#11
夕方からの仕事はそれほど難しくはなく、食事の支度の手伝いや備品の確認、簡単な掃除などがリオードに振り分けられた。一部、従者と明日のスケジュールについて確認をしている者や主人の身の回りの世話をしている者も見受けられたが、少なくとも肉体的に酷使されているということは現状なさそうだ。となると、やはり問題は主人の性的趣向の方にあるらしい。
仕事を終えれば、子どもたちは皆休息の時間に入り始めた。食事は一般的な栄養が補えているし、支給される衣服も主人の性癖が反映されてるとはいえ、拒絶するほど悪い品ではない。子どもたちがこなす仕事量も決して過大とはいえないし、休憩時間だってきちんと組み込まれている。誘拐という前提と賃金が出ないことを除いてしまえば、この街ではかなり良い労働環境といっても過言ではないかもしれない、ということに気が付いて、リオードは少しだけぞっとした。
また、締め切られた赤いカーテンなどから察してはいたが、この場所はリオードがつい数時間前に見たあの邸宅であることが判明しており、外観にふさわしいだけの広く十分な数の部屋が設けられていた。現在、子どもたちには原則として二人部屋があてられている。それはどれも平等に最初の「スクールの寮」という印象と変わらぬもので、決してボロ小屋に突っ込まれるような扱いは受けていないということに、リオードは密かに安堵した。唯一一人部屋を確保しているヒサロをあわせれば、今使用されている部屋は計六部屋ということになる。しかし、まだ空室があるらしいことを考えれば、主人は既に次の新入りとやらに目をつけているのかもしれない。
肝心の主人については、実のところあまり情報が開示されていない。彼のプロフィールで分かっているのは、性別と名前くらいである。ただ、これはリオードの推測だが、もしかすると彼は外で交渉役でもしているのではなかろうかと思う。主人は外へ行く際、大抵コートにハットをあわせ、尖った革靴を履く。そうして、いつも左手首に着けた時計の金具を光らせて昼前に屋敷を出ると、ディナーより少し早く帰宅するのだそうだ。ファッションセンスというのは個人差があるからしてあえてここで評することはしないが、子どもたち曰く、主人にとってあれは十中八九外行きの服に違いないとのこと。出かける時間帯は食事にはうってつけの時間であるし、たったそれだけの時間しか働かずに、犯罪的行為ではあるとはいえ十名以上の子どもの面倒を見るのに十分な資産を持っているとなれば、相当金回りの良い仕事をしているに違いない。仲介料でいい商売をしているか、あるいはマフィアかと言ったところだが……あの細長い体やプライドが高そうな独身貴族といった感じの振る舞いを見れば、おのずと選択肢は絞られてくるわけである。
一方、従者についても簡単に調べることができた。性別と名前のほか、主人に対する感情が多く指摘されたのだ。どうやら彼は、あくまで従順なだけらしい。つまり何が言いたいかといえば、彼は主人に対して私的な情を持ち合わせていないらしいのだ。だから、彼は主人に命令されたことは忠実に守るが、主人のために勝手に子どもを攫って来たり教育したりといったことは、少なくともこれまでにはないそうだ。確かに、広い肩幅や筋肉質な腕、無表情で強面な従者の容貌を思い浮かべても、彼の方こそ雇われマフィアと言われた方が納得できるような気がしてくる。
ここまでの話を聞いて、もしかすると、主人が家を離れるのであればそのすきに逃亡を図れぬものか、と考える者がいるかもしれない。無論、そういうこともあったらしい。だが、その間は抜かりなく従者が監視役として邸宅を徘徊していたため、結局見つかって連れ戻されたそうだ。
「これ、なんとかなるのかなあ……?」
ふかふかの布団をかぶって、リオードは不安げに呟いた。それもそのはず、彼の同僚にまともな人間はいないのだ。いや、バーニーズ・タンドという物騒な街ではある程度の常識を持っているように思われるかもしれないが、結局より広い視野を持てば彼らは狂気の一端としか表しようがないのである。人が歩けば死体に出会える街、つまりこの街で生きる以上自分がその死体の一つになっても自業自得、文句は言えない……少なくともリオードの知っているピンクブロンドの髪の少女はいつもそんなことを言っていた。
正直なところ、助けに来てくれる見込みがかなり低いので、最早自分がどうにかするしかないのかもしれない、とは思っている。あるいは、同僚が気付いて助けに来てくれるより、ポリスの突入の方を期待すべきだろう。いや、こちらから連絡を取る手段を失ってしまった以上、助けを期待するのすら贅沢なことなのかもしれない……。
そんなふうに頭を悩ませて何度も寝返りを打っていると、ふいにこんこん、とドアがノックされた。ジョンが誰かと約束をしていたのかと思ったが、彼は一瞬不思議そうに首を傾げてから「どうぞ」と返事した。
重い扉の隙間から顔をのぞかせたのは、太陽のような眩しいオレンジ色の髪を持つ少年、ヒサロだった。
「遅くにごめんね。でも、新しく入ってきた子に挨拶だけしておかなきゃと思って」
その言葉を聞いたリオードは慌てて布団を引っぺがして、ベッドの上で正座して背筋を伸ばした。その様子を見ていたヒサロはゆるく笑い声を洩らし、扉が閉まるのを確認してから再び話し始めた。
「もう名前は知ってるかもしれないけど……初めまして、僕はヒサロ。一週間くらい前にここに連れてこられて、今はリーダーみたいな感じで動いているんだ。何か困ったことがあったら遠慮なく相談してね」
「ヒサロさん、よろしくお願いします。あっ、僕はリオード・カロンです。普段はローファード・ハウスっていう探偵事務所で働いていて……」
「……ああ、探偵さんか! もしかして、『幸せの青いクジラ』を調べていて巻き込まれたの?」
「あはは……お恥ずかしながら…………」
眉尻を下げて笑いながら頭の後ろをかくリオードに対し、ヒサロは小さく安心したように息を吐き出した。
「僕もここを出たい気持ちは山々なんだけど、他の子を置いていくわけにはいかないから……でも、探偵さんがここに来てくれたのなら、同じ事務所の人が助けに来てくれたり、ポリスが連携して動いていたりする可能性があるってことだよね! よかった……」
先ほど巡らせていた考えとは真逆の希望ある物言いでヒサロが微笑んだので、リオードは頷くことはできず、ただ乾いた笑い声を発するばかりだった。
「まあ、言うことを聞いているうちは命にかかわるようなことはないはずだから。ここから出る策が練れるまでは、お互い協力して頑張っていこう。……じゃあ、また明日。ゆっくり休んでね」
ヒサロは手短に話を済ませると、最後に「おやすみ」と付け加えて踵を返した。リオードとジョンも同じく「おやすみ」と挨拶をすると、扉が少しの空気を押し出して閉まった。やがてジョンが就寝の支度を終えてベッドサイドの電気を消すと、辺りには沈黙が流れた。
ジムだったら。ふと、そんな言葉がリオードの脳裏に浮かぶ。ジムだったら、すぐにこの場所を出られる算段が付くに違いない。というか、そもそも自分が捕まるなんてことにはならないはずだ。自分より幼いとはいえ、彼女の能力は明らかに自分よりも上なのだ。ここに来るのがジムだったら、僕じゃなかったら…………。
拭いきれない不安を誤魔化すようにベッドにぽすんと倒れ込むと、リオードは再び布団をかぶるのだった。




