第61話 王国の剣は、本当に強かった
岩甲獣が道へ出た時、荷車の御者は手綱を放した。
馬が横へ逃げ、積んだ袋が荷台から落ちる。
獣の背には、岩のような甲が並んでいた。街道脇の斜面を踏み崩し、鼻を鳴らして荷車へ向き直る。
「車を引くな。先に人を離せ」
銀の鎧の騎士が言った。
兵が二手に分かれる。盾役は獣へ、残りは荷車の反対側へ。御者の襟を掴んだ兵が、荷台の下へ潜りかけた子供も引き出した。
騎士は馬から下りた。
セドリック・アーベル。
名を聞いた御者が声を上げようとし、獣の咆哮に遮られる。
セドリックは一度、子供の位置を見た。
それから剣を抜く。
「盾を退け。私の右へ入るな」
獣が踏み込んだ。
大きな頭が地面へ沈み、岩甲の隙間に泥が跳ねる。セドリックは正面へ立ったまま、後ろの脚へ重さを移した。
間合いが、あと二歩。
御者には、もう逃げられないように見えた。
白い光が、剣の縁へ集まった。
騎士が足をずらす。
獣の角が外套を掠めた瞬間、上がった首の付け根へ刃が入った。
岩を全部割ったのではない。
甲と甲の間にある、狭い一筋。
光はそこを通り、獣の背の向こうで土を裂いた。
巨体が、一度だけ足を踏み鳴らした。
セドリックは剣を引き、倒れる方向から離れる。
兵が盾を上げ、跳ねた石から御者を庇った。
道が静かになった時、白い刃はもう消えていた。
「人の負傷は」
「擦り傷が二人。馬も一頭、脚を打っています」
「荷の数を確かめろ。馬を替えなければならないなら、次の宿へ知らせる」
御者は何度も頭を下げた。
「ありがとうございます。これが街へ届かなければ、今月の――」
「どの街へ」
「グレイヴェルです。森の道は混んでおりまして、今日は検問の解けたこちらへ」
セドリックの手が、鞘の上で止まった。
その街へ向けて、軍を進めている。
御者の目が、背後の旗へ移った。
王国の軍旗だ。騎士十二人と、槍や弩を持つ兵三十六人。さらに荷役と修繕の軍属が続いている。
「荷の行き先を変えた方が、よろしいでしょうか」
恐る恐る、御者が尋ねた。
セドリックは、倒れた獣から目を戻す。
「民の商いを止める命令は、まだ出していない」
御者は頷いた。
民、と呼ばれた子供が、父の袖から顔を出す。
騎士はその顔を見てから、部隊を呼び戻した。
*
「一人で、岩甲獣を?」
レオンは御者の話を聞き、地図へ印を置いた。
翌朝のグレイヴェル。昨日届いた王国の命令書は、卓の端にある。
敵の大きさを誇張して脅す話なら、もっと曖昧になる。
御者は切られた場所と、兵が民を動かした順番まで覚えていた。
「斬った後、すぐ次を構えていました。あの方が守ってくださるなら、道も安全になると思ったんです」
言い終わり、レオンの顔を見る。
話してはいけないことだったかと、怯えたらしい。
「助けられた話だ。聞かせてくれてありがとう」
レオンは答えた。
御者が出ていくと、シルヴィアが立ち上がる。
「セドリック卿なら、できると思います」
「知っているのか」
「王宮で、剣の稽古を見ました。同じ剣を二度受ければ、二度目には崩される。動きを覚えられるの」
グスタフが、盾の縁へ掌を置いた。
「こっちは、何枚あれば止まる」
彼女は、すぐには答えなかった。
「枚数だけでは、危ないです」
レオンは、修理を終えた盾を見た。
オークは、力を同じ場所へぶつけた。私兵には連携の切れ目があった。
今度の敵は、その切れ目を自分で作り、後ろには訓練した兵を置く。
ニコが戸口から顔を出した。
「王国の使い。旗を畳んで来た。武器は、門で預けるって」
レオンは頷き、椅子を用意させた。
使者は軍の名を告げ、命令書と同じ封を出した。
「四日後、街外れの石標で話を伺う。それまでに武装解除と拘束者の引き渡しについて、回答を用意されたい」
「村の被害と、領主の行為についての記録は」
「受け取る。ただし、それにより軍の任務が直ちに解かれるわけではない」
使者は、用意した椅子へ座らなかった。
レオンは書面の裏へ、話す場所と時刻を記した。
道で子供を守った騎士が、その子の帰る街を解体しに来る。
弱い悪人だから倒せる相手ではない。
シルヴィアが、彼の隣へ立った。
使者を見送った門番が、戸口に残っていた。
「王国の軍に逆らえば、ここで働く者も罪になりますか」
レオンは彼へ向き直った。
給金を払い、寝床を用意した。それでも、相手が王国の旗を持って来れば、明日の立場は変わる。
「今の仕事を続けるか、条件を確かめてから考えていい。家族を先に移したいなら、場所を探す」
「殿下は、逃げませんか」
「君たちを置いて、命令だけ残すことはしない」
門番は掌を開いた。
指の付け根に、荷を運んだ時の傷がある。
「弟が、王国軍にいるんです。ここへ来る隊ではないけど」
レオンは言葉を止めた。
王国の兵は、どこか遠くから生まれてくる敵ではない。
この街で働く者の弟でもある。
「弟のいる部隊が分かるなら、紙へ残してくれ。無事を確かめる機会があれば、知らせる」
門番は頭を下げ、門へ戻った。
レオンは地図の端へ新しい欄を作る。軍の名と、そこで働く者の名。どちらも消さずに話すために。
「まず、会いましょう」
「ああ。剣を抜く前に、話すことはある」
レオンは、受け取った紙の上へ街の地図を重ねた。
王国の兵にも、誰かを守る剣と帰りを待つ家がある。新たな相手を、ひとまとめの悪役にはできない出会いでした。
次回予告:姉から届く手紙が、王子の仕事と食卓に触れてきます。
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