二重人格
第2章・二重人格
捜査一課を訪ねてきた加島礼子への接見及び事情聴取が、枡園警部補とその直属の部下である向井刑事の手により行われ、その証言とSIMカードの携帯番号から、飛び降り自殺をした女は香坂かすみであるとの判断が下された。
しかし、香坂かすみは鴨川公園での浮浪者暴行事件に関わっている可能性が高く、佐古田警部は単なる自殺では片付けられないと言い、かすみの親友である加島礼子もまた、かすみの自殺説には否定的であった。 そして礼子の話を聞くうちに、浮浪者暴行事件の有力容疑者として、現在行方不明となっているかすみの元彼である来栖健二の名が浮かび上がったのである。
そこでまず、香坂かすみが他殺である可能性を確かめるべく立ち上がった、枡園・向井両刑事は、かすみが飛び降りた雑居ビルの屋上に立ち、フェンス越しに下を見下ろしていた。
二人の視線の先には歩道があり、その数メートル先を線路が隣接するように走っている。
かすみが倒れていた歩道にはたくさんの花束が積まれており、それを無言のまま見つめていた枡園が揉み上げをつまみながら呟くように言った。
「向井! お前はかすみさんの死が単なる自殺ではないと言った佐古田警部の意見をどう解釈する?」
「はい・・・」
枡園の問い掛けに、向井は目の前のフェンスに手をかけ、小さく揺り動かす仕草をして見せた。
「検死の結果、かすみさんの身体にはかすり傷ひとつなく、死亡原因は飛び降りた事による内臓破裂と断定されています。」
そう言いながら、向井は真剣な表情で枡園を振り返り続けた。
「警部補! 彼女がもしどこか別の場所で殺害され、何者かの手によりこの場所から投げ落とされたならまだしも、かすり傷ひとつ負わさずこのフェンスの向こう側に自分の意思以外で立たせるのは無理ではないでしょうか?」
「う~む・・・私も同じ意見だ! アパートに残された ”さようなら”のメッセージは加島礼子に宛てた遺書とみて間違いないだろう。 だが向井、彼女が仮に自殺だったとしてもだ、人が死を選ぶにはそれなりの理由があるはずだ。」
枡園は再び歩道に視線を移し、苦虫を噛み潰したような表情で揉み上げをつまんだ。
「ところで臨港苑へ向かった小林刑事からは何か連絡はあったか?」
「はい! 小林君の電話では建物内には来栖どころか人っ子ひとり見当たらず、来栖が寝起きしていたと思われる部屋に侵入したところ、布団と酒の空き瓶くらいしかないものの、確かに生活感は感じられたということでした。」
「う~む・・・で、臨港苑の所有者は?」
そう言って眉間にしわを寄せる枡園に歩み寄った向井は、胸ポケットから取り出した黒い電子手帳を開いた。
「えっと・・臨港苑は5年ほど前までは10人ほどの入居者がいて、道路に面した位置にはレストランもあったようです。 当時の持ち主は波多野新平88歳でしたが、彼が心臓病で急死したため臨港苑は閉めたそうです。 そのため登記上の現在の持ち主は波多野守51歳、波多野新平の実の息子となっています。」
「それで波多野守からは話が聞けたのか?」
「いえ! それが波多野とは連絡が付かず、電話口に愛人らしき女が出て、聞くところによると半年前に仕事でニューヨークヘ行くと言って出て行ったきり音信不通となっているとのことでした!」
「音信不通? ・・・まあいい、来栖健二の姿はかすみが飛び降りた夜に加島礼子が目撃しておる、そう遠くには行ってはおらんだろう。」
「ええ、しかしそれだけの理由で本当にそう言い切れるでしょうか?」
「ん! それだけじゃない、理由ならほかにもあるぞ。 考えてもみろ、奴は日雇いで食っているんだ、仕事にありつくには馴染みの日雇い派遣業者が多いこの町のほうが都合がいいんだよ。 来栖健二は必ずこの町にいるさ。」
「なるほど・・・」
向井が枡園の考えに感心したように、小さく何度も頷きながら、胸のポケットに電子手帳をしまっていると突然背後で女の声がした!
「刑事さん!!」
二人が振り向くと、そこには加島礼子が花束を手に立っていたのである。
向井が歩み寄った。
「あっ! 先程はどうも・・・ かすみさんにお花ですか?」
「はい、下の歩道にと思ったのですが、警備員の方がこちらに刑事さんがこられていると教えて下さったもので。」
「そうでしたか、それで私達に何か?」
「はい、かすみに手を合わせた後で警察の方へうかがうつもりでしたが・・・。」
言いながら、礼子はショルダーバックから一枚のDVDを取り出し向井に手渡したのである。
「実はかすみの御両親が荷物を引き取りに来られるということで、あれからアパートに帰って片付け物をしてたんです、そしたらかすみの部屋のごみ箱の中からこれが・・・」
それを側で聞いていた枡園のこめかみがピクリと反応した。
「加島さん! その・・・ビービーなんとか・・」
「DVDです、警部補!」
「あ・ああ・・・そのビービーデーのことですが、かすみさんの部屋のごみ箱の中にあったのですね?」
枡園は向井の横に立ち、礼子の目を見つめた。
「は・・はい。」
「そうですか・・・で、あなたはその内容をご覧になったのかな?」
そう言って枡園が、礼子の顔からまるで何かを読み取ろうとするかのように見つめながら、眉間にしわを寄せ揉み上げをつまむと、礼子は一瞬視線をずらす様にうつむいたが、すぐに気を取り直し、まるで何かを決意したかのように枡園の目を見つめ返し、大きくうなずいて見せたのである。
「はい! 見ました! ですが内容については私の口からはとても・・・でもこれだけははっきり言えます、かすみは・・・かすみは来栖に殺されたんです!」
「来栖に? 殺された?・・・このDVDには何かその証拠でも?」
思わず驚きの声を上げた向井に、礼子は悲しそうな表情で左右に首を振った。
「いいえ、それはわかりません、あとは刑事さんがご自身でごらんになって下さい。」
礼子はそう言って二人の刑事にクルリと背を向けると、持っていた花束をフェンスにそっと持たせかけたのであった。
涙を溜め、両手を合わせる礼子と、それを見守る二人の刑事・・・。
誰もが動きを止めた雑居ビルのフェンスを、ヒュルヒュルと秋風が鳴らし、遥か眼下を電車がゆっくりと通り過ぎて行った。
雑居ビルを出た枡園と向井は、署で落ち合う約束を交わすと二手に分かれ、向井は同期の小林刑事から、来栖健二をひいきにしていた日雇い派遣業者がいるとの情報を受け、町外れの建設現場に向かった。
そこには、来栖健二を日雇いとして雇っていた、現場監督で田村という50半ばの、いかにもガサツそうな小柄の男が待っていたのである。
向井が簡単に挨拶を済ませ、来栖健二について聞きたいことがあると告げると、田村は向井に手招きし、小さな仮設事務所へと案内した。
「汚いところで申し訳ないが、まあその辺に掛けてくださいな。」
向井が勧められた木製の長いすに腰を下ろすと、田村はタバコに火をつけ話し始めた。
「来栖ねぇ・・・あいつにはここのところ仕事を与えてないですよ。あいつは仕事もできるし真面目なんだが、なんか気持ちが悪くてなぁ!」
「気持ちが悪いとは、いったいどういう意味なんでしょう?」
言いながら向井は黒い電子手帳を開いた。
「ああ、本当は来栖もこの現場に入れるつもりだったんだが、あいつはねぇ、突然意味もなく切れやがるんですよ!」
「切れる?」
「ああ、俺のところへ来るようになった最初のころは、そんな素振りさえなかったんだけどな・・・それさえなけりゃなぁ・・・とにかく今人手がたらねぇんですよ。 鴨川公園の浮浪者暴行死事件、刑事さんも知ってるでしょう? やられた浮浪者ってのは俺のところで世話してた奴らでしてね、ねぐらこそ持たない連中でしたが、現場ではまじめで信頼できる連中でした!」
向井は思わず身を乗り出した。
「えっ! あの浮浪者たちがこちらで・・・ということは、あの6人と来栖は顔なじみだったわけですね?」
「いや、それはどうかな? 現場に入れば誰と誰が・・・てのはわからないねぇ! 道中の車の中も、ろくに口を聞く者はいませんから。」
「そうなんですか・・・・」
「何なら刑事さん、もうすぐ3時の休憩ですから直接作業員に聞いてみますかい?」
こうして、田村の計らいで数人の作業員と会った向井だったが、作業員たちからは来栖健二についての新たな情報は何一つ得られなかったのである。
一方、向井が建設現場に居るころ、枡園はひとり国立病院の門をくぐっていた。
辺りを見回しまるで世間の目から隠れるように!
診察台に起き上がり、ワイシャツのボタンをかける枡園に、掛かり付けの担当医師がカルテにペンを走らせながら言った。
「枡園さん! 悪いことは言いません・・・一度きちんと調べてみましょう!」
枡園は揉み上げを弄りながら苦笑いを浮かべると 「ああ・・まあその内にね。」 と気の無い返事をする。
そんな枡園のまるで他人事のような態度に、担当医師は苛つきを隠せないといった様子で声を荒げた。
「枡園さん! いい加減にしてください。 あなたいつもそうだ。 その内にって・・・このままほおって置くと、後で取り返しの付かない事にもなりかねませんよ!」
そう言って、真剣な眼差しで見つめる担当医師の言葉が聞こえないかの様に、枡園は軽く頭を下げると無言のまま診察室を出ていき、病院の門のすぐ脇にあるバス停のベンチに座り煙草に火を付けた。
宙を見つめ煙草の煙を胸いっぱいに吸い込み、ゆっくりと吐き出すと、煙は風に吹かれ渦をまくように空中へと消えて行く・・・。
それを視線で追いながら、枡園は揉み上げをつまみ“ポツリ”と呟いた。
「フッ・・やぶ医者め、人を病人扱いしおって。」
そこにバスが到着しドアが開いた。
しかし枡園は一点を見つめたまま動かない・・・・
「乗らないんですか?」
バスのスピーカーから運転手の声・・・・
”ハッ“とわれに返った枡園が、右手を左右に振り乗らない意思を運転手に伝えると、バスはエンジン音を響かせ走り去っていった。
そして数分後・・・・枡園が去ったバス停の灰皿には、処方された薬が手付かずのまま放り込まれていたのであった!
時を同じくして、加島礼子は、かすみの遺体をひきとりに来ていた両親と会っていた。
手続きを済ませ、まるで魂が抜き取られたような表情で署から出てきた両親に、礼子は深々と頭を下げた。
「ごめんなさい! あの日、私がかすみのそばにいられなかったばっかりに・・・こんなことに。」
そんな礼子に、母親は左右に首を振りながらやさしい口調で言った。
「加島礼子さんですね!? かすみはあなたと友達になれたことを大変喜んでました、あの子からの手紙にはかならず礼子さんの名前が出てきていたくらいです。」
父親もすかさず歩み出て、言った。
「礼子さん! かすみが自殺だなんて・・・私たちには信じられません!」
「私も信じていません! ですが、お父さんお母さん、とにかく今はかすみを早く皆さんのところへつれて帰ってあげてください。」
悲しみを分かち合う3人は互いに手をとり、人目もはばからず抱きあっていた。
別行動をとっていた枡園と向井は署に戻り落ち合うと、その足で宿直室に向かった。 向井は脇にノートパソコンを抱えている。
向井は部屋に入り畳の上に腰を下ろすと、パソコンのスイッチを入れ、冷蔵庫から缶コーヒーを取り出すと枡園に手渡した。
「おお、すまんな!」
枡園が受取ると、向井は言った。
「警部補、この街の日雇い派遣業者の所を手当たり次第に当たってみたのですが、最近はどの現場でも来栖健二は雇っておらず、現場で顔を合わせる派遣仲間でさえ仕事外の付き合いはなく、奴の素性を知るものは誰ひとりとしていませんでした!」
「う~む・・・そうなると奴は収入減を断たれていることになる、食うためにはいつまでも隠れているわけにもいかんだろう。」
そう言って枡園が揉み上げをつまんだと同時に、向井がDVDの再生ボタンを押した。
そして、画面に映し出された映像に、二人はしばし言葉を失い、驚きとともに顔を見合わせることとなったのである!
なんと、そこに映し出されていたのは、二人のやくざ風の男に弄ばれる、香坂かすみの姿だったのだ。
男たちのなすがままにされるかすみの目は一点を見つめ、声も上げなければ抵抗もしない・・・明らかに薬物で意識がはっきりしていないのが、その様子からうかがえる。
我に返った枡園が、モニターを指差しながら言った。
「向井! そこに映っている片方の男は、間違いなく暴力団 富士見会若頭の秋葉 剛だ。 う~む・・・自殺したかすみは富士見会とつながりがあったのか!?」
そう言うと枡園は、飲み干した缶コーヒーの空き缶を目の前のテーブルの上に “タン”と音をたてて置き、宙をにらみつけながら揉み上げをつまんだ。
二人の間に緊迫した空気が流れ、衝撃の映像を目の当たりにした二人はしばし無言のままの時間を過ごした。
そして数分後、思い出したように向井が言った。
「警部補! 富士見会の噂は聞いていましたが、秋葉が仕切るようになってますますやり方が悪どくなっているような気がしますね。」
そう言った向井の脇をすり抜けるように、枡園は立ち上がり無言のまま宿直室を出ると、そのまま屋上へと上がって行った。
「け・・警部補どちらに・・・」
向井も慌ててそれに続く・・・
コツコツと靴音を響かせ階段を上る枡園の後ろ姿が、向井には心なしか悲しげに見えた。
二人が屋上に着くと、眼下の街ではネオンが輝き始めており、枡園は夜空を見上げたあと、ゆっくりと向井を振り返り言った。
「向井! お前はあの映像を見て何を思った?」
「えっ・・・! そ・それは・・・かすみさんが・・・」
「そうじゃない! 私が聞いてるのは、あの映像を見て何か違和感を感じなかったかってことだ。」
「違和感!?」
枡園の突然の問い掛けに一瞬言葉を詰まらせた向井だったが、すぐに気を取り直し言った。
「あっ! そういえば、ちょっと不思議に感じた事がひとつだけあります! それは、あの映像を見た加島礼子が何故 “かすみは来栖に殺された”と言ったのか、ということです。 もしも礼子があれを初めて見たのであれば、かすみは秋葉もしくは富士見会に殺されたと言うのが普通じゃないでしょうか?」
「その通りだ! 礼子はあのビービー・・・!」
「DVDです!」
「ん! ああ・・・そいつを最初に私たちに会った後アパートにいったん帰り、部屋を片付けていてごみ箱から発見したと言った。」
「はい! 確かにそう言いました。」
「その言葉にすでに嘘がある!」
そう言って枡園は眉間にしわを寄せ、これ見よがしに点滅するネオンサインをわずらわしそうに睨みつけた。
「えっ!! 嘘?」
「そうだ、礼子は最初に私たちを訪ねて来た時ショルダーバックを手にしてた・・・二度目に屋上で会った時持っていたのと同じものだ! そして私が椅子を進めるとそのバックを身体の右側に置いた・・・そのとき偶然だが私の目にバックから覗いたビ―ビー・・・あ・いや・DVDが見えたんだ。 蛍光灯の明かりに照らされ虹色に輝いていたためはっきりっと覚えている。 彼女はあのときすでにDVDを持って来ていた、おそらく私たちに見せるためだ、それなのになぜ何も言わなかったんだ?」
そう言って枡園はもみあげをつまみながら向井を振り返った。
「あ~・・・警部補それは多分女心ってやつですよ。 仲の良かったかすみさんのあんな映像を見せるべきかどうか、心の中で葛藤があったのだと思います。」
「いや違う! さっきお前は礼子が “かすみは来栖に殺された”といったことを不思議だと言ったな?」
「ええ、確かにそう言いましたが・・・」
「礼子は早い段階からあの映像の存在を知っていた、そして富士見会と来栖健二が関わっており、あのビデオを撮るにあたり、来栖が富士見会に何がしかの協力をしていることを知っているんだ!」
「それで彼女は “かすみは来栖に殺された”と?」
「それだけではない、彼女自身も富士見会と何らかのつながりがあるはずだ! だから最初にあの映像を見せるべきかどうか悩んだ・・・見せればそのことが知られてしまうからな。 礼子は何か我々に知られたくない秘密があるため最初に会った時には出すことが出来なかったんだよ。」
眉間にしわを寄せもみあげをつまむ枡園と、その顔を見つめる向井・・・向かい合う二人の刑事の頭上では、少し欠けた月が青白く怪しい光を放っていた。
秋葉 剛は酔っていた。
15歳で上京したものの、毎日がうまくいかず、喧嘩に明け暮れる日々を送っていた秋葉だったが、ひょんなことから知り合った富士見会会長に拾われ、今は関東一円を牛耳る暴力団 富士見会の若頭を任されるまでになっていた。
歩行者天国でにぎわう商店街の横断歩道を、肩をゆすりながら歩いていた秋葉は、ドン という音とともに誰かとぶつかったのである。
見ると、無精ひげを生やした優男が怯えた目をして秋葉の方を見ている、年の頃は30前後で、秋葉が何者であるかを察したように不安が顔全体を覆っている。
しかし、その顔は整っており、女を引き付ける何かを持っている顔立ちだった。 と同時にそれは秋葉のもっとも嫌いな顔立ちでもあった。
「おい! てめぇ、どこ見て歩いてんだ。」
「す・すみません・・」
そう言って相手が軽く頭を下げ立ち去ろうとした・・・そのときだった。
「まてぃ!」
秋葉の右手が男の肩を掴んだのである。
「何か・・・?」
相手の男が振り向いた瞬間、無言のままの秋葉の右ストレートが、男の顔面に決まっていた。
“バキ~ン!!”
それは強烈な一撃であった・・・男はもんどりうって倒れたかとおもうと、交差点の真ん中で大の字になりピクリとも動かない。
“死んだんじゃないのか!?” “救急車・・・救急車” と、野次馬が騒ぎ出すなか、秋葉が “ペッ”と唾を吐き、その場を立ち去ろうとしたその時である・・・!!
「待ちな! このクズ野郎!」
群衆の声に紛れ、どこからともなく秋葉を呼びとめる声が聞こえたのである。
秋葉が振り向いたが、声の主は分からない。
「誰だ!」
そう言って辺りを見回し、倒れた男の方に視線を移した秋葉の目に信じられない光景が写った。
なんと、大の字に伸びていた男が、まるで人が変わったかのごとく俊敏な動きで上半身を起こしたのである。
立ち上がった男の口が動いた。
“まったく! 健二よぉ、お前さんは女も喧嘩も駄目なんだから・・・ここは俺様に・・・”
男は独り言のように呟くと、今度は茫然としている秋葉を睨みつけ、どすの利いた声で言った。
「お前・・・死ねぇ!」
「なっ・・なに?」
“こいつは、何者なんだ・・? さっきまでの男とはまるで別人のようだ・・!”
ひげ面の優男だったはずの男の顔はどす黒く変色し、その目は大きく見開かれ充血で真っ赤に染まっており、口元をひくひくとひきつらせながら、まるで鬼のような形相でゆっくりと近づいてくる。
その様子に秋葉が得体の知れぬ恐怖を感じ、一歩後ろに下がったその時である。
迫って来ていたはずの男の身体が、まるで雷にでも打たれたかの如く“ピクン”と身を躍らせたかとおもうと、突然頭を抱えその場にがっくりと膝まづいたのである。
「うううっ・・・」
うずくまった男の口からはうめき声が漏れた!
そして、なんと不思議なことに、鬼のような形相だったその顔がみるみるうちに一変し、元の優男に戻っていくではないか。
“ありゃなんだ?” “何かのパフォーマンスか?” “おおかた見世物小屋の客寄せだろう。”
好き勝手なことを並べながら、通行人たちが好奇な目で見つめる中、男は苦しそうにうめき声を上げつづけた挙句、誰もいないはずの方向に向かい、絞り出すような声で訴えかけた。
“うううっ・・・やめろ・・・やめてくれ・・・お前は一体誰なんだ・・・?”
空中に語りかける男の姿を目の当たりにした秋葉の背中を冷たいものが駆け抜けた。
「こ・・・こいつは俺が呑み過ぎてるのか? それともこの男は化け物なのか?」
想定外の出来ごとに秋葉は身動きが出来なくなり、男のあまりの豹変ぶりに周りを取り囲んでいた野次馬たちもざわめき始めた。
“おい、やばいぞ!” “どうなってるんだ?” ”関わらない方がいいんじゃない?“
さまざまな声が上がる中、突然うずくまっていた男が叫び声を上げた!
「うわ~っ・・・!!」
その途端、近くに集まっていた野次馬たちが蜘蛛の子を散らすかのように一斉に逃げ出したのである。
その様子に “はっ!”と我に返った秋葉は、逃げ出した野次馬たちに紛れ込みその場から姿を消したのであった。
こうして人がまばらになった商店街・・・・それでも男は、うずくまったままうめき声を上げ続ける。
「うううっ・・・うううっ・・・」
そして数分後、頭を抱え込んでいた男の手がゆっくりと下ろされると、まるでその時を待っていたかのように、遠巻きの野次馬の中から二人の女性が心配そうな表情で男に近づいてきたのであった。
見たところ二人の女性はどこかのOLだろうか? 二人ともパンツルックで白いブラウスに紺色のカーディガンを羽織っており、一人は小柄で、もう一人はそれとは対照的にふくよかな体系をしている。
小柄なほうの女が、大きな目をくりくりと動かしながら言った。
「あの~・・・だいじょうぶですか?」
「・・・・」
男は答えない。
「救急車呼びましょうか?」
「え!」
女の問いかけに男がハッとしたように顔を上げ、慌てて左右に首を振ると言った。
「あ・・いや・・・大丈夫です。 ちょっとめまいがしただけで、もう治まりましたから。」
言い終えると男は立ち上がり、逃げるようにその場を後にしたのであった。
“俺は何で此処にいるのだろう・・” 秋葉は思った。
高層ビルの屋上に、今自分は立っている。 金網を登って向こう側に出る。もう、秋葉の前には障害物はない。
“何かがおかしい・・!” 秋葉は自問自答を繰り返していた。
少し欠けた月が美しかった。
“月が美しい・・・?? なぜ俺が、そんな事を思うのだ。”
“”お前・・・死ねぇ!“” どこかで聞いたような言葉が、秋葉の頭の中で響く。
その直後、秋葉は両手を広げ、ビルの屋上から思い切りダイブしていた・・・!
その横を、1本の光の線を引きながら、最終電車が通り過ぎて行った。
来栖健二は叫び声を上げながら見知らぬ街をひたすら駆けていた。
“やめろ~ 来るな・・来るな~・・これは俺の身体なんだ、お前なんかの自由にさせてたまるか~ 俺は化け物なんかになりたくない!!”
恐怖に耐えきれず、迫りくる何者かに向かい腹の底から叫んだそのとき、来栖は臨港苑の地下室で目を覚ましたのである。
額からは汗が吹き出し、喉はからからに乾いていた。
「なんだ?! 夢だったのか・・・??!!」
安堵感に胸をなでおろした来栖は、何気なく後頭部に手を当てた。
「はっ! こ・これは・・・!」
後頭部には鋭い痛みがはっきりと残っている。
“あれは夢なんかじゃない! この後頭部に残る痛みが、昨夜の出来事を物語っている。 あのとき俺は・・・いや俺の中の化け物が、やくざ者を殺そうとしていたんだ。”
「お・俺は・・・俺はいったい!」
来栖は鈍い痛みが残る後頭部をさすりながら、かすみが言っていた言葉を思い出していた。
“前にかすみが言っていたのは、本当だったんだ・・・。 そういえばあの日、俺は熱を出しアパートでうなされていた。目の前はぼやけ喉は焼けるように痛んだ! 半分ほど開いた窓から聞こえてくる都会ならではの喧騒が、俺の頭の中でエコーがかかったように響いている・・・・どのくらい眠っただろう、目を覚ますとかすみがいた!
「熱は下がったみたいね・・・・私帰る!」
そう言ったかすみの態度は、やけによそよそしい、少し怒っているようにも見える。
「どうしたんだ? 俺に何か怒ってる?」
俺が尋ねると、かすみはハンカチで涙をぬぐいながら哀しげな表情で俺を見つめた。
かすみが言うには、枕元に座っていた自分に、俺が突然起き上がり、まるで人が変わってしまったかのように、理由もなく何度も殴りつけたというのだ・・・そんなことが後にも何度かあった!
もちろん俺には何のことかわからない、俺はかすみを殴ったりしない・・・かすみは俺の命なんだ。 いや・・・まてよ! そういえば以前勤めていた商事会社でも、現在の日雇いの仲間たちからも、理由もなく突然暴れだしたなどと、覚えのない嫌疑をかけられた事もある。”
来栖は自分の考えに恐怖した。
“俺の中に何かが居る! 俺は二重人格なのかも知れない・・”
つづく
いちどアップしたものの納得がいかず、あらためて上げなおしました。




