第30話 奪わずに食う街、鉄律騎士団の帰る場所
最初の荷車が門をくぐると、マルコは手綱を持ったまま笑った。
すぐに咳をし、喉の埃を払う。
「殿下。そちらも、ずいぶん働かれたようですね」
レオンの外套には煤がついていた。
背後の壁は、まだ濡れている。
「遅れず戻ったな」
「橋では荷を下ろしました。人が運んで、空の車を一台ずつ。積み直すのが、一番大変でしたよ」
荷台には、大麦と粉と豆がある。
包帯に使う布、釘、油。
今回は、布で包んだ薬の壺もあった。
メレナが一つ確かめ、すぐ救護の場所へ運んだ。
ボルガンは車輪から手を離し、街の壁を見た。
「焼けた所は、後で測る。先に、これを下ろせ」
荷運びの者たちが背を伸ばす。
森では獣の足跡があり、斥候が先に確認してから道を使ったという。完全に安全になったわけではない。
板の橋も、荷を積んだまま渡るにはまだ弱い。
それでも、通れる量と、必要な人数が分かった。
「次は、三日後の便です」
マルコが、買い付けの控えを渡した。
「今日の費用と、前金を返す分はこちらへ。商人たちにも、道の使い方を説明してきました」
レオンは控えを受け取った。
一度だけ飯を得たのではない。
次の荷を、次の日を、話せる。
グスタフが座ったまま、近くの若者を呼んだ。
「運ぶ時、袋を擦るな。こぼしたら、俺の飯が減る」
「あんたのだけじゃねえだろ」
「分かってんなら、丁寧に持て」
若者は笑い、肩へ袋を載せた。
パン職人が、粉の袋へ手を置く。
「竈は残った」
シルヴィアが隣へ立った。
「戸と壁を確かめました。今日は借りた焼き台で、明日から店へ戻れます」
「ああ」
職人は頷き、レオンを見る。
「あんたが運んだ型も、使うよ」
レオンは、ようやく肩の痛みを思い出した。
*
翌日の夕方、酒場には長い卓が並んだ。
戻った竈からパンが届き、ベルタの鍋には肉が入っている。
大量ではない。
それでも、鍋を覗くニコの顔には、昨夜よりずっと余裕があった。
「先に肉を取らないでください」
テッサが匙を止める。
「味見」
「一人分の味見になっています」
ニコは肉を鍋へ戻した。
グスタフが、片手で自分の皿を持つ。
肩と腿に布が巻かれ、酒はメレナに止められていた。
「一杯くらい」
「薬を飲んだので、駄目です」
「勝った日に、薬が勝つのかよ」
ベルタが彼の杯へ薄い果実水を注いだ。
「今日も、生きて飯が食えるんだ。そっちで祝っときな」
大男は杯を見て、少しだけ笑った。
オットーも、妻子と卓についた。
息子が父の包帯へ触れないよう、パンを小さく千切って渡している。
リゼットの火は、料理を保温する鉢へ移った。
ボルガンが覗き込む。
「明日の油塗りにも使えるか」
「温度の調整なら」
「いい。では、朝から頼む」
「お祝いの最中に仕事を増やすんですか」
彼女が睨むと、ニコが横で何度も頷いた。
ダリオは巡回の交代を確かめ、戻ってきた者の分の皿を残した。
街全体が、同時に休めるわけではない。
休む者と、次に休む者が、同じ飯を食べられるようにする。
レオンは卓の端で、今日の記録を閉じた。
ハーゲンは拘束中だ。領主の代理人だったことを理由に、放火と襲撃の責任が消えるわけではない。
襲撃の証言と募集の紙、拘束者の名を王国の行政窓口へ送り、独立した審理を求める。バズと市場の用心棒についても、被害者の確認を終えた記録を揃える。
街道を握る領主本人は、まだ隣領にいる。
鉄律騎士団が王国から正式な自治を認められたわけでもない。
ただ、ここへ入れた私兵は退いた。
上納を取るための用心棒も戻っていない。
民は、次に何を払うか、何のために払うかを、尋ねられるようになった。
修理の順番は掲示した。焼けた倉を先に、次に生活へ支障のある家。新しい軍用装備は、その後だ。
全てを一晩で直せはしない。
それでも、困った者の名を帳面から消さないと決めた。
酒場の奥で、給仕が片方の靴で床を鳴らした。
楽器を持ってきた男が、短い曲を弾く。
手拍子が増え、卓の間で二人が踊り始めた。
ニコが誘われ、テッサへ助けを求める。
「足、速いんでしょう」
彼女は笑って、助けなかった。
レオンも顔を上げる。
戦場で使うには、ばらばらな足音だ。
誰も、揃えようとはしなかった。
*
酒場の外へ出ると、灯りはまだ市場へ続いていた。
シルヴィアが、戸口から来る。
今日は髪をまとめている。鎧は外し、剣だけを腰へ残していた。
「また、記録をしに?」
「いや。少し静かな所で休みたかった」
彼女は隣へ立った。
手の甲に、浅い傷がある。倒れた棚から人を引いた時のものだ。
レオンが見ると、彼女は掌を返した。
「手当ては済みました。殿下の方こそ、短剣を落としたと聞きましたよ」
「受けられなかった」
「一人で受けないでください」
レオンは頷いた。
「君も、倉へ入った」
「見張りがいました。あとから、皆も来た」
言って、彼女は少し目を伏せた。
「でも、最初は急ぎました。誰かを残したまま、敵が来ると思ったら」
レオンは、煤で顔の見えなかった二人を思い出した。
「次は、危ないと思った時に知らせてくれ」
「殿下も」
「知らせる」
シルヴィアが、彼へ顔を向けた。
「今度は、紙に書くだけではありませんよ」
「実行する」
彼女の口元が緩んだ。
酒場から、ニコの大きな声がした。
踊る時にも仕事を増やされたらしい。
二人は同時に笑い、しばらくそのまま灯りを見た。
王宮を出た時、レオンは人の名を記した紙を持っていた。
帰らなかった十九人。
今、手元の帳面には、明日働く者と、明日は休ませる者の名がある。
記録の意味が、少し変わった。
翌朝、ミナが酒場の扉を開けた。
もう、戸の陰に隠れたままではない。
「お母さん。人が来てる」
街門から、荷物を背負った家族が歩いてきていた。
擦り切れた靴。抱えた毛布。
男が、門の見張りへ頭を下げる。
「アイゼン領から来ました。こちらなら、仕事をして食べられると聞いて」
レオンは、戸口へ出た。
ベルタが、鍋へ水を足す。
ニコが空の椅子を運び、グスタフは邪魔になる槍を壁へ立てかけた。
「まず、話を聞こう」
レオンが言った。
朝の街へ、パンの匂いが広がっていった。
ここまで30話、お付き合いありがとうございます。帰れる街の食卓を、彼らと一緒に迎えていただけてうれしいです。
次回予告:その街を頼りに、外から人がやってきます。
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