第5話 奪わなくても、飯って出るのかよ
昼の酒場には、煮込みの匂いが満ちていた。
それなのに、男たちは卓へ近づかなかった。
「座れ」
レオンが言った。
「今度は何を誓えばいいんだ?」
グスタフが腕を組む。
「何も。食事の時間だ」
最初に腰を下ろしたのはダリオだった。
それを見て、ほかの者も椅子を引く。ニコだけは、最後まで戸口近くにいた。
ベルタが卓を指で叩いた。
「逃げ道は開けといてやるから、座りな。椅子まで盗んで持っていくんじゃないよ」
「椅子は走る時に邪魔だろ」
「よく知ってるねえ」
ニコが渋々座ると、レオンは薄い木札を配った。
名前と、討伐に加わった役割が書いてある。
「素材はまだ売れていない。これは売却後に受け取る褒賞の記録だ。給金とは別になる」
「紙切れより、今の金が欲しいんだが」
「少額だが渡す。残りは支払日を決める。金がないことを隠して、働かせるつもりはない」
銅貨が卓へ置かれた。
グスタフの取り分が大きい。ニコの前にも、数枚が並んだ。
「……俺にも?」
「盾を支えた」
「でも、倒したのは槍の連中だろ」
「盾が崩れれば、槍を突けなかった」
レオンはニコの札を示した。
「君がいなければ、左の隙間が空いた」
ニコは札を裏返した。裏には何もない。
もう一度表にし、懐へしまった。
グスタフがそれを覗く。
「額、間違ってねえか」
「あんたより少ねえよ」
「お前、俺の盾の下に潜ってただろ。ちゃんと働いたって書いてあるか見せろ」
ニコは札を握り直した。
ベルタが鍋を運んできた。
豆と根菜に、刻んだ干し肉。柔らかく煮えた芋から湯気が上がる。
「殿下の先払いだ。鍋の底まで舐めるなら、洗うところまで頼むよ」
皿を配る手が、少しだけ慎重だった。
レオンの銀貨を受け取った時、ベルタは三度確かめていた。払う側だと言っても、まだ全面的に信用はしていないのだろう。
それでいい。
今日、奪わなかったことを、明日も繰り返すしかない。
「おい、後ろの皿が空じゃねえか!」
グスタフが立った。
「前からすくうな。順に回せ!」
「あんたが一番でかい皿持ってんだろ!」
「身体がでけえんだよ!」
「配る前から減らすな」
ダリオの一言で、大男は椅子へ戻った。
リゼットは皿を覗き、杖を出しかける。
「冷める前に食え」
シルヴィアが言った。
「温度を調整するだけよ。焦熱の――」
「何?」
「何でもない」
女は素早く杖をしまった。
レオンの横へ、シルヴィアが座る。
「二階の空き部屋を借りました。今夜は屋根の下で休めます」
「見張りの交代は?」
「決めました」
「負傷者の寝床は」
「一番暖かい部屋に」
「君は」
彼女が瞬いた。
「私ですか?」
「走って傭兵を助けた。休む必要がある」
「殿下こそ、壁につかまっていたでしょう」
「私は走っていない」
「だから何ですか」
隣でリゼットが、皿に顔を伏せたまま笑った。
シルヴィアはため息をつき、レオンの皿にも肉を足した。
「まず食べる。それから休む。互いに、それでいいですね」
「分かった」
彼女はようやく匙を取った。
「私も、その法を守ることを誓います」
シルヴィアが静かに言った。手首へ鉄鎖紋が浮かぶ。
「危ない力だと思いました。今も思っています。だから、殿下が何のために使うのか、近くで見ます」
「止める必要があれば、言ってくれ」
「言いますよ。遠慮なく」
言われそうだ、とレオンは思った。
戸口の陰から、ベルタの娘が覗いている。
「ミナ。そこは寒いよ」
呼ばれても、少女は動かない。グスタフの肩を見て、母の方へ戻ろうとした。
大男が、自分の斧を卓の下へ押し込んだ。
「……飯は取らねえよ」
言い方はぶっきらぼうだった。
ベルタが小さな皿を運び、レオンたちから少し離れた卓へ置く。ミナはそこへ座った。
ニコが煮込みを口へ運ぶ。
熱かった。
すぐ飲み込めず、息を吐く。誰かに奪われる前に食べる癖で、また匙を入れようとすると、グスタフに皿を押された。
「落ち着け。誰も取らねえ」
「……奪わなくても、飯って出るのかよ」
ニコの声に、近くの男が顔を上げた。
誰も笑わなかった。
「働いたからだ」
レオンは答えた。
「また働けば、出る?」
匙が止まった。
この一食なら用意できた。寝床も、今夜の分は借りた。
次も出せると言うなら、その金を作らなければならない。
「出せるようにする」
ニコはしばらくレオンを見ていたが、やがて皿へ向き直った。
「じゃ、木札なくさないようにしとく」
*
男たちが二階へ上がると、酒場は静かになった。
レオンは残りの銀貨を並べた。
食事、寝床、応急の手当て。旅費の残りは、目に見えて減っている。
札に記した褒賞は、討伐素材を売れれば払える。だが、このまま毎日二十四人を食べさせ、装備を直し、七日目の賃金まで払う金はない。
レオンは一枚の銀貨を指で返した。
兵を飢えさせる指揮官を、王宮で責めてきた。
今度は自分の番だった。
「次の飯までに、やることがあるな」
空の鍋から、まだ豆の匂いがした。
食事にさえ条件を探してしまう彼らに、安心して座れる席ができたら。そんな始まりの食卓でした。
次回予告:強くなった身体にも、翌朝はやってきます。
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