第38話 森を従わせるために、来たのではない
長老の前には、焼き菓子が三つあった。
レオンは数を数えないことにした。
木の根が床を持ち上げた集会所で、エルフの老人が街の地図を押し返す。
「人間に道を開けば、次は道の先まで奪われる」
「だから、通る場所と、運ぶものを決めに来た」
「剣で決める者は、最初もそう言う」
レオンの横で、シルヴィアは剣帯を外した。
床へ置く。
警戒の必要はなくならない。だが、今の交渉に剣を触る理由はない。
長老は、エリシアを見た。
「お前も人間の印を受けたのか」
「三日間。明日の朝で終わります」
「終わった後に、外せるのか」
「任務を終え、借りた装備を返せば」
彼女は自分の腕を出した。
「私に森を譲る権限はありません。誓ったのは、私が引き受けた仕事です」
レオンは、団員契約とは別の紙を広げた。
森の入口から古い石橋まで。木を切る場所は、案内人が立ち会って選ぶ。薬草は森側の者が採り、値を決めて売る。
通路の整備に必要な働き手には、賃金を払う。
その紙に、魔法の紋はない。
長老は何度も同じ箇所を読み、指を止めた。
「森を離れない者まで、お前の兵にはしないのだな」
「はい」
「断った家へ、食料を売らないということも?」
「しない」
後ろにいた若いエルフが、息を吐いた。
彼の膝には、人間の鍋が置かれている。底に穴が開き、木の樹脂で塞いであった。
誇りだけでは、湯を沸かせない。
だが鍋のために、森ごと明け渡す必要もない。
長老は、地図を引き寄せた。
若い射手が、森を出たいと言った。
長老の目が厳しくなる。
「お前の家は、ここにある」
「戻ります。でも、木の上だけではなく、道を守る仕事を覚えたい」
レオンは口を挟まなかった。
人間の隊へ来れば報われる、と今この場で誘えば、家族の話まで自分の勧誘へ変えてしまう。
エリシアが、森へ戻る日を記した勤務の案を見せた。
「この子が決める前に、家にも条件を持ち帰ります。私が勝手に連れていくことはしません」
長老は若い射手を見た。
やがて、今日はここで食べていけと言った。
許可の言葉ではなかった。だが、話を閉じる言葉でもない。
レオンは机に残った菓子を見て、今度は半分に割って一つ取った。
長老は、何も言わなかった。
「この沢は使うな。春には水が上がる」
爪が、別の道をなぞる。
「こちらなら、冬にも荷を通せる」
*
街へ戻った翌朝、エリシアたちの紋が薄くなった。
預かった布の標識を返し、三日分の報酬を受け取る。
印は消えた。
見ていた人間の団員が、安堵の息を漏らした。
レオンは、エルフにも新しい条件を渡す。
これから一か月。護衛と偵察の任務。毎週の支払い。森の家へ戻る日も、勤務表に入れる。
「あなたが森の代表だから、五人をまとめて受けることはできない」
「分かっているわ」
エリシアは、仲間が質問を終えるまで待った。
五人とも残る。
同じ朝、期限を迎えた人間の団員たちも、新しい条件を選んだ。更新日が違う者の欄は、そのまま残す。
先日の略奪をした男は、そこにいなかった。
聞き取りで事実を認め、雇用を打ち切られた。預けた金と働いた分の報酬から勝手に罰金を引くことはせず、被害への弁償は別に記録した。
街を出る前に、彼は籠の持ち主へ頭を下げた。
それで信頼まで戻ったわけではない。
レオンはその空欄も残した。
新しく応募した八人は、今日からダリオの訓練に入る。
まだ盾列に加える名簿ではない。
走れるか。合図を覚えられるか。隣の負傷者を運べるか。
確かめる仕事が、先にある。
昼、森の使者が薬草を積んで到着した。
空になった荷車には、修理した鍋と釘を積む。
エリシアは荷台を見て、少し笑った。
「菓子の分は、別に払うわ」
レオンは頷いた。
地図の上に引かれた道へ、初めて往復の荷物が載った。
道を開く約束が、土地を奪う口実にならないように。往復の荷物に、対等な関係の始まりを感じる回です。
次回予告:今度は薬を、使える形のまま届ける仕事へ。
続きが気になったらブックマークを、面白いと感じたらページ下部の評価で応援していただけるとうれしいです。執筆の励みになります。




