織を見て、それから目を上げた。
「明日は昼に戻る」
「お待ちしております」
夫は頷いた。膳が来るまでのあいだ、門のことは訊かなかった。
膳が下がってから、東の間へ戻った。
門扉の掛け金は下りていた。外の石畳に、昼の名残はない。館の内は、いつもの刻に、いつものとおり動いていた。厨の火が落ちて、廊の燭が半分になる。丈の足りない毛織が二枚。縁のほつれたものが三枚。
収まった、と思った。
卓には、昼に広げた毛織が、分けたときの形のまま残っていた。
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