第22話 裏切りの印は出ない――仲間が隠していた手紙
オットーが、皿を残して立った。
ニコは、その背中を見た。
夕食の途中で出ていく男ではない。
初めて飯が出た日は、鍋を洗う順番まで待っていた。盾の紐を直す仕事も、いつも最後までしている。
「どこ行くんだよ」
ニコが声をかけると、オットーは扉へ手を置いたまま振り返った。
「ちょっと、用が」
「粉屋? 俺、帰りに――」
「一人で行く」
顔が、固かった。
オットーが外へ出る。
ニコは自分の皿を卓へ置いた。
ベルタが振り向く。
「あんたも残すのかい」
「帰ったら食う。片づけないで」
戸を開ける前に、手首を見た。
紋は静かだ。
何も悪いことがない、ということではない。
ニコは一度、裏庭へ回った。
*
「尾行なら、距離を取ってください」
テッサは話を聞くと、巡回の団員へ交代を頼んだ。
「また、二人かよ」
「嫌なら、ここで待てます」
ニコは待たなかった。
オットーは市場を抜け、街門の内側にある空き店へ入った。
窓から、灯りが漏れている。
ニコは向かいの物干しの陰へ寄った。テッサが、もう少し下がるよう肩を押す。
店の戸が細く開いた。
知らない男が、紙を差し出している。
「奥さんの字は、分かるだろ」
オットーの手が震えた。
「二人に、何をした」
「借りた金の話をしてるだけだ。お前がこっちで稼いでるから、取りに来た」
「給金はある。払う」
袋を差し出す。
男は受け取らなかった。
「それで足りると思ってるのか。利子も、連れてきた手間もある」
「何が欲しいんだ」
男が、別の紙を渡した。
「王子の見張りの表だ。今度の朝の分を、明日、ここへ持ってこい。誰が裏門にいて、いつ交代する」
ニコは息を止めた。
テッサの指が、腕へ触れる。
飛び出すな、という合図だった。
「それは、できない」
オットーが言った。
「できるさ。見張りが一人減るくらいで、街は潰れない」
男は紙を押しつけた。
「断るなら、倉にいる二人の飯を止める。殿下に話すのも同じだ」
戸が閉まる。
オットーはしばらく動かず、やがて紙を胸へ入れた。
足が、酒場と逆の方向へ向く。
ニコは物干しの陰から出た。
「オットー」
男が振り返る。
手は、剣へ向かわなかった。
紙を押さえたまま、一歩下がる。
「聞いたのか」
「全部じゃねえ。二人って、誰」
オットーは答えなかった。
テッサが、店から見えない路地を指した。
「こちらへ。まだ、あの者の要求は実行していませんね」
男は彼女の顔を見た。
「俺は、表を渡してない」
「なら、そのことを先に伝えましょう」
「王子へ?」
男が手首を握った。
「仲間を売るなって、あの法があるだろ。俺、こんな話を聞いて――」
ニコは自分の紋を見せた。
「聞くだけで罰なら、俺らも止まってるだろ」
言ってから、確信があるわけではないと思った。
分からない。
だから、聞きに行くしかない。
「俺も一緒に行く。間違ってたら、一緒に聞き直す」
オットーは、ようやく息を吐いた。
「……妻と、息子だ」
低い声だった。
「隣の村にいるはずだった。俺が給金を持って帰るまで。向こうで借りた金のせいで、二人を連れてきたんだ」
ニコは、昼にグスタフが包んでいたパンを思い出した。
家へ戻る者へ持たせた、あの包み。
オットーにも、戻る場所があった。
「倉の場所は、分かる?」
テッサが聞いた。
「西の、昔の皮屋。外に鍵がある」
「まず、そこを確かめます。殿下へ話す間、一人にしません」
ニコは男の横へ回った。
捕まえるためではない。
今度は、逃げる道を一人で選ばせないためだった。
紋が静かでも、困っていないとは限らない。気づいて声をかける仲間がいることを、大事にしたいです。
次回予告:話してくれた言葉を受けて、王子たちが動きます。
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