誘導自己暗示(憎悪のマリオネット)
第4章・誘導自己暗示(憎悪のマリオネット)
大都会の閑静な住宅街の公園で起こった猟奇殺人事件は、日本中を震撼させ、この事件を仕切る事に成った佐古田警部は、もじゃもじゃの髪の毛を掻きむしった。
その後の警察の調べで、身元は免許証から暴力団富士見会幹部 岸田杜雄(きしだもりお 48)と判明し、岸田は後ろから鋭利な刃物で心臓を一突きされており、ほぼ即死状態であり、死後首を切断したともの思われる。 そしてその切断された顔の口の中からは、“天罰”と書かれていた紙切れが発見されており、その文字は手書きではなく、何かの雑誌から切り抜いたものとみられ、死亡推定時刻は、死体が発見された日の午前六時から十時という事と、何所か別の場所で殺害され、あの公園のすべり台の上に午後二時から四時の間に、発見された格好で置かれたという事が、今までの調べで分かったのである。
佐古田は頭を抱えた・・・。
なぜ、犯人は首を切断したんだ。
なぜ、犯人は危険を冒してまで、死体を白昼公園に運んだんだ。
なぜ、犯人は死体をすべり台の上にあの恰好で置いたんだ。
なぜ・・・? なぜ・・・? なぜ・・・だ!?。
夜十時、来栖の身柄確保で一段落ついた向井は、自宅である六畳一間のアパートに戻ると、背広を脱ぎ棄て畳の上にごろりと横になった。
アパートに戻ったのは何日振りだろう? そんなことを考えながらTVをつけると、トーク番組の中で見覚えのある人物が何やら司会者に話している。 年恰好は50半ば・・・髪は七三に分け白衣のようなものを羽織っている。
“ん! 誰だったかな?”
向井はなぜか気になり始め、疲れから襲って来ていたはずの睡魔さえも忘れてしまったかのように、気が付くと画面にかじりついた。
やがて男が正面を向いた。
“ああ、この人は確か誘導自己暗示療法と言う独自の治療法で、たくさんの精神病患者を治療していることで有名になっている、榊原診療所の滝川秀二医師だ。”
どうやら番組では、彼の誘導自己暗示療法について特集をしているようだ。
司会者が滝川にマイクを向けた。
「先生! それは要するに催眠術のようなものと考えればいいのですね?」
その問いに、滝川が長々と説明を始め、向井がぽつりとつぶやいた。
「催眠術か・・・・」
“催眠術”その言葉が脳裏に何かを訴えかけてくるように感じたものの、人物が何者であるか解り安心した途端、向井の瞼は重くなりそのまま朝を迎えたのであった。
そして翌朝、警視庁の1階ロビーに置かれた自動販売機の前の長椅子に座り、枡園が紙コップのホットコーヒをクルクルとかき回しているところに、封筒の束を抱えぶつぶつと文句を言いながら春日婦警主任(41歳)が通りかかった。
「まったくも~ これじゃ1日中シュレッタ―の前から離れられやしないじゃないの!」
丸顔がさらに大きく見えるほどふくれっ面をしている春日婦警を、枡園が呼びとめた。
「春日くんおはよう! 何を朝からぶつぶつとご機嫌斜めなんだね?」
「あっ! おはようございます。 枡園さん、一度枡園さんの方から注意していただけません?」
「注意? 一体何のことだね?」
首をかしげる枡園に、春日は持っていた封筒の束を差し出して見せた。
「これですよ! ダイレクトメールです。」
そう言って春日が差し出した封筒には、どれもアダルトビデオのパンフレットが入っている。
「子供がいるのにこんなものを送り付けられて困ってる、との市民の方々から苦情が殺到していて、差出人に連絡しようにもビデオ業者はすでに会社の名が変わっていて経営者が違うと言うし、以前の会社のことを訪ねても名簿業者に委託していて、そちらが勝手にやってることなので自分のところでは何もわからないと言うんですよ。」
枡園はあきれ顔でコーヒーをすすった。
「それじゃ私だってどこに文句を言えばいいのかわからんじゃないか。」
言いながらパンフレットを手に取り、ちらりと視線を走らせた枡園のこめかみがピクリと反応した!
その目は大きく見開かれ、パンフレットの一点を凝視している。
“こ・これは・・・ま・まさか・・・!”
枡園は慌てて立ち上がり、春日婦警から全ての封筒をひったくるように奪うと言った。
「春日君、これをしばらく私にあずからせてくれ、後でこちらの方でシュレッタ―をかけておくから。」
「はい・・・それは別にいいですけど・・・」
春日はそこでいったん言葉を切り、枡園の顔を見てニヤリと笑みを浮かべた。
「あ~・・まさか警部補、そのビデオ買うつもりじゃないでしょうね?」
「何を・・・馬鹿を言うな!!」
枡園がそう言って眉間にしわを寄せ揉み上げをつまむと、春日はもう一度意味ありげな笑みを浮かべその場を後にしたのであった。
そして数分後、一課の自分のデスクに戻り、しきりともみ上げを触りながら考え込む枡園警部補のもとに、向井刑事が電子手帳を持ち近づいてきた。
枡園がふと顔を上げ言った。
「おお、向井! ずいぶん遅かったじゃないか。」
「すみません! ちょっと資料室のパソコンで調べ物をしていたもので・・・」
向井はそこで言葉を切り、真剣な表情で枡園の目を見つめた。
「警部補! もしかしたら、自殺した二人は何かの暗示にかかっていたのではないでしょうか?!」
向井の言葉に、枡園の目が鋭く変わった!
「何かの暗示・・・どういうことだ?」
「はい! 実は昨夜TVでやっていた誘導自己暗示療法と言うのがやけに気にかかりまして、その誘導自己暗示療法について詳しく調べてきたんです。」
「誘導自己暗示療法? ますますわからん!」
眉間にしわを寄せ揉み上げをつまむ枡園の前で、向井は電子手帳を開いた。
「警部補! 誘導自己暗示療法は “クーエの自己暗示法” という治療法がベースになっているんです! クーエというのは人の名で、フランス北東部に住んでいた、エミール・クーエという薬剤師のことなんですが、そのクーエが、当時薬が手に入りにくくなっていたことからしかたなく、期限を過ぎ色も褪せた薬を売ったんだそうです。 しかし正直者のクーエは、成分的にも効力もなく効く訳がないと考え、そんなもので相手からお金を取ったことに対し、頭を抱え思い悩んでいたのです。 ところが、後日薬を買った男が “あの薬をのんだら病気が治った”とお礼を述べてきたことから、クーエは薬の効果には薬という物質の他 に“必ず治るという思い”が働くのではないかと思い付き、そして薬剤師をやめ “クーエの自己暗示療法” という治療法を始め、その驚くべき効果から世界的に有名になりました!! そのクーエの自己暗示療法の中には “誘導自己暗示”というのがあって、誘導自己暗示というのは、他人が本人の持つ“潜在意識”に外部からアクセスすることであり、暗示は潜在意識へインプットするための、プログラムであるわけです! この鍵である暗示を、適切に潜在意識へインプットできれば、潜在意識はそのプログラムにしたがって、全力をあげて動き出すというものなのです・・・つまり、誘導自己暗示を使えば、他人をコ ントロールすることも不可能ではないのです!!」
向井が興奮気味に説明を終え電子手帳をパチンと閉じると同時に、枡園警部補は眉間にしわを寄せ、首をひねった。
「お前の言わんとする事がよく分からん!! 潜在意識に外部からアクセス・・・そりゃ、どういうことだ?」
向井は枡園の座る正面の椅子に腰を下ろした。
「分かりやすく言うと催眠術のようなものです!」
「ん? 催眠術?」
「はい!! エミール・クーエは実際にたくさんの人を救ってるんですよ! 誘導自己暗示で、他人を自殺に追い込むことだって!」
「う~む・・・なるほど催眠術か!? 確かにあの二人の死を殺人とするならば、何か常識とはかけ離れた方法で行われたと考えてみるのもいいかもしれんな!」
枡園はそう言って宙を睨みつけながら揉み上げをつまんだ。
「はい! 秋葉のようなやつが自ら死ぬはずは無いのですから、そうなると誘導自己暗示で何者かにコントロールされた可能性が十分考えられます。」
「・・・・・」
枡園は窓の方を見つめ何も答えない。
「警部補、ほんの少しの可能性でもある以上、一度独自の誘導自己暗示療法を行っている榊原診療所の滝川秀二医師に会ってみませんか?」
向井の言葉に窓の方を向いていた枡園がくるりと振り返った。
「う~む、そうだな・・・ だがな向井! その前にこいつをちょいと見てくれ!」
そう言って枡園は先ほど春日婦警から預かった封筒から中身を取り出しパンフレットを広げて見せた。
そこには“素人○○乱れ咲きシリーズ” とタイトルのつけられた、俗にAVと呼ばれる数枚のDVDの内容説明が書かれ、その見所が複数の写真で紹介されている。
「警部補、これは?」
訳がわからず首をかしげる向井に、枡園がパンフレットの写真に映っている一人の人物を指差して見せたのである。
枡園の指先を視線で追っていた向井が驚きの声を上げた!
「あっ! こ・これは・・・」
「そうだ! 小さくて見えにくいが、ここに写っているのは間違いなく“加島礼子”だ!」
向井は信じれれない様子で何度も顔を近づけ確認したが、そこには枡園の指摘通り、加島礼子であるとしか思えない女性の姿がある。
枡園はさらに続けた。
「そしてその横に、横顔だけがかすかに見えている男がいるだろう? お前には、そいつが誰に見える?」
「こ・これは・・・秋葉です! 警部補!これは間違いなく秋葉ですよ!」
興奮気味に振り返った向井に枡園は言った。
「う~む・・・やはりそうか。 これで加島礼子が最初にDVDを出せなかった理由がわかった、かすみだけでなく自身の出演したDVDが存在するのなら、ためらうのも無理はない。」
「ためらう? しかし警部補、結局は彼女はかすみの映像を提供したわけですし、そうなれば自身の映像も遅かれ早かれ出る事になることくらい、わかっていたと思いますけど。」
向井のその言葉に、枡園は椅子から立ち上がると窓から外を眺めながら言った。
「向井! 加島礼子は自身のDVDの存在を知られることためらったんじゃないんだ、それどころか、かすみのためにも礼子は一時でも早くこの事を知らせたかったんだ! しかし出来なかったんだよ・・・秋葉が死ぬまではな。」
窓から差し込む光りを背に、もみ上げを触る枡園の姿がシルエットとなり、輝きを増した向井の目に映り込んでいた。
加島礼子はカーテンのひかれた薄暗い部屋で、一人DVDプレイヤーの再生ボタンを押した。
テレビ画面には、ベットの上で一糸纏わぬ姿で身じろぎもせず、天井を見つめる自分自身の姿が映し出されている・・・
やがて二人の男が現れ、礼子の上に覆いかぶさるようにのしかかった。
礼子の意思とは関係なく、男達はなすがままにいたぶり続ける・・・・。
テレビの前の礼子は、あふれ出る涙を拭おうともせず、ワナワナと震えるばかりであった!
さかのぼること数年前・・・・・。
礼子は、かすみがうらやましかった。
礼子には、田舎の病院に治る見込みのない病気で入院しているたった一人の母がいる。そのため収入のほとんどが母の入院費で消えてしまっているのだ。
礼子は思った。
“かすみのようにおしゃれがしたい! かすみように素敵な彼氏がほしい。 かすみように・・・かすみように・・・・。”
礼子の母は女手一つで礼子を大学まで行かせてくれた。 しかし礼子が大学を卒業し、就職が決った年に脳梗塞で倒れてしまい、意識の戻らぬまま延命措置を施す事となったのである!
だが、それには莫大な費用がかかる。
会社でも前借りが重なり、礼子が一人頭を抱えていたときだった、事情を知ったかすみが同居を持ちかけてきのである。
同居する事で家賃はもちろん、光熱費や食費の負担が軽減されるとの考えからの申し出であった。
礼子はかすみの優しさが有り難かった。
礼子はかすみの手をとり、大粒の涙を流しコクリと頷いた。
こうして二人の共同生活は始まったのである。
だがしかし、時はすでに遅く、礼子の借金は大きく膨らんでいた。
そんな時、街角の小さな貼り紙が目にとまったのである。
“消費者金融 富士見ローン”
富士見ローンは、暴力団富士見会が経営する悪徳金融で、若い女性相手に高額な利息で金を貸しあたえ、支払えなければビデオ出演させ、時には売春さえ強要される。
礼子はそのチラシに導かれるようにドアを開いてしまったのだ、それはまさに地獄への入り口であった!
礼子の借金は日を追うごとに膨れ上がり、身も心もボロボロに疲れ果てていた。
それでもかすみの前では精一杯明るく振舞っていた・・・でも一人になると涙があふれてくる “もうどうでもいい・・・このまま死んでしまおうか・・・“ 思い悩み、何日も部屋の中で膝を抱えたまま、満足に食事さえろくにとらない日々が続いていた、そんなある日のこと、礼子の携帯に叔母からの連絡が入ったのである。
叔母は礼子の母の妹であり、付き添いを自らかってでてくれている。
「礼ちゃん! お母さんがたった今・・・・ 」
電話の声は涙でつまった。
あわてて礼子が駆け付けつけたときには、母の顔には白い布がかけられていた。
「お母さん!! 側にいられなくてごめんね。」
礼子は溢れ出る涙と脱力感で、その場に崩れおちた。
叔母と礼子は二人抱き合い、何もかも忘れ大声で泣いた・・・しかし、礼子は気づいていた、心の奥でホッと胸を撫で下ろす自分がいたことを!
そして葬儀も終わり、礼子は墓前に黄色い花を供えた。
それは母の好きだった花・・・名前さえ知らない花・・・。
子供のころ礼子は、母に手を引かれ花畑に行くのが好きだった。そんな時、母はこの花を指差しいつも言っていた。
「かあさんはねぇ、この小さな黄色い花が大好きなのよ。」
「ふ~ん!このお花、なんて名前?」
礼子がたずねると、母は花びらをそっとつまみ、ニッコリと微笑んだ。
「名前なんか知らない・・・名前なんかなくてもきれいに咲いてるじゃない。 元気に、誇らしげに・・・かあさんは礼子にもこの花のように生きてもらいたいの!」
そう言って、頭をなでてくれた母の手のぬくもりを思い出し、礼子は唇をキュッとかみ締めた。
参列者に挨拶を済ませ、東京への帰り支度をしていたとき、礼子は叔母に呼び止められた。
叔母は大きな封筒を大切そうに握り締めている。
「これはお母さんの生命保険の証書と預金通帳です。」
予期していなかった出来事に、礼子が驚きながらも中を確認すると、保険は死亡時のみ支払われる少額ものだったが、それでも礼子の借金はすべて補うことができたのである。
・・・そして数日後、借金を返済した礼子は、商事会社を辞めて秋葉を呼び出した!
「俺に、なんの用だ?」
仏頂面で、不信げに見つめる秋葉に、礼子は言った。
「実は、私・・・あなたの事が好きになったんです!」
こうして、秋葉と礼子が付き合い初めて一ヶ月すぎたころ、礼子は夕食の支度をするかすみに言った。
「実は私ね・・・彼氏がいるの・・・今夜は帰らないけど心配しないで!」
そう告げると、かすみはまるで自分の事のように喜び送り出してくれた。
翌日、秋葉のマンションで朝を迎えた礼子が目をさますと、秋葉はすでに起き出し札束を数えていた。
「早いのね!」
そう言って礼子はベッドから立ち上がり、カーテンを開けると、一心不乱に札束を数える秋葉の方に近づいて行った。
「どうしたのそのお金」
礼子がそう訊ねると、秋葉は振り返り、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「バカな女はお前だけじゃないのさ・・・これは、そのバカ達が主演したDVDの売上金だ!」
言いながら、秋葉は数え終えた札束をカバンに詰めている。
その姿を黙って見つめる礼子の目は、憎悪と殺意に満ちていた!
“私がバカな女ですって!? 私はあなたをぜったいに許さない・・・・・・!!”
それは、自分の身体を犠牲にした、礼子の復讐劇の始まりであった。
枡園は、向井を“公園首切り事件”を担当する佐古田班の援護に回し、一人喫茶店の一角で精神科医滝川秀治と会っていた。
滝川は主にカウンセリングと、彼独自の治療法“誘導自己暗示療法”を行っている。
ホットコーヒーを二つ注文したあと、誘導自己暗示について詳しく説明を求める枡園に、滝川は出されたコーヒを一口啜ると、快く話し始めた。
「自己暗示というのはですねぇ、たとえば誰かにチーズを食べさせたとします。 その後“そのチーズは腐っていた。” と相手に告げるのです。 するとその人は吐き気や腹痛を訴える・・・でもチーズは腐ってなどいないのです! 痛んだ食べ物を口にした不安が、その人の持つ潜在意識へ働きかけることにより、腹痛を引き起こすのです。 その潜在意識へ外部から刺激を与える・・・それが誘導自己暗示なのですよ。」
黙って頷きもみあげをつまむ枡園に、滝川は話しつづける!
「私の治療に薬品は使いません! 私が患者に与える薬はこれです。」
そう言って、滝川はCDウォークマンを差し出した!
枡園は受け取るとヘッドフォンを耳にしばらく聞いていたが、やがてヘッドフォンを取り不思議そうに首をかしげた。
「これが治療になるのですか? 私にはただゆったりとした音楽しか聞こえませんが。」
滝川はにっこり笑い、大きく頷くと言った。
「そのとおりです。 聞こえていたのはただの音楽です! でもそこには、音楽のほかに人間の耳で聞き取れない音域で、私の声が入ってるのですよ。 たとえば犬の怖い人には “犬はかわいい 犬は怖くない” というぐあいに音楽とともに繰り返してるのです。 耳で聞き取れない音域でも、それが音として認識できないだけで、人間の鼓膜には届いています。それが繰り返すことで本人の意思に関係なく、少しずつ潜在意識に働きかけるのです。」
話し終えた滝川は、枡園の顔をしげしげと見つめた。
「う~む・・・! なるほど・・・」
分かったのか分からないのか、枡園がうなり声を上げたとき、その脳裏に稲妻のような閃光が走った。
“ま・・まてよ!! さっきの音楽は確かどこかで・・・?”
枡園は眉間にしわを寄せ揉み上げをつまんだ。
“そうだ! 礼子から手渡されたDVDだ! あれは三人が絡み合うその後ろでBGMとして流れていた曲だ・・・やはり秋葉は・・・!”
考え深く遠くを見つめていた枡園だったが、やがて気を取り直したように再び滝川に問いかけた。
「先生! その誘導自己暗示ですが・・・ それは、たとえば治療ではなく、別の事にも利用できますか?」
「えっ・・・別の事といいますと? たとえば誘導自己暗示を使ったその人物に犯罪を犯させるとか・・・ですか?」
「ええまあ、そういった類です!」
「可能だと思います!」
滝川が考えることなく答えると、枡園はもみ上げを触っていた手をコーヒカップへと移しながらさらに質問をつづけた。
「そうですか。 ではもうひとつ、あなたは、あなたのほかに誘導自己暗示を行える人物を、ご存知ではありませんか?」
滝川は枡園から一瞬目をそらしたものの、すぐに気を取り直したようにはっきりとした口調で言った。
「います!! 私が大学の講師時代、誘導自己暗示を研究していたころのことですが、一人の女子生徒が非常に興味を持ち、私の助手を名乗り出たことがありました! 彼女なら誘導自己暗示のBGMとなる音楽の収録されたCDも持っていますし・・・」
滝川を見つめる枡園の目の奥がきらりと輝いた。
「女子生徒? う~む・・・先生! その女子生徒の名は・・・?」
滝川は枡園の目を見つめながらコーヒーを一口すすり、そして言った。
「刑事さん、遠回しな言い方はやめましょう。 あなたは私の誘導自己暗示を使って、私の教え子であるその女子生徒が、やくざ者を死に追いやったとお考えなんでしょう?」
「ん!」
驚きの表情で見つめる枡園に、滝川は続けて言った。
「実はつい先日彼女から連絡がありました! 近いうちに刑事さんが私を訪ねてくるはずだとね。 そして彼女は私に全てを打ち明けてくれましたよ。」
そう言って枡園の顔しげしげと見つめたあと、滝川は突然後ろを振り返った。
「礼子君! こちらに来たまえ。」
そう声をかけると、少し離れたテーブルの向こうに人影が動き、陰になっていた観葉植物の後ろから加島礼子が現れたのである。
そして礼子はゆっくりと近づくと滝川の隣に腰を下ろし言った。
「刑事さん、今まで黙っていてすみませんでした・・・実は私・・・」
「わかってる・・・君が秋葉に滝川先生の誘導自己暗示を使ったんだね!?」
枡園がそう言って礼子に穏やかなまなざしを向けると、礼子は隣に座る滝川に深々と頭をさげた。
「・・ごめんなさい・・、私先生の大切な研究を・・・。」
すると滝川は、その場に崩れ落ちそうになる礼子の肩にそっと手を置くと、やさしい口調で言った。
「いいんだよ、君は私の助手だ! 誘導自己暗示が完成したのは君の力があってこそだ、あれは私だけのものじゃない・・・それより、今ここでもう一度刑事さんに全てをお話しするんだ!」
礼子はだまってうなずき、ハンカチで涙を拭うと、自分と秋葉との関係を洗いざらい話して聞かせたのであった。
そしてしばらくの沈黙の後、枡園が口を開いた。
「礼子さん、それでは秋葉の死はあなたは復讐だったのですね?」
「はい! 私は最初に刑事さんに会った時、あのDVDを渡そうかどうか悩みました、渡せば警察は秋葉に目をつけ、私の計画が実行しにくくなる、そう思ったからです。 でも、かすみの事を思うと・・・」
「やはりそうでしたか・・・しかしどうやって秋葉に誘導自己暗示を?」
「これです!」
そう言って礼子はショルダーバックから一枚のCDを取り出した。
「ここに先生と一緒に作り上げた誘導自己暗示に必要なアルファ波を混在させた音楽を収録し、その音楽に重ねるように“死にたくなる・・・死は幸せを呼ぶ! 月に導かれ、フェンスを超えて夜空に飛び出せ・・・・・!!” というような、秋葉を死に導くための言葉が、私の声で入っています。これを秋葉が製作するDVDのBGMに流させるように仕組んだんです。 私は、あの男が製作現場に必ず同席してることを知ってましたから・・・そうすることで、何度も繰り返しあいつに聞かせることができたんです!」
「なるほど・・・」
枡園は眉間にしわを寄せ揉み上げをつまんだ。
そして、しばらく考え込むように下を向いた枡園だったが、やがて思い出したように顔を上げ言った。
「ちょっとまってください、確か私が先生から伺った話ですと、脳内にため込まれた行動のための潜在 意識は、それを発動させるためのキーワードがないといけないはずですが?」
その言葉に、礼子は唇をかみしめながら大きくうなずいた。
「そのとおりです・・・このCDの音楽の最後には来栖健二の声で “お前死ねぇ!”と収録してあります。 その言葉が秋葉の死へのGOサインとなっているのです。」
「来栖の声? いやしかし、それだと来栖が“お前死ねぇ!”と秋葉に対して言わない限り・・・・」
そこまで言った時、枡園のこめかみがピクリと反応した。
「あっ! そうか、あの晩商店街で二人は偶然出くわしてるんだ!!」
「その通りです、あれは本当に偶然でした。 あの日私はチャンスを狙って秋葉の後をつけていたのですが、まさかあんなにうまくいくとは・・・。」
礼子の両頬は涙で濡れていた。
枡園は口を真一文字に結び目を閉じた。
そして三人の間にしばし無言の時間が流れたのである。
やがて枡園が目を開き、滝川に向かって言った。
「滝川先生・・・仮に、彼女の誘導自己暗示で、秋葉が飛び降りて死んだとします・・・。この場合彼女が殺したのだと断言できますか?」
滝川はワナワナと震える礼子の肩を、そっと抱きながら言った。
「いいえ、残念ながら私の誘導自己暗示は万能ではないのです。 人によって効果の現れ方が違いますし、中にはまったく効果が得られない場合さえあります・・・したがって、誘導自己暗示と投身自殺とを関連付けるのは、まったくもって不可能です!」
枡園は大きくうなずいた。
「そうですか。 それならば秋葉の死は、本部の発表どおり自殺で間違いない! 礼子さん、あなたは大きな思い違いをしていただけのです!」
「えっ! でもそれじゃ・・・」
「それでいいのです! 誘導自己暗示の権威である滝川先生が立証できないと言ってるんだ、そうなるとこれ以上警察に何が出来ると言うんだね?」
そう言って揉み上げをつまみ、礼子を見つめる枡園の目からは鋭さが消え、まるで全てを包み込むような優しい光が満ち溢れていた。
礼子は喫茶店の片隅で、滝川医師の胸にその顔をうずめ、周りの目さえ気にすることなく大声で泣いた。
滝川は泣きじゃくる礼子を抱きしめたまま、枡園に深々と頭を下げるのであった。
つづく・・・




