第37話 森の誇りと、焼き菓子一つ
「それは、どうやって食べるの」
エリシアが真顔で聞いた。
ベルタの店の卓には、焼き菓子が一つ置かれている。
昨日救った老人が、避難先の家で礼を言いに来た。持参した蜂蜜を、ベルタが生地へ混ぜて焼いたものだ。
「手で割って食べりゃいいのよ」
「正式な作法は?」
「冷める前に食べる」
エルフの隊長は、しばらく考えた。
それから、端を少しだけ割った。
口に入れる。
長い耳が、微かに上がった。
レオンは契約の表から目を上げる。
「苦手なら、別のものを」
「いいえ。これは、食料としての性質を確かめているだけ」
エリシアは、もう少し大きく割った。
ニコが横を向く。
笑えば射抜かれそうなので、咳をした。
ミナはそんな大人の苦労を知らず、残りの菓子を差し出した。
「お姉さん、これも食べる?」
「あなたの分でしょう」
「半分こ」
小さな手が、菓子を二つに割った。
エリシアはその手を見てから、受け取った。
*
昼、レオンは倉庫で報酬の帳面を開いた。
新しい五人の食事と手当て。避難民用の寝具。荷車の車軸。
救援に出た分、街の修理をする手も減っている。
まだ払える。
だが、このまま人数だけ増やせば、来月の欄が埋まらない。
「王子の銀の留め具も、もうありませんよ」
マルコが言う。
「今度は、王子自身を質に入れますか」
「返せる見込みがない」
「そこは否定していただきたいものですが」
シルヴィアが、卓の隣へ椅子を寄せた。
粉屋から借りた部屋には、まだ敷物が足りない。
彼女の紙には、避難してきた家族がどこで眠るかも書いてあった。
「寝床を増やすなら、戸も直して。布で仕切るだけでは、夜の音が全部入るわ」
マルコが額を計算する。
「戸板を増やせば、修理を待つ店が遅れます」
「一枚ずつ付ける必要はない。家族がまとまれる場所を、先に分けたいの」
レオンは部屋の図へ印を置いた。
人を人数として数えると、寝る広さは測れる。だが、夜に子供が泣いた時、誰と一緒にいられるかは測れない。
シルヴィアが持ってくる図には、その違いがある。
「戸の修理を、薬草の箱と同じ便へ頼もう」
マルコが頷いた。
食べるものを得る計算の隣へ、眠る場所の仕事が加わった。
「私たちの給金を、止めるつもり?」
「それはしない。先に働いてもらって、払えないでは、彼らを連れてきた者と同じになる」
なら、仕事を繋がなければならない。
レオンは薬草の袋を開く。
森では使う葉も、人間の街では入手が難しい。反対に、森には鍋や釘のまとまった補充がない。
「運ぶ仕事はある。買い手と、道と、手当ての額が決まれば」
「護衛の腕なら、昨日見せたわね」
シルヴィアは車軸の傷を指でなぞった。
「でも、毎回あの坂で車を持ち上げるのは無理。道の幅も要る」
マルコが見積もりを書き始めた。
釘、板、工具。直す箇所は、橋だけではなかった。
午後、ダリオが団員たちへ雇用期間の案を読み上げた。
七日ずつの更新から、一か月単位の契約へ移す。
ただし、払う額と払う日を先に決められる仕事の分だけだ。
今の契約は、明後日まで続く者が多い。
新しい条件を受けない者にも、これまで働いた金は払う。
「長く残れば偉い、という条件にはしない」
レオンが言うと、団員の一人が頷いた。
「じゃあ、嫁と相談してからでいいですか」
「そのために、今日渡している」
紙を畳む音がした。
紋が光るより先に、来月の食事を家族と話せるようになる。
レオンは、その順番を間違えたくなかった。
*
夕方、エリシアが菓子の包みを持って来た。
「森へ持ち帰るの?」
シルヴィアが聞く。
「長老へ、街の食事を説明する必要があるから」
「四つも?」
「意見を聞く人は、複数いるの」
包みの一つが、少しだけ小さい。
シルヴィアはそれ以上聞かず、道案内用の地図を渡した。
次は弓を借りるだけでなく、森の代表と話す。
エリシアは弓と菓子を両手に持ち、少し困った。
ニコが紐を貸した。
「菓子は背負うなよ。潰れるから」
「知っているわ」
包みは、大事そうに胸の前へ移された。
森の隊長も、初めての焼き菓子には慎重です。少し上がる耳や、大事な包みを楽しんでいただけたら。
次回予告:菓子の先には、森の代表との話し合いが待っています。
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