第40話 敵の兵にも、湯を渡す
「そいつらのせいで、井戸を使えなかったんだ」
村の男が、納屋の隅を指した。
徴収隊の兵が二人、藁の上に横たわっている。
剣は外してある。顔は赤く、片方は水を飲む力も弱かった。
メレナは村人を診た後で、その兵の隣へ膝をついた。
「頭を、少し上げてください」
手伝ったのは、シルヴィアだった。
その姿に、男の声が尖る。
「俺たちの薬を、奪わせるのか」
レオンは、薬包の箱を持ってきた。
「村へ届けた分は、減らさない。こちらは兵のために追加した分だ」
「代金は、誰が出す」
「今は騎士団が立て替える。相手への請求は、診療の記録と別に残す」
男は、納得した顔にはならなかった。
それでも、兵の手から水桶を奪おうとはしなかった。
剣を外して動けない者を、診るかどうか。
レオンが勝ちたい相手と、今ここで苦しむ身体は、同じ顔をしていることがある。
「この者たちに何をされたか、話は聞く。薬を渡したから、なかったことにはしない」
男は、乱れた藁を足で寄せた。
そこへ新しい布を敷いた。
兵の一人が、村の男を見た。
「あんたの家にも、行った」
「覚えてる」
返事は短かった。
兵は椀を置こうとして、腕を震わせた。シルヴィアが底を支える。
「払わない家を見張れと言われた。逃げる者を止めろって」
レオンは、その言葉を今すぐ証言として書かせなかった。
熱がある。誰が何を見たかは、回復してからもう一度聞く必要がある。
「その話は、あとで聞く。今は飲んでくれ」
村の男は、患者の足元へ布を寄せた。
「死んじまったら、誰が来たかも言えねえからな」
許した言葉ではない。
レオンは頷いた。
相手が生きていれば、責任を確かめる日も残る。
メレナは薬を量り、村人用に分けた箱の蓋を閉じた。約束した分は、そこに残っている。
*
井戸の近くでは、リゼットが大鍋を見下ろしていた。
「私、騎士団の魔法担当なのだけれど」
「知っている」
「戦場では炎を撃って、ここでは湯を作るのね」
「同じ村を守る仕事だ」
彼女は片眉を上げた。
「その理屈で押す人、苦手だわ」
それでも火は、鍋底を均等に温める。
沸かした水を飲用と洗浄用に分け、柄杓も混ぜない。
井戸のそばの汚れた溝は、働ける村人が埋め直した。
レオンはその作業を、無料の徴用にはしなかった。村の代表と日数を決め、森の道を整える仕事から前払いできる分を振り分ける。
すべてを立て替えれば、街の給金が払えない。
マルコが薬草の買い取りを持ってきたからこそ、今度の荷車を出せた。
その額を、村人にも見せる。
「薬を運ぶ道を残せば、売る荷物も通る」
村の女が、家の裏の乾燥棚を示した。
徴収隊に見つからないよう、隠していた薬草だ。
「これなら、売れる?」
レオンは葉を一枚取った。
分からないので、メレナを呼んだ。
任せる方が速い仕事も、増えてきた。
*
夕方、病人の一人が粥を口にできた。
すぐには起き上がれない。次の診察は二日後に必要だ。
メレナは村に残り、レオンたちは街と中継所へ戻る。
兵の看病をする者にも、立ち会いを頼んだ。
手当てを受けた兵が、シルヴィアの手首を見た。
「これを付けないと、助けてもらえないのか」
「今、付いていないでしょう」
彼女が答えると、兵は自分の腕を見た。
何もない。
水を飲む唇が、震えた。
「領主様には……帰れるか」
「回復してから、何をしていたか聞く。帰るかどうかは、その後で決める」
甘い赦免も、従軍の取り立てもない。
兵は、黙って椀を受け取った。
納屋を出たシルヴィアが、レオンの横へ並ぶ。
「あなたの敵、増えるわね」
「私のせいで増える患者よりはいい」
彼女は小さく息を吐いた。
その夜、村に領主の布告が届いた。
村人を連れ去り、徴収を妨げた追放王子を捕らえよ。
納屋では、領主の兵がまだ眠っていた。
村の男が布告を読んで、火のそばへ置いた。
燃やしはしなかった。
「こっちの話も、誰かに聞いてもらえるんだろうな」
レオンは頷いた。
その約束を、次は街の外へ通さなければならなかった。
敵として向き合うことと、目の前の患者を診ること。その難しさを、村の人の気持ちと一緒に書きました。
次回予告:領主の城からは、この出来事がどう見えているのでしょうか。
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