第36話 盾は森へ、矢は仲間の背へ
矢が飛んだ時、グスタフは盾を持っていなかった。
荷車の後輪に膝を添え、斜面で滑る車体を支えていた。
「伏せろ!」
エリシアの声に、人間の盾役が頭上を覆う。
その隙間を抜けた矢が、追手の弩を弾いた。
味方の矢だ。
だが二射目は、盾の縁に当たって折れた。
「高い! もう少し下げて!」
「下げたら、後ろの爺さんに刺さる!」
盾役も射手も、相手の顔が見えていない。
街で決めた合図だけでは、曲がった坂道を測れなかった。
レオンは荷車の陰から、枝を見上げる。
車輪のすぐ脇を、弩の矢が擦った。
土へ深く刺さる。
老人の一人が目を閉じ、荷台の縁を両手で握り込んだ。
レオンは声をかけようとして、自分の声が喉へ引っかかるのを感じた。
今この車体を出れば、相手の弩からも見える。
「殿下、そのままで」
ダリオが短く言う。
盾役の肩越しに、敵の槍が揺れる。頭を下げたままでは、次の一歩も見えない。
レオンは息を吸い、車輪の下から覗いた。
足なら見える。槍役が石を避けるたび、左へ寄る。
「右側は、今なら少し空く」
ダリオは聞き、隣の盾へ指を動かした。
レオンの身体へ力が戻ったのではない。怖いままでも、見たものを渡す仕事はできた。
敵は十人ほど。村から離れた避難民を追い、森の入り口を押さえていた。槍を持つ者が前に立ち、奥の弩兵が荷車を狙う。
車には、歩けない老人が二人いる。
盾を捨てて突撃すれば、敵を追い払うより先に老人が死ぬ。
「シルヴィア。前へは出ない。車を、あの根の裏へ」
「了解。ダリオ、後輪を見て」
彼女は槍を受け流し、盾役の横へ戻った。
ニコが坂の上へ回る。
「こっち、足置ける! ぬかるみじゃねえ!」
グスタフが奥歯を噛んだ。
荷車の重さは止められる。傷を庇いながらでも、押すことはできる。
だが、坂を走り上がる足はない。
「俺の代わりに上を頼む!」
言って、初めて後ろを見た。
エリシアは頷き、幹を蹴って枝へ移った。
レオンは盾役に、左の端だけ低く構えさせる。
射手へは、ニコの上げた赤い布を示した。
盾の向こう側にいる者が、見える。
「矢を通す場所を、一つに絞る」
鉄鎖紋が繋がった。
左右の盾が中央を支え、荷車を押す腕へ、隣の者の呼吸が伝わる。
エリシアは矢を引いた。
狙うのは、人間の背中のすぐ上だ。
一瞬、指が止まる。
その人間が、約束した高さまで盾を下げた。
矢が走った。
敵の弩兵が肩を押さえ、弩を取り落とす。
同時に横から二本。
前列の脚と、槍を持つ手が射抜かれた。
「今、車を!」
大きな車輪が根を越えた。
追手が槍を投げる。
シルヴィアの剣が、その軌道を外へ逸らした。
車の陰へ入った老人が、息を吐く。
レオンは接続を解いた。短い連携でも、こめかみが脈打っている。
「追うな。向こうが退いたら、ここを離れる」
倒れた仲間を引きずり、追手が林道へ消えていく。
エリシアは、逃げる背へ向けていた矢を下ろした。
自分の矢が止まったので、ほかの射手も止まる。
守る荷車が、まだ坂の途中にある。
*
根の向こうで、グスタフが水を飲んだ。
「弓ってのは、近くで聞くと嫌な音がするな」
「盾が閉じる音も、こちらには嫌な音よ」
エリシアが、折れた矢を荷車へ置く。
大男は、それを見る。
「次は折らねえ。だが、上げろって言う時もあるぞ」
「その時は、射たない」
「それなら分かる」
レオンは二人の会話を聞きながら、車輪に布を巻いた。
勝った。
だが、盾一枚の高さを間違えれば、味方の矢で仲間を失うところだった。
荷車の修理代と折れた矢の代金を、帰ったら記録しよう。
勝利にも、次の戦いを支える勘定がある。
老人が車の縁へ指をかけた。
「あの村には、まだ薬が要る者がおる」
街へ向かう道の先で、レオンは振り返った。
助けられた車は一台。
残してきた暮らしの数は、まだ分からなかった。
味方の盾も、合図が合わなければ矢を遮ってしまう。違う得意を持つ仲間同士の、最初の連携でした。
次回予告:戦いの合間、焼き菓子を囲んでひと息つきます。
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