第15話 辞めてもいい朝、それでも残った無法者たち
最初の契約が終わる日、酒場の卓に銀貨が並んだ。
売却した素材の持分。
七日分の給金は、昨夜、帰還後に渡してある。今日の精算と混ぜず、それぞれの記録と照らして渡す。
ニコは木札と銀貨を交互に見た。
「……ほんとに、この分もある」
「札をなくした者も、帳面と照らして確かめる」
レオンが言うと、奥で一人がこっそり手を挙げた。
テッサは、予想していたように別の紙を出した。
負傷して寝ている者の分も取り分ける。
見張りの引継ぎが済み、出入口を閉めないまま、レオンは新しい契約を読み上げた。
次の期間。仕事。支払う日。追加した法と、離れる時の手順。
「今日で終える者は、貸した装備を返してほしい。給金も、確定した持分も渡す。次の誓約をしないことは違反ではない」
しばらく誰も動かなかった。
やがて、細い男が槍を卓へ置いた。
「妹の所へ、戻りたい」
声が小さかった。
「南の村にいる。去年から、手紙も出してねえんだ」
グスタフが彼を見た。
「お前、妹いたのか」
「言ってねえ」
「そうか」
大男は、それ以上聞かなかった。
ダリオが槍を受け取り、点検する。
レオンは男へ、最後の持分を入れた袋を渡した。
「出る時刻は」
「昼の荷車に乗る。商人に話をつけた」
「それなら、街門で見送りを頼もう」
男は袋を握ったまま、手首を見た。
引継ぎと精算が終わると、黒い文字が薄くなる。
鎖は出なかった。
グスタフが、パンの包みを持たせる。
「途中で食え」
「いいのか」
「俺の分だ。文句あっか」
男は笑った。
戸を開け、明るい道へ出ていく。
皆がその背中を見ていた。
「……本当に出られるんだな」
ニコが呟く。
「出られる」
レオンは答えた。
ニコは自分の袋を開いた。
これだけあれば、しばらく一人で食べられる。見知らぬ街へ行けば、王子にも副官にも仕事を増やされない。
テッサが彼の名前のある紙を、卓の手前へ寄せた。
「考えるなら、時間を取れます」
「俺がいなくても、裏道の地図は残るだろ」
「ええ。でも、地図に聞き返すことはできません」
「……それはそうだけど」
ニコは銀貨を袋へ戻した。
「次も、俺の名前をそっちに書いといて」
テッサは勝手に記さず、筆を彼へ渡した。
ニコの字は、最後だけ少し歪んだ。
新しい期間を確かめ、もう一度、誓約の言葉を口にする。
手首へ光が戻った。
「休む時間も書けよ」
「書いてあります」
「小さい。もっと大きく」
テッサがその箇所を、二本線で囲った。
*
夕方の市場には、灯りがあった。
直した壁に小さな店が戻り、大麦の粉を使う焼き台の前へ人が並ぶ。
ミナはベルタの手を離さず、初めて二人で店の間を歩いた。
以前なら、用心棒がいた角で足を止めていた。
今日は、その角の向こうから甘い匂いがしている。
「見てきていい?」
「一緒に行こう」
ベルタが言った。
グスタフは約束の一杯を大事そうに飲み、二杯目は自分の給金で払った。
リゼットが火鉢へ小さな火を移す。
「そんなに簡単につくなら、名前、短くていいんじゃねえの」
ニコが言うと、彼女は火鉢の陰へ紙をしまった。
「火起こしに名前はありません」
「今、何隠した?」
「仕事を増やしてほしいんですか」
ニコはすぐ焼き台へ逃げた。
レオンは店の端から、人の流れを見ていた。
食料は入った。給金も渡せた。
まだ毎日の収入は足りないが、今日、この街を出たい者は出られた。残る者は、次の仕事を話している。
「殿下」
振り向いて、返事が遅れた。
シルヴィアが立っている。
鎧を外し、濃い青の上着を着ていた。いつもまとめている髪が肩へ落ち、灯りの中で淡く透ける。
剣は腰にあるのに、見慣れた騎士とは少し違った。
「何か、おかしいでしょうか」
「いや」
レオンは彼女の顔へ目を戻した。
「その方が、楽に休めるかと思って」
「休むためだけに選んだ服ではありません」
シルヴィアは言ってから、少し視線を下げた。
レオンは何と答えるべきか考えた。
見たことを、そのまま言うしかない。
「よく似合っている」
「……ありがとうございます」
彼女が髪を耳へかける。
テッサが近くまで来て、なぜか途中で足を止めた。
「隊長。巡回は、こちらで引き受けます」
「交代の時刻は、まだ――」
「前倒しできます。報告は、あとで」
レオンにも一礼し、彼女は市場の方へ戻った。
シルヴィアは小さく息をつき、レオンの横に立つ。
「今日、出ていった人が、帰る場所を話していましたね」
「南の村だ」
「いつか、あの人がここにも戻れるといいと思いました」
レオンは焼き台を見た。
「仕事がある時だけでなく、か」
「はい。食事をしに来るだけでも」
彼女は市場の灯りを見ていた。
レオンも、しばらく帳面のことを考えるのをやめた。
焼きたてのパンが二つ運ばれてくる。
ひとつをシルヴィアへ渡し、熱いうちに食べた。
灯りの外から、蹄の音が近づいた。
街門の見張りが、騎乗した男を案内してくる。
胸には、隣領の紋章。
男は市場を一度見回し、馬から降りた。
「レオン殿下へ、お目通りを願います」
差し出した書状には、封蝋があった。
「ヴァルグ・アイゼン卿の名代、ハーゲン・ロートが参りました」
レオンは、シルヴィアへパンを預けた。
街の灯りを見ていた目を、使者へ向ける。
残ることも、離れることも選べる。そのうえで同じ場所にいる意味を、少しずつ育てていきたいです。
次回予告:街に届いた書状が、次の難題を持ち込みます。
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