#9
「…………帰って、来ないな」
グレイが口元に手を添えて神妙な面持ちで呟いたのに対し、ジムは苛立たし気に人差し指をソファのひじ掛けに打ち付けて「あんのお人好しバカロン……」と言い放った。
「ほんまに帰って来おへんなあ、リオードくん。もしかせんでも、クジラに食べられとるんやないの?」
「かもな」
「うーん、否定できないねえ」
「おたくらこの街に染まり過ぎやないの……?」
冗談のつもりで言ったことが案外真面目に返されたものだから、デオは珍しく少し困ったような顔をした。それを放置して、ジムは大きくため息をついてから口を開いた。
「あの骨々カロンのことだから、既に死んでましたって言われても私は疑わねえな。……おい、グレイ。早く発信機調べようぜ」
「お。やる気じゃないか」
「馬鹿言え。生きてようが死んでようが、この街から遠く離れられたら回収しに行くのがだりいだろ」
「わあ。リオードくんが聞いたら泣いてまうで?」
「アホくさ」
数秒ほどたって、コンピュータを操作していたグレイが手を止めた。
「これは……隣街か?」
すると、横からひょいとスクリーンを覗き込んだジムが「いや、違うな。ぎりぎりこっちだ」と口をはさんだ。グレイが地図を拡大していけば、彼女の言う通り、隣街との境界手前、バーニーズ・タンドの端でマークが点滅していた。
「ここってミドルなんか?」
「いや……ほとんど隣街くらいの治安だから、ミドルの地帯には含まれてねえはずだ。手前までは路地が入り組んでるかも知れねえが、敷地自体はそれなりに広くとられてる」
「確か今は空き家じゃなかったか? 土地が安いからって素人がでかい家を建てて、結局ミドルを通過するのが怖くて手放したっていう」
「じゃあリオードくんはここに誘拐されとるっちゅーことか?」
「どうだかな。位置情報は常にぴったり正確ってわけじゃねえし、発信機に誤作動がないとも言い切れねえ。それに第一、あいつが何かやらかしてそこにセルフォンを落としやがった可能性もある。だがまあ、その近辺をさらえば手がかりの一つや二つ出てくる可能性があるっつーのは確かだろうな」
「ともかく、一旦ミス・ヤジマに連絡を入れておこう。打つ手は早いに越したことはないからね」
そう言って私用のセルフォンを手に取って立ち上がったグレイに、一拍置いてデオが問いかける。
「……ん? あのおばはんのが偉いんちゃうのん?」
「何せリオードに関することだからね。きっと彼女のほうがより早く動いてくれるだろうさ」
「……うっわ。人の情に漬け込むとは、さすがクズがやることは違えな」
「おいおい。自分とこの代表をクズ呼ばわりしないでくれよ?」
「だったらその胡散臭い面引っぺがしてこいよ。ま、人生三周しても無理だろうが」
「俺、一応君の上司なんだけどな……?」
ははは、と笑いながらわざとらしく肩をすくめたグレイは、ジムのじとっとした目線に背を押され、玄関扉から出て行ったのだった。
「なあ、ジムはん。さっきのあれ、どういうことなん?」
「人間には知らない方が幸せなこともあるんだよ。その脳味噌で考えて分かんねえならそのまんまにしとけ。あと、良い子は早く帰っておねんねしな」
「ジムはんが『おやすみ♡』って挨拶してくれるんなら帰るで」
「キッショ。早く帰れ、イカレ野郎」
「……って、ジムはん? どこに行きよるん?」
「散歩」
デオの言葉を容易くいなしていたジムが、窓枠にガッと足をかけ、一秒後には消えていた。デオはそこから三秒遅れて、同じように夜の街へと駆け出した。
ジムの散歩ほど侮れないものはない。一体どこで誰と何をしているのか、その秘密を欠片でもいいから手に入れたい。そんな熱狂的な好奇心が一日の疲労を蓄積したデオの体に鞭を打った。しかし、結局ジムの姿は宵闇の中で見失われてしまい、デオはその日泣く泣く自宅へと帰り着いたのだった。




