第7話 オークを倒せても、食卓にパンは増えない
「その魔石なら、銀貨二枚です」
商人マルコ・ペンドルは、笑顔で言った。
丸眼鏡の奥で、目だけが忙しく動いている。
レオンは魔石を箱へ戻した。
「欠けていない大型オークの魔石だ。二枚は安い」
「王都で売れば、そうでしょうねえ。ここはグレイヴェルです」
マルコは卓上の帳簿を開いた。
「街道の通行料。荷の検査料。護衛料。卸へ渡す手数料。私は赤字でなければ、喜んで商売しますが」
「全部払えば、二枚になる?」
「そういう値で買うよう、取引先が決めておりまして」
隣でシルヴィアが腕を組んだ。
「あなたの都合では?」
「私の都合なら、もう一枚くらいはつけたいですよ。こんな傷一つない魔石、久しぶりに見ましたから」
その言葉には、初めて熱があった。
レオンは帳簿の印を見た。
同じ紋が、何度も押されている。
「アイゼン領」
「ええ。ヴァルグ・アイゼン様の領地です。街へ来る穀物も、鉄材も、あそこの街道を通ります」
マルコは声を落とした。
「指定の卸を通さずに売ると、次の荷が来なくなる。私だけじゃありません。店を開けている連中は、皆そうです」
「法で禁止されているのか」
「いいえ。禁止する必要がないんです」
商人が肩をすくめる。
次の荷を止める。
それだけで、商人は従う。街を守る者がいなければ、別の道を選ぶこともできない。
レオンは街門の壊れた柵を思い出した。
王国の端で放置された街には、税を取る者だけが残っていた。
「この魔石を、直接買う相手はいるか」
「街の外なら。南の自由市場には、素材を扱う工房があります」
「運べれば、売れる?」
「売れます。ただ、荷が途中で消えたら、誰も払ってくれません」
シルヴィアが一歩前へ出た。
「護衛はこちらでつけます」
「あなた一人で?」
「騎士団で」
マルコの目が、初めて彼女からレオンへ移った。
「……あの、オークを止めた方々ですか」
「昨日見ていたか」
「屋根の上から。途中で下りるのが怖くなって、最後まで」
「なら、護衛の値段は分かるな」
レオンが言うと、商人は口を閉じた。
「あなた、商売をなさったことは?」
「荷を運ぶ予算は見ていた」
「なるほど。嫌な帳簿係が来たわけだ」
少しだけ笑い、マルコは地図を広げた。
「誤解のないように言いますが、殿下が護衛をつけても、私の取り分はいただきますよ」
「買い手との交渉と荷車を用意するなら、必要な費用だ」
「善意で働けとは、おっしゃらない?」
「君が損をすれば、次の荷を運ばなくなる。私たちも困る」
マルコは眼鏡を外し、布でゆっくり拭いた。
「王子様から、その話を聞くとはね」
「王宮には、荷車が動くのが当然だと思っている者が多かった」
シルヴィアが小さく頷く。
「その当然の荷が届かない時、叱られるのは現場でした」
商人の笑顔から、作った愛想が少し薄れた。
「では、実際に動かせる話をしましょう」
街と王都を結ぶ太い線。その途中に、アイゼン領の検問がある。
「南へ曲がる分岐までは、この道を使います。通行料だけなら払えますが、傭兵を雇うと利益が消える」
「最初は荷車一台。護衛も小隊でいい。魔石と皮を運び、穀物と補修材を持ち帰る」
レオンは地図の端にある、薄い線へ指を移した。
「こちらは?」
「古い森の道。橋が傷んでますし、魔物が出ます。荷車を通すなら、先に調べて直さないと」
「今は使わない。覚えておく」
シルヴィアが線をなぞる。
「昔の見回りで、入口だけは見ました。テッサにも確認させられます」
レオンは頷いた。
逃げ道を一つしか持たないのは、戦場でも取引でも危険だ。
マルコが銀の留め具を手に取った。
「これは、買い取ってよろしいんですね」
「私物だ。代金を給金のために取り分ける。魔石とは別に扱ってほしい」
重さと純度を確かめた商人は、こちらにはまともな値をつけた。
硬貨が袋へ入る。
レオンはその袋を、生活費のものと分けた。
「護送の契約は、誰と結べば?」
「私が条件をまとめる。君は買い手と価格、出発に必要な費用を示してくれ」
マルコはしばらく考えた。
「素材の持主は、殿下ですか」
「討伐した者たちの持分がある」
「なら、先にそちらを。向こうへ着いてから取り分の喧嘩をされたら困ります」
もっともだった。
レオンは地図を畳み、酒場へ戻った。
その裏庭から、ちょうど大きな声が聞こえた。
「牙を一本売るだけだろ! 俺が運んできたんだから、俺のだ!」
シルヴィアがレオンを見た。
「帳簿の前に、喧嘩ですね」
「そのようだ」
倒した魔物に値がつくまでにも、道や人の都合がある。王子の仕事は、まだまだ山積みです。
次回予告:売る前に、仲間の取り分をどう決めるのか。
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