第16話 街を守らなかった領主が、守った王子へ請求する
ハーゲンは、卓へ書状を置いた。
ベルタの酒場の窓からは、まだ市場の灯りが見える。
シルヴィアは預かったパンを小皿へ移し、レオンの隣に立った。髪はほどいたままだが、腰の剣へ手が届く位置を選んでいる。
「こちらへ来るまでに、随分と賑やかな光景を拝見しました」
ハーゲン・ロートは、丁寧な口調で言った。
「アイゼン卿も、お喜びになるでしょう。街の税収が戻る兆しですから」
書状には、領主の印と金額があった。
街道維持費。臨時警備費。未納分の整理。
レオンは、臨時警備費の欄を指した。
「警備を行ったのは、誰だ」
「卿が認めた用心棒組合です」
「昨日まで、市場の商人を脅していた者たちか」
「役目に不適切な者がいたなら、こちらで改めます。拘束した者は、引き渡していただきたい」
シルヴィアが答えた。
「被害者の証言を取っています。罪の疑いがある者を、雇い主へ返すだけでは済みません」
「騎士殿。領主の認可を持つ相手に手を出したことは、軽い問題ではありません」
声は、少しも荒くならなかった。
レオンは別の紙を出した。
魔物の討伐、救護、破損した装備。市場で押収した品の一覧。
「街道維持費を取るなら、修繕した場所の記録を。警備費を取るなら、守った場所と日を示してほしい。オークが来た朝、卿の警備はどこにいた」
「あらゆる災害を防ぐと、お約束した費用ではありません」
「なら、何の対価だ」
ハーゲンは紙を引き寄せなかった。
「街へ入る物資を、今後も滞りなくお届けするための費用です」
マルコが、卓の端で眼鏡を直した。
その手が、少し遅い。
「加えて、殿下の私設部隊について」
ハーゲンは二枚目を広げた。
「防衛へのご尽力は認めます。ただし、各商人から個別に護衛料を取り、認可のない市場取引を始められては、既存の契約と競合します」
「取引を禁じる法は確認していない。街道の通行料も払った」
「法だけで商売が続くと思われるなら、これからお確かめになれるでしょう」
レオンは彼を見た。
この男は、剣で騎士団を破る必要がない。
倉の扉を閉めればいい。
「鉄律騎士団を解き、団員を組合の警備へ移すこと。徴収の窓口はこちらへ返すこと。それが、最も穏便な整理です」
グスタフが、壁際で腕を組み直した。
「俺たちを、あいつらの下へ戻せってか」
「経験をお持ちです。適切な働き口になります」
ハーゲンは、彼にも礼儀正しく答えた。
「魔物が来たら、また店の奥へ隠れてろって?」
「無用な挑発は、お控えください」
レオンはグスタフへ片手を上げた。
止められた大男が黙ると、ハーゲンの口元に満足そうな形が浮かぶ。
「殿下なら、ご理解いただけると――」
「解散はしない」
レオンが言った。
「民の金を取るために、民を脅す組織へ戻すこともない。街道の正規の負担は確認する。だが、根拠のない警備費は払わない」
ハーゲンは、初めて瞬きを長くした。
「街の店を、殿下の正しさのために困らせるおつもりですか」
「困らせると決めるのは、君だ」
マルコが小さく息を飲んだ。
ハーゲンは書状を畳んだ。
「明日の荷から、取引条件を見直します。未納のある街へ、信用だけで品を出すわけには参りません」
「その通知も、書面で残してくれ」
レオンは白い紙を渡した。
ハーゲンは迷わず書き、名を記した。
「記録がお好きですね」
「金も物も、来なかった時に確かめる必要がある」
男は立ち、シルヴィアへ一礼した。
外へ出る前、窓の向こうを見た。
人が並ぶ焼き台。小さな灯り。
「いつまで続くか、楽しみにしています」
*
馬の音が遠ざかると、マルコが椅子へ座った。
「南の市場にも、圧力をかけるつもりでしょう」
「独立した市場では」
「店が全部、卿の世話になっていないわけじゃありません。それに、主街道の検問を閉められれば、買えても運べない」
レオンは紙へ、確認する店の名を書いた。
ベルタが市場から戻ってくる。
「あの人、何しに来たんだい」
レオンは、書状を隠さず説明した。
彼女は最後まで聞き、小皿をレオンの前へ押した。
冷めかけたパンが一つ、残っていた。
「今あるうちに、食べときな」
レオンはパンを取った。
窓の外では、ミナが母を呼んでいる。
戻ったばかりの灯りを、消させるわけにはいかなかった。
誰が街を守り、誰が費用を請求するのか。冷めかけたパンの向こうに、別の戦いが見えてきました。
次回予告:荷が届かない日々は、食卓にも影を落とします。
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