第2話 民から奪うことを禁ず――破った頭領は膝をつく
悲鳴は、街門近くの酒場から聞こえた。
扉を開けると、倒れた椅子と割れた皿が見えた。大柄な男が卓を占領し、その脇で細面の男が女主人の腕を掴んでいる。
「今月分が足りねえって言ってんだよ、ベルタ」
「先週も払った。客まで追い出されちゃ、金なんて残るかい」
女主人の後ろに、少女が隠れていた。
レオンと目が合うと、少女はさらにエプロンを握り締めた。
「バズ。その手を離せ」
シルヴィアが前へ出る。
細面の男は笑った。
「また女騎士様か。俺を斬ったら、今夜この店を誰が守るんだ?」
奥の大男が立った。顔の傷と無精髭。剣よりも、その肩幅が目についた。
「お前の上役から言われてるだろ。俺たちに手を出すなって」
店の隅でも男たちが動く。戸口の外にも足音がある。
シルヴィアの剣が強くても、離れた場所で同時に民を襲われれば間に合わない。
「頭領は君か」
レオンが尋ねた。
大男の目が、黒い外套と銀の留め具をなぞる。
「グスタフ・バルドだ。お前は?」
「レオン・ヴァルゼリア」
一瞬、店が静まった。
先に吹き出したのはバズだった。
「ああ、噂のハズレ王子! 本当に流されてきたのかよ」
「この街で暮らすには、護衛がいるぞ」
グスタフは椅子へ戻った。
「俺たちを雇えば、寝床くらいは守ってやる。王子様には高くつくがな」
「では、雇おう」
シルヴィアが振り返った。
「殿下!」
「条件がある」
レオンは卓に記録帳を置いた。
「七日間。この街の防衛と巡回を行う。食事と寝床を支給し、賃金は七日目に払う。魔物討伐の利益も、役割に応じて分ける」
「いくらだ」
金額を告げると、グスタフの目が細くなった。
王族に雇われたという看板なら、商人にも幅が利く。彼が指で卓を叩きながら考えている間、バズはベルタの腕を離した。
「ただし、私の組織の法を守れ」
レオンの指先から、黒い文字がほどける。
一、民から奪うことを禁ず。
一、命令なき私闘を禁ず。
一、敵前逃亡を禁ず。
一、仲間を売ることを禁ず。
一、弱き者を害することを禁ず。
法文が卓の上に並んだ。
「違反すれば身体が止まり、痛みを受ける。重大な違反は魔力を失う。守る相手や仲間を故意に死なせる背信には、命を失う裁定もある」
「怖い怖い」
バズが肩をすくめる。
「王宮じゃ火もろくに出せなかったんだろ? 急に死刑執行人になれるのかね」
「受けないなら、それでいい。七日後は更新しなければ終わる。途中でも、平時に装備と仕事を引き継げば退出できる。ただし任務の最中に仲間を置いて逃げることは認めない」
出入口に近い若者が、そっと手を挙げた。
「それ、怖くなっただけでも罰なの?」
「行動を罰する。怖いと思うことは違反ではない」
「じゃ、腹減ったと思うのも?」
「それも違反ではない」
「よかった。俺、一日中罰受けるとこだった」
何人かが笑った。若者はニコと呼ばれていた。
グスタフが法文を眺める。
「俺たちだけ従って、お前は好き勝手か?」
「私も従う。違反すれば同じ裁定を受ける」
レオンが先に言った。
「この法を守り、街を防衛することを誓う」
手首の鉄鎖紋が、はっきりと浮いた。
グスタフは、それを見ても笑みを消さなかった。
「いいだろう。俺は条件を受ける」
頭領に続いて、男たちが口々に誓約する。店の外から覗いていた者も加わった。隅にいた短杖の女も、食事の条件をもう一度確かめてから頷いた。
二十四人。バズも、ニコも、その中にいた。
それぞれの手首に、細い紋が宿る。
「【局中法度】」
レオンが名を告げると、法文は消えた。
力がつながった感覚がある。誰が何を考えているかは分からない。ただ、今は確かに、誓った者たちと同じ組織にいる。
「じゃあ早速、護衛料の回収だな」
バズがベルタの腰から革袋を引いた。
「待て。今、奪うなと言った」
「仕事の前金さ。文句があるなら――」
少女が母の腕にすがった。バズは舌打ちし、その小さな手を払いのけようとした。
腕が、空中で止まる。
「……あ?」
黒い鎖が手首から肩へ走った。
バズの顔が歪む。袋を握った指が開き、硬貨が床へ散った。
「ぐ、あああっ!」
身体が折れ、膝が床を打つ。
耳元で震えていた小さな魔法の飾り火が、ふっと消えた。男は魔力を込め直そうとして、息を詰まらせた。
レオンの前に裁定が浮く。
――民への略奪。保護対象への故意の加害。
――行動停止。魔力封印。
「ベルタ。袋を拾ってくれ」
女主人は動かなかった。
少女が母を見上げ、レオンを見た。
「……お母さんの、お金?」
「そうだ。返ってきた」
その声で、ベルタがようやく屈んだ。
「てめえ、何をした!」
グスタフが斧を引き抜く。
レオンの背後で、シルヴィアの剣が鳴った。だが、斧は振り下ろされなかった。
大男の腕に黒い鎖が走り、身体が床へ落ちる。
――命令なき私闘。
斧を支えようとした肩が震え、グスタフは片膝をついた。
さっきまで笑っていた者たちは、誰も声を出さない。
「私は、先に条件を伝えた」
レオンは頭領を見る。
「民を守るために雇った。民を襲うことは、君たちの仕事ではない」
シルヴィアがバズを拘束した。ベルタと少女の間に身体を入れ、それからレオンへ目を向ける。
「本当に、殿下にも同じ法が及ぶんですね」
「及ぶ」
彼女はしばらく紋を見つめていた。
その時、外から男が駆け込んだ。
「東の丘にオークだ! 群れで来てる! でかいのもいる!」
グスタフが顔を上げる。
「……ガルムドか」
名前を聞いただけで、誰かが椅子を倒した。
レオンは店内の盾と槍を見回した。
「動ける者は街門へ。まず、守る場所を決める」
自分も例外にならない掟。シルヴィアが確かめた一言を、大切にしたい回でした。
次回予告:寄せ集めの盾で、街を守る初めての戦いへ。
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