第62話 姉からの手紙は、王子の顔を赤くする
封筒の角に、小さな花が描かれていた。
レオンはそれを見て、先に戸を閉めた。
シルヴィアが首を傾げる。
「大事な報告?」
「姉からだ」
「では、私は外へ」
「軍の話も書いてあると思う。いてほしい」
封を切ると、紙が三枚出てきた。
最初の一行は、大きな字だった。
『ちゃんと食べていますか。これは外交上の挨拶ではありません』
レオンは、思わず紙を伏せる。
シルヴィアの口元が動いた。
「もう、読めました」
イリーナ・ヴァルゼリア。彼より五歳上の姉だ。
王宮にいた頃、軍務の書類を抱えて食事を忘れると、侍女ではなく本人が呼びに来た。
追放の日、彼女は議場にいなかった。
だから何を考えていたか、レオンには分からなかった。
昔、一度だけ姉と軍の式典へ行ったことがある。
レオンは、隊列の後ろにいた荷役の男へ、何を運ぶか聞いた。
大人たちには、先頭の騎士を見るよう言われた。
イリーナだけが、その男の荷を全部見るまで待った。
『先頭は、あとでも見えるでしょう』
手紙の丸い字を見て、その声を思い出す。
ここへ来てから、自分が王宮へ怒っているのか、戻りたいのかを考える時間はなかった。
だが、姉の字は見たかったのだと、封を切ってから分かった。
紙の角へ、指を置く。
「無事ですか」
シルヴィアが、小さく聞いた。
「今のところは。ただ、これを送ったことを隠している」
「返事も、守って届けましょう」
彼女は封筒を捨てず、紙と同じ袋へ入れた。
王国から来た物を、全部拒む必要はない。その袋だけは、軍の命令書と別に置ける。
『あの日、あなたを止められませんでした。今さら事情を書き並べても、門を出たあなたの役には立たないでしょう。まず、届くものを送ります』
二枚目には、王国の命令が出た順序があった。
アイゼンの告発。村とロイドの申告。軍務大臣による、辺境の武装勢力という分類。
村の話を聞く行政の手続きと、軍を出す手続きは別に進んだ。
その隙間を、オルドレインが使ったという。
『軍を戻すには、軍の報告も要ります。セドリック卿は無用に民を斬る方ではありません。ただし、王国の命令が正しいという前提を、簡単には手放さないでしょう』
レオンは二枚目を、シルヴィアへ渡した。
「姉上は、軍を止める権限を持っていない」
「それでも、止める道を探している」
彼女は、告発の日付を指した。
城の降伏より前だ。
すでに変わった現場を、命令だけが追い越して来る。
レオンは、セドリックへ渡す記録にその順序も加えた。
『なお、こちらへの返事を軍の使者に預けないこと。商人の便を使い、無事に届いたら印のある控えを返してください。あなたも、私の手紙を他人へ見せる範囲を選んで』
紙には、便の行き先と預かる者が書いてあった。
姉も、自分の身分だけを通行証にはしていない。
*
三枚目を開いた時、シルヴィアが咳をした。
「そこも、軍の話ですか」
レオンは紙を確かめた。
『ローゼンハルト卿へ。弟の護衛をありがとうございます。昔から、親切にされた理由を全部仕事に結びつけるところがあります。必要なら、別の理由もあると教えてやってください』
「姉上は、何を」
レオンが呟く。
シルヴィアは、三枚目を受け取らなかった。
「私は、今ここで返事を求められても困ります」
「返事を求めているわけでは」
「お姉様へ、です」
彼は黙った。
シルヴィアが、目を伏せて笑う。
戸が叩かれた。
テッサが食事を運び、二人の前へ置いた。
「ベルタさんから、冷める前に。イリーナ様のお手紙は、お食事の指示もあるそうですね」
「誰に聞いた」
「封筒を運んだ者が、姫様から口頭でも頼まれたと」
レオンはパンを取った。
王都から七日かけて、食事を見張る者が来るとは思わなかった。
*
夜、彼は返事を書いた。
街には食料が入る。寝床もある。守るために戦える者がいる。
書きながら、最後の言葉で手を止める。
戦えるから大丈夫、と姉へ言いたいわけではなかった。
『交渉の記録を残します。こちらから争いを求めるつもりはありません。ただ、民を領主の私的な取り立てへ戻す命令には従えません』
その下へ、もう一行。
『食事は取っています。今日は、隣で確かめる人もいました』
シルヴィアが灯りを持ってきた。
彼は乾かす紙を裏返さず、そのまま置いた。
「姉上へ、君にも礼をと書いてあった」
「ええ」
「私からも、ありがとう」
彼女が、灯りの芯を少し下げる。
「それなら、明日は私の方が先に食べます。あなたも待たずに食べてください」
「分かった」
灯りを挟んで、二人は明日の時間を決めた。
軍の話ではない約束も、一つできた。
三枚目の下端には、別の注意が小さくあった。
『軍務の試験装備に、古い誓約術の資料が使われています。何が渡ったかまでは、まだ確かめられません』
レオンは、その一行だけをボルガンへ写した。
鍵のある箱の中で、壊れた固定具が待っている。
ちゃんと食べているか、が外交の挨拶ではないところに姉らしさが出ました。レオンの返事も少し変わってきています。
次回予告:王国の試験装備と、団の連携を見比べます。
続きが気になったらブックマークを、面白いと感じたらページ下部の評価で応援していただけるとうれしいです。執筆の励みになります。




