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悪魔のささやき

第3章・悪魔のささやき


警視庁の建物の屋上にある喫煙スペースで、枡園と向井はスタンド型の灰皿を挟む形で備え付けられたベンチに、向かい合って座っていた。

そこは四本の支柱に雨避けのためのスレートが取付けられただけの簡単な造りとなっており、壁がないため夜の街が一望でき、遠くに見える高速道路では車の明かりが、まるで細長い生き物のようにクネクネと身をくねらし、はるか上空からは少し欠けた月が雲の間から顔をのぞかせ、二人の刑事の横顔を照らし出している。


瞬く街を見つめながら枡園がゆっくりと煙草の煙を吐き出したとき、階段の方向から物音が聞こえ、二人が振り返るとちょうどドアが開き、禁煙バイプを口にくわえた中村課長が入ってくるところであった。


中村課長は二人に気付くと、ヒョイと右手を挙げ言った。


「よう、まっさん! 姿が見えないと思ったらやっぱりここだったか。」


中村は年齢で言えば枡園よりもひとつ年下、だが見た目は四十代と言っても誰も疑わないほど若く見える。


「おや! 課長まだいらしてたんですか?」


「ん? ああ・・・帰ってもかみさんと娘は旅行に出掛けてて誰もおらんしな・・・まったく、寝る間もないほど働いている亭主をほったらかしで、気楽なもんだな女ってやつは。」


そう言って笑った中村課長の横顔は少しさみしそうに見えた。


そんな中村の言葉に、枡園が短くなった煙草を灰皿で揉み消しながら言った。


「何をいまさら、あんたらしくない。」


「ん? ああ、こりゃ失敬。」


そう言って中村は気を取り直したように枡園を振り返り、続けて言った。


「実はここに来たのはほかでもない、あれから臨港苑の持ち主である波多野守から連絡があってな、来栖について尋ねてみたんだが、そんな名の入居者はいないし、臨港苑はすでに取り壊しが決まっていて、契約していた入居者は全て別のところに引っ越してるので、今は誰も住んでいないと言うんだ。」


「やはりそうか、奴は廃墟となった臨港苑に勝手に住みついていたんだな!」


「まっさん、来栖はもうあそこにはいないと考えたほうがいいんじゃないか? 何しろ電気もなければ水道さえ使えないんだからな。 おまけに窓は割れ放題に割れているし、それだとこの時期夜は冷えるぞ。」



「う~む・・・まあ来栖の奴は収入源を立たれてるし、そのうち何処かにのこのこ現れるだろう。 それより課長! 今向井とも話してたんだが、明日にでも秋葉を締め上げてみようかと思ってるんだ。」


「秋葉? 秋葉というとあの富士見会の秋葉か?」


「ええ、実は・・・」


枡園は中村に先ほど見たDVDの内容を話して聞かせたのである。


そして、揉み上げをつまみながら話し終えた枡園に中村は言った。


「う~む・・・そりゃなんともあこぎな! しかし、その映像だけだと強制わいせつであるとの決定づけが出来んし・・・」


煮え切らない様子の中村に、枡園は眉間にしわを寄せると少し興奮気味に声を荒げた。


「課長!! 秋葉は叩けばいくらでも埃のでる身体だ、強制わいせつが無理なら奴を何か別件で・・・」


枡園がそこまで言ったとき。


『♪トゥリルリン♪ トゥリルリン♪』


向井の携帯が鳴りだしたのである。


向井が慌ててボケットから取り出して見ると、液晶パネルには小林刑事の名が表示されていた。


「あれ? 小林刑事からだ、どうしたのかなこんな時間に・・・」


そう言って向井は枡園と中村にチラリと視線を送ったあと、通話ボタンを押した。


「はい! えっ!また・・・!?」


電話に出た向井の顔色が変わり、その変化に気付いた枡園は椅子から立ち上がると眉間にしわを寄せた。


向井は慌てた様子で話し続ける。


「ああ、警部補は今俺と一緒にいる・・・!」


「・・・・・」


電話の声がかすかに受話器から漏れたが、枡園には聞き取れない。


「・・・わかった! 警部補と一緒にすぐ行きますと佐古田警部に伝えてくれたまえ。」


そう言って向井は電話を切り、枡園が言った。


「どうした?」


「警部補すぐ行きましょう!」


「行く? どこへ?」


「香坂かすみが飛び降りたあのビルです、また飛び降り自殺です!!」


『なにぃ!!』


枡園と中村が同時にが驚きの声を上げ、そしてその一瞬後、三人の階段を駆け降りる靴音が、夜の警視庁の建物内に響き渡っていた。



枡園と向井が現場に着くと、そこは裏通りとなるため人通りは少ないものの、どこで聞きつけたのか大勢の野次馬でごった返しており、部外者を近づけないためのロープが張られている。


二人が野次馬達の間を抜け、張られたロープをくぐり中に入ると、それを待ちかねていたように佐古田警部が駆けよって来たのである。


「まっさん、あんたまた携帯の充電切らしてるだろう! いくらかけてもつながらないし・・・向井が一緒で助かったよ。」


「充電? そんなこと知るか! 私は上から持つよう言われて仕方なく持ってるだけだ!」


「あのなぁ! それじゃ持ってても意味が・・・」


佐古田があきれたような表情でそこまで言った時、向井が慌てて間に入った。


「まあまあお二人とも・・・警部補の携帯は俺が後で充電しておきますから。 それより佐古田警部、飛び降り自殺というのはいったい!」


佐古田はヒョイと顎をしゃくり上げ歩道わきを指し示した。


「該者はあのブルーシートの下だ! 二人とも顔を見たら驚くぞ!!」


佐古田の言葉に枡園がもみあげをつまんだ。


「ん! そんなにひどいのか?」


「そう言う意味じゃない・・・まあ見ればわかる。」


二人は案内されるままにブルーシートの前に立った。


そして、ゆっくりとめくられたブルーシートの下を見たとたん、佐古田警部の予告通り枡園と向井は驚きで互いに顔を見合わせる事となったのである。


「こ・これは・・・」


そこに現れたのは、頭が割れ、辺り一面に脳みそを撒き散らし横たわる、秋葉剛のおぞましい姿であった。




一度は深夜に目覚めた来栖であったが、その脳裏に恐ろしい考えがよぎり、不安と恐怖におびえながらも疲れと空腹から再び眠りに落ちてしまっていた。


そして来栖が次に目を覚ました時には、時刻は八時半を回っていた。


起き上がりそっと右手を頭部にかざしてみると、ズキンと激しい痛みが走る・・・


来栖はズボンのポケットから携帯を取り出した。 料金を払っていないため昨夜から通話こそ出来なくなっているものの電源を入れる事は出来る。


ボタンを押ししばらくすると、液晶画面の壁紙に花束を抱え微笑むかすみの姿が現れたのである。


それは、半年前のかすみの誕生日に来栖が写したものだった。


“かすみ~! 俺はいったいどうしたらいいんだ~”


来栖は写真のかすみに語りかけながら、震える指先でメールフォルダーを開いた、すると液晶画面にはかすみから届いたメールが履歴として次から次へと現れてくる。


『今夜何食べたい?』 『大好き❤』 『どこ行ってたの?』 『お仕事がんばってね❤❤❤』


そのひとつひとつの会話を思い出しながら、来栖が最後のメールを開くと、そこには 『さようなら』 とたった一言が・・・


“かすみ・・・黙っていなくなってすまなかった、俺はやっぱりお前がいないとだめなんだ!”


来栖の両目から大粒の涙がこぼれおちた。


“そうだ、かすみ!・・・かすみに謝ろう! そしてすべて話して力になってもらおう。”


来栖は立ち上がり薄暗い地下室から表へと出た。


そして右に左にフラフラとよろけながら1時間ほど歩き、1軒の雑貨屋の前に差し掛かったときだった。


店先に置かれてあったTVから流れてくるニュース映像に、来栖の足がぴたりと止まってしまったのである。


そこに映し出されていたのは紛れもない秋葉剛の顔写真であった!


来栖の口から思わず声が漏れた!


「こ・これは、昨夜の・・・?」


テレビでは興奮した口調で女リポーターが喋っている。


“”昨夜、高層ビルから男性が飛び降り死亡しました。死亡したとみられるのは、持っていた免許証から、秋葉 剛さん(45)と見られています。 尚、このビルからは数日前、ほぼ同時刻に若い女性が飛び降りて亡くなっております。“”


そう言って女リポーターがビルの屋上を指差したとき、ワイドショーの司会者の男が口を挟んだ。


「ほぼ同時刻に二人の男女が飛び降りたのですか?! 二人には、何か接点があるのでしょうか?」


その問いかけに、女リポーターが片手でイヤホンを押さえながら答える。


“”数日前に飛び降りて亡くなった香坂かすみさんと、今回の秋葉 剛さんとの関係は、今のところわかっていません・・・・・。“”


リポーターの言葉に来栖の表情が変わった。


“香坂かすみ・・・! ま・まさか・・・” 


かすみと言う言葉に反応した来栖がテレビ画面に近づくと、同時にかすみの写真が映し出された!


「あっ! かすみ! かすみが何で自殺・・・ ま・まさか、あの時のメールの“さようなら”の意味は・・・!!」


思わず声に出して呟いた来栖が、その場にガックリと膝まづいたその時、頭の中に見たことのないはずの光景が浮かんできたのである。


それはまるで映画のスクリーンを見ているようであった!


来栖の頭の中には、最初に天使のようなかすみの笑顔が現れ、それが次第に恐怖に怯える表情へと変わっていくのだ。 その目から涙がこぼれ、気が付くといつの間にか、かすみの後ろに二人の男が立ち不敵な笑みを浮かべているではないか! 


やがて男たちが泣き叫ぶかすみに薬物を嗅がせると、かすみはその場に崩れ落ちた!


そしてその後、目を覆うような光景が、まるで来栖自身の目の前で起こった出来事であるかのように鮮明に浮かびあがってきたのである。


「わぁ~ や・やめろ~ かすみから離れろ!」


来栖が思わず叫び声を上げた時、頭の中の映像は消え去り、目の前には現実の世界が広がっていた。


“何だったんだ今のは? そ・そんな・・・いや・・・しかし待てよ・・・あの男たちどこかで・・・”


来栖の頭の中で何かが起きようとしていた!


“お・おかしい・・・俺はあの男たちを知っている! なぜだ? 何で知っているんだ?”


しかし、来栖が記憶の糸を手繰ろうと精神を集中したその時だった、またしても激しい頭痛が襲ってきたのである。


「うっぐっ・・・!!」


来栖は唸り声とともに苦悶の表情で頭を抱え、その場にうずくまった。


「ううっ・・・ぐっ・うう・・・」


そのまま痛みは五分ほど続いただろうか、やがてのたうちまわっていた来栖はおとなしくなり、そして何事もなかったかの様に立ち上がると、ニヤリと口元を歪め不適な笑みを浮かべたのであった。


そのとき店先のテレビ画面では、あいかわらず司会者とリポーターの掛け合いが続いていた。




枡園と向井は会議室の椅子に座っていた。 テーブルの上には死んだ秋葉とかすみ、そして現在行方不明の来栖健二の写真が並べえられている。


枡園がドンと大きな音を立て拳でテーブルをたたき、怒鳴るような口調で言った。


「秋葉が自殺だ!! そんなことは絶対にありえん! 奴は他人を死に追いやっても、自分が死ぬなんてことは、ありえんのだ。」


そう言って枡園はこめかみをピクピクと引きつらせた。


向井がやりきれないと行った様子でぼそりと呟いた。


「俺もそう思います。 まったく本部はいったい何を考えてるんでしょうかね? かすみさんはともかく、秋葉が自殺だなんて・・・」


そこにドアが開き、婦警の青木雪乃(あおきゆきの 22歳)がお茶を乗せたトレイを手に入ってきたのだった。


「しつれいしま~す。」


雪乃はふきげんそうな枡園の顔を見て、特徴である愛らしい大きな目をクリクリと動かすと、二人にお茶を差し出しながら言った。


「うふふ、警部補の声、隣の部屋まで聞こえてましたよ。」


「ん!・・・・」


何も答えず、苦虫を噛み潰したような表情で出されたお茶をすする枡園に、雪乃がヒョイと肩をすくめる仕草をしたとき、その大きな目にテーブルの上の写真が飛び込んできたのである。


雪乃は一枚の写真を手に取り、軽く首をかしげながら言った。


「あら? この男の人・・・」


青木雪乃婦警のその言葉に、枡園は口に含んでいたお茶を慌てて飲み込み椅子から立ち上がった。


「青木君! きみはその男を知っているのかね。」


雪乃が手にした写真は加島礼子から借りてきたものであり、そこには来栖健二の数ヶ月前の姿が写し出されている。


雪乃はニッコリ笑うと、大きな目をクリクリと動かした。


「知ってます、浮浪者暴行事件の重要参考人で現在行方不明の来栖健二ですよね?」


あっけらかんと言う雪乃に、向井が不思議そうに目を細めて言った。


「ちょっとまって・・・なんで交通課の君が参考人の名前まで知ってるの?」


すると雪乃は、大きな目をクリクリと動かした。


「実は私、刑事志望なんです。 それで未解決の事件をいろいろと私なりに調べてるんですよ。」


「刑事志望? 君が・・・?」


向井が言うと雪乃は入って来たドアの方を気にしながら言った。


「あっ! でもお二人とも、このことは春日主任には内緒にしてくださいね。」


枡園の顔がかすかに緩んだ。


「ふっ・・・わかったわかった、春日君には黙っておくよ。 しかし君も妙な言い方をするなぁ、私はまた君が来栖健二と知り合いなのかと思ったよ。」


そう言って揉み上げをつまみ苦笑いをする枡園に、雪乃が続けて言った。


「知り合いってわけじゃないですけど、昨夜桜町商店街で見かけましたよ。」


揉み上げをつまむ枡園の指に力が入った。


「な・なんだと? 桜町商店街? で、この来栖はそこで何をしてたんだ?」


「喧嘩です、殴られて倒れてました! 相手の男はこの人です。」


言いながら雪乃は次に秋葉の写真を指差したのである。


『えっ!!』


枡園と向井は同時に驚きの声をあげ、向井が慌てて立ち上がったため、座っていた椅子がカタンと大きな音とともに後ろに倒れた。


倒れた椅子を起こしながら向井が言った。


「青木君! その時の様子を詳しく聞かせてくれないか。」


「はい、いいですよ。」


そう言ってニッコリ笑い、進められた椅子に腰をおろした雪乃が大きな目を動かしながら話しはじめると、向井は電子手帳を開き、その横で枡園は口を真一文字に結び目を閉じたのであった。


「昨夜九時頃だったかな? 友達の珠美たまみと映画を観た帰り道お腹が減ったので、桜町商店街の中にあるファーストフードの店に行こうって言う事になって、二人で歩行者天国の道を歩いてたんです、そしたら店の少し手前の交差点に人だかりが出来ていたんです。 見ると、来栖が秋葉に殴られて倒れてました。」


その言葉に、向井が身を乗り出した。


「じゃあ君は、来栖が秋葉に殴られる瞬間を見たんだね?」


「いいえ、見てません。 そばにいた野次馬の会話で殴られたことを知りました。」


「そうか、しかし来栖が重要参考人と知っていながら、なんで君はすぐ警部補に知らせなかったんだ?」


「電話しましたよ~ 警部補の携帯に・・・でもつながらなかったんです!」


「あっ!そうか警部補の携帯は・・・なら中村課長に・・・」


「ええ、でもその時はまだその人が来栖だとは思ってませんでし、それに誰かが警察に電話してる声が聞こえたので、私も警官だし到着を待ってから一緒に行動しようと思ってたんです。」


「そうか・・・君はその時遠巻きに見てたんだね?」

 

「はい。」


「で、その男が来栖と気付いたのは?」


向井の質問に、雪乃はにっこり笑い大きな目をくりくりと動かした。


「ついさっきです! 今朝ロビーに貼りだされた手配写真を見て・・・だからお二人にお知らせしようとこうして私がお茶汲みを買って出たんですよ~。」


「そうか・・・そりゃすまない・・・」


「いいえ、どういたしまして。 あっ! でも向井さん、あの手配写真わかりにくいですよ。 なにしろ写真に比べて現在の来栖は目は落ちくぼんでるうえひげ面で、第一印象は随分ちがって見えましたもの。」


「なるほど、ひげ面か・・・」


向井がそう言って自分の顎のあたりに手を当て唸り声を上げると、雪乃は続けて言った。


「というわけで私と珠美は警官の到着を待ってたんです、でも警察が来る前になんとも不思議と言うか不気味というか・・・倒れて動かなかった来栖の顔が見る見るうちに鬼のような顔になって、それから秋葉を歩道に追い詰めて・・・!」


「鬼のような顔? 来栖の形相が変わったと言うのかい?」


「はい、来栖はまるで何かが乗り移ったか、でなければ何者かに操られているかのようでした。」


こうして雪乃は、枡園と向井にあの夜見た光景の一部始終を身振り手振りを交えながら話して聞かせるのであった。




夕飯の支度をしながら、増野圭子はチラリと柱時計を見た。


“もう五時・・・雅斗まさとまだ公園にいるのかしら?!”


圭子は造りかけていたシチューの火を止め、自宅から五分程のところにある住宅街の公園へと足を向けた。

そこは、あまり広くはなく、鉄棒にすべり台、そしてすべり台の下にこじんまりとした砂場があるだけだ。


「ママーッ。」


鉄棒をしていた4~5人の子供の中から、小学2年生の雅斗が圭子の元へ走って来る。

圭子は雅斗を抱きながら、頭を軽く小突いた。


「いつまで遊んでいるのよ・・・もう5時過ぎてるわよ。」


「だって・・・すべり台が出来ないんだもの。」


そう言って口を尖らせながら、雅斗はすべり台を指差した。


圭子がすべり台を見ると、そこには中年の男性らしき人物が座り、こちらを見ている。


もう周りは薄暗くなっていてその表情までは分からないが、何か不自然さを感じた圭子は雅斗の前にしゃがみ、小声で問いかけた。


「いつからいるの?」

  

「僕が来た時からあの恰好でいるよ。」


「変質者かしら・・・」


そして、恐る恐るすべり台に近づいて行った圭子の口から、悲鳴とも奇声ともつかない叫び声が上がったのである。


「ぎゃ~ッ!!○X△・・」


すべり台に座っている、中年の男の身体は正面を向いているのに、顔は真反対の階段の方を向き、その首にはどす黒く乾いた血のあとが、まるでネックレスをしているかのようにくっきりと残されているではないか。


そして、驚いた圭子が腰を抜かしその場にしりもちをつくと、その弾みで男の首が身体を離れ、階段を伝いながら圭子の前に転がり落ちて来たのである!


「ギョエ~ッ!!」


再びあがった圭子の悲鳴で、住宅街の公園は、たちまち人だかりで埋め尽くされたのであった。





来栖健二は、なけなしの小銭をかき集め、いつもの屋台でコップ酒をあおっていた。


かすみの死を知り、それが自殺であるという事実が、よりいっそう悲しみを深くして行く。


“かすみ、俺のせいなのか? 俺が、お前を?”


来栖は、屋台のカウンターに額を押し付けると、そのまま眠るように目を閉じた。


そして数分後・・・


「うわぁ~っ!!」


夢を見ていた来栖が突然目を覚まし、狂ったように叫びながら立ち上ったのである。


すると、隣で飲んでいた五十がらみの男がその声に驚き、今まさに口に運びかけていた酒がこぼれ男のズボンを濡らしたのである。


怒った男は、椅子を蹴散らすようにして立ち上がり、いきなり来栖の胸倉を掴んで来た。


「てめぇ、なんだいきなり? 酒がかかっちまっただろうが!」


酔いが回っているのか? それとも怒りのせいなのか? 男は真っ赤な顔で怒鳴り散らす!


しかし、来栖は男の姿が見えていないかのように、ボーと宙を見つめたまま答えようともしない。


「このやろうなめやがって!!」


男が胸倉を掴んだ腕を力任せに引き寄せると、バランスを崩した来栖は前のめりになり、その瞬間、男の右ひざが来栖のみぞおちに食い込んでいた。


“ぐぇ!”


踏み潰されたかえるのようなうめき声を上げ、来栖はうつぶせに倒れたままピクリとも動かない。


「けっ! さっさと帰ってママのおっぱいでも飲んでな!」


そういい残すと、倒れたままの来栖に背を向け、男は何事もなかったかのように、元の屋台へと戻って行った。


「まったく頭に来る野郎だぜ。」


言いながら、腰をおろした男に、屋台の親父が心配そうに声をかけた。


「お客さん・・・あの人、あのままほっといて大丈夫ですか?」


「大丈夫だ、死にはせん。」


「いや・・・しかし、まったく動きませんよ! ちょっと見てきましょうか?」


そう言って来栖のもとに行こうとするおやじを、男が大声で引きとめた。


「ほっとけ!! そんなことよりおやじ、酒だ! 酒をくれ。」


「は・・・はい。」


男を怒らせては自分の身も危ない、そう思い、差し出されたグラスに酒を注いでいた屋台のおやじが、一瞬ビクンと身を躍らせたかと思うと、ピクピクと顔を引きつらせながら、ぴたりとその動きを止めたのである。


「どうしたんだ?」


男は不思議そうに尋ねたが、おやじは一升瓶を手にしたまま一点を見つめ、凍りついたように立ち尽くしている。


「おい! おやじ!」


「あわわわわわ・・・!」


おやじが言葉にならぬ声を上げ、男の右後ろを指差した。


「チッ! なんだってんだまったく。」


イラついた男が、おやじの指差すほうに振り向いたときだった。


“ガシャン”


何者かの手により振り下ろされた空の一升瓶が、男の頭部で激しい音とともに砕け散ったのである!


飛び散った真っ赤な血が暖簾を染め、男は声を上げるまもなく椅子から崩れ落ちた。


「あわわわ! 化け物だっ・・・だ・誰か助けてくれ~っ!」


腰を抜かし、その場にへなへなと座り込んだ屋台のおやじの叫び声を聞きつけ、大勢の通行人が集まってきた。


「何があったんだ?」 「事故か?」 「酔っぱらいが暴れてるらしいぞ。」 「客同士の喧嘩だろう?」


通行人たちは好き勝手な事を口にしながら、その数をどんどん増やしていく。


群衆の中央には、砕け散り口の部分だけとなった一升瓶を右手にきつく握り締めたまま、鬼のような形相で仁王立ちに立つ男の姿があったのである。


「きゃ~っ!」


群衆の前の方にいた女が、血だらけで倒れている男を見て狂ったような悲鳴を上げると、その声に瓶の欠片を握った男がゆっくりと振り返った。


大量の帰り血を浴びた顔を、不気味なほどに歪めて男は笑った!


「ひっひっひっひ・・・」


「だめだ! こ・こいつ狂ってるぞ。」


先頭の男の呼び掛けで、一同がざわめきとともに後に下がった、その時だった。


怯える群集をぐるりと見回した男が、持っていた瓶の欠片をバリバリと握りつぶしたかとおもうと、指先から自らの血を滴らせながら言ったのである。


「わたしは来栖です!!」


来栖がそう言って獰猛な笑みを唇に浮かべたとき、誰かの通報で駆け付けたパトロールカーが屋台の前で赤い点滅を繰り返していた。



 つづく・・・



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