第64話 速いだけの足を、敵の斥候は見逃さない
ニコが戻ってきた時、靴の踵に白い粉がついていた。
テッサは、それを見て戸を閉めた。
「どこを踏んだ?」
「古い窯の横。道から外れたから、見られてねえ」
「足跡は残る」
彼女は靴を受け、底の溝を見る。
レオンの前で、ニコが口を尖らせた。
敵の斥候より先に街へ戻った。だから仕事は果たしたと思っていたらしい。
「全部の足跡を、消せって?」
「消す時間も、跡になる。どこへ戻ったかを教えないようにしたい」
テッサは、窯から街へ続く道へ線を引いた。
敵は足の速さを競うために来ていない。
戻る場所、交代する人間、荷の通る時刻。それを繋げれば、森の便を止められる。
レオンは地図の線を一つ消した。
「今夜の荷は、ここへ入れない。先に中継所へ知らせる」
ニコが顔を上げる。
「俺が行く」
「道を変えたことまで、君の足跡に書かせたくない。テッサと別々に動いてくれ」
彼は、もう一度自分の靴を見た。
*
夕方、エリシアが二人を林へ連れた。
ニコが先に歩き、三歩で枝を鳴らす。
「そこへ全部の重さを乗せないで」
「暗くなったら、見えねえよ」
「見えないから、足を置く前に触れるの」
彼女は、靴の外側から土へ足を下ろした。
薄い枝が動く。折れる前に重さを戻し、別の場所へ移す。
走るより遅い。
だが、その一歩には音がなかった。
木々の間から、短い笛が聞こえた。
テッサが指を二本立てる。
王国の斥候が、窯の方から回ってきたらしい。
レオンは三人と一緒に倒木の裏へ移った。
今ここで走れば、自分が一番遅い。
ニコが手を伸ばしかけ、エリシアがその肩へ触れた。
待つ。
笛がもう一度鳴る。右と、道の奥。
相手も一人ではない。片方を見つけて逃げた先へ、もう一人が回る形だった。
テッサが落ち葉の隙間を示す。
四人は腰を低くし、一歩ずつ、相手の進む道と平行に動いた。
ニコの靴が枝へ触れた。
彼は重さを乗せる前に止め、足を戻す。
レオンはその背へ手を出さず、同じ場所を避けて続いた。
笛の位置が遠ざかる。
やがてエリシアが掌を下ろした。
ニコは大きく息を吐きかけ、半分で止める。
今日は走らなかったから、戻れる。
その顔は、足の速さを褒められた時とは少し違っていた。
ニコも真似をする。
踵から踏み、また枝を鳴らした。
「今まで、よく逃げられたわね」
「音より先に走ってたんだよ」
テッサが横を向いて笑う。
エリシアは笑わず、同じ場所をもう一度示した。
「速く逃げる足は、捨てなくていい。使うまでに、見つからない足も要る」
ニコは頷き、今度は言い返さずに足を置いた。
レオンは少し離れて、三人の背を見る。
精霊の風を借りれば、何でも聞こえるのかと聞くと、エリシアは首を振った。
「風が強ければ、こちらの音も混ざる。遠くの足音を全部選べるわけではない」
彼女は木々へ目を向ける。
「この辺りで、応えてくれる相手から。場所ごとに、覚え直す必要があるの」
ニコが、そちらにも練習が要るのかと目を丸くした。
エリシアは少しだけ眉を上げる。
「あなたが静かに歩いてくれた方が、楽になるわ」
*
夜、二人が戻った。
中継所へ変更を伝えた控えと、敵の新しい足跡。
白い粉を踏んだ跡は、街の手前の水場で途切れさせた。そこから全員が同じ道へ集中せず、荷のない者をいつもの市場へ回している。
敵が市場へ来ても、空の手と日常の人通りしか見えない。
ただし、これで永遠に隠せるわけではない。
テッサは敵の編成も書いた。
弩兵の交代がある。騎士が斥候の戻る時刻を確かめ、荷役を戦場の前へ置かない。
「こちらが兵站を知っていることくらい、向こうも知っています」
レオンは頷いた。
隙だらけの私兵を相手にしていた頃の道は、もう使えない。
ニコは椅子へ座り、靴を脱いだ。
足の外側を押している。
「変な所が疲れる」
「明日は同じ道を、もう一度」
テッサが言う。
「仕事増えたな」
「見つかって走る仕事より、少ないはずよ」
彼は反論しかけ、やめた。
靴底を拭き、戸のそばへ揃えて置く。
その時、石標の警備から伝令が来た。
セドリックは、話す人数を絞りたいという。
その条件の末尾に、一対一の剣で争いを終える案があった。
レオンは紙を閉じ、シルヴィアを見た。
彼女も、その名前を見ていた。
走らずに戻ることも、足の仕事。靴底についた粉から、ニコの学び直しが始まりました。
次回予告:王国の騎士と、剣を抜く前の話し合いへ。
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