第26話:裁判の崩壊と、友達以上恋人未満の数学
昼休みの3年1組の教室は、ある意味で恐ろしいほどの一体感に包まれていた。
本来なら担任の教師が立っているはずの教壇には、ギャル代表の市東さんが仁王立ちしている。ご丁寧に、黒板の中央には丸っこい字で大きく「裁判」と書かれていた。シュールを通り越して狂気すら感じる。
俺は教室の中央あたりにポツンと置かれた席に座らされ、そのすぐ隣には、2組から連行されてきたアヤノさんが座らされていた。
他のクラスメイトたちは教室の両脇に壁を作るように立っているのだが、リカが座っている教室の一番前、窓側の席のまわりだけは、女子生徒たちがガードするように固まっている。
ちなみに、ふと廊下に目をやると、アヤノさんのクラスメイトである2組の女子を中心に、大勢の野次馬が窓越しに教室の中を覗き込んでいた。
もはやクラス内のトラブルどころではない。すでに「1組の沢渡が2組の女子と浮気してみんなのアイドル・リカちゃんを泣かせた」という一大スキャンダルとして、学年中に尾ひれに背びれがついて、なんなら胸ひれや、腹びれ、尻びれくらいまで付きにつきまくって広まっているのだ。
弁護人もいない、味方もいない。 この状況で俺は、巻き込んでしまったアヤノさんを何としてでも守らなければならないのだ。だが、一方的にリカの「被害者ストーリー」だけを100パーセント信じ切っているオーディエンスに囲まれていては、裁判もなにもあったものじゃない。これは裁判などではなく、ただの不当な公開糾弾だ。
「こんな裁判なんてフェアじゃない。やめよう。如月さんにも迷惑がかかる」
俺は努めて静かに、冷静なトーンで発言した。だが、自称裁判長ことギャル市東さんは、その言葉を聞いた瞬間、額に青筋を立ててブチギレた。
「お前みたいな奴は女子の敵なんだよ! 自分が何したか分かってんのか!? 単に振った、振られたの話じゃないんだぞ!」
いや、単に振った、振られたの話なんだが……。 ちなみに、最初に振られたのは俺だ。思い出しても惨目でカッコ悪すぎる。
「男には分からないだろうけど、女には色々あるんだぞ!」
ギャル市東さんは教卓をバンバンと拳で叩く。そんなに強く叩いたら手が痛いだろうに、彼女自身、過去に男関係で嫌なことでもあったのだろうか。変な心配をしたくなってくる。
「如月アヤノ! お前はリカから沢渡ヨータを寝取ったよな!? 間違いないよな!?」
一応、今の問いかけは「起訴状朗読」なのだろうか、それとも「罪状認否」なのだろうか。 この私設裁判所には検察官と裁判官が兼任で配置されているらしい。人件費的にも随分コスパが良い仕組みになっているようだ。
それにしても――と俺は暗い気持ちになる。 こんな最悪な糾弾の場に引っ張り出されてしまったら、アヤノさんが呆れ果てて、俺の前からいなくなってしまうのではないかという強烈な不安感が胸を押し潰しそうだった。
そうでなくても、今の俺とアヤノさんは「友達以上、恋人未満」という曖昧な関係なのだ。 ……いや、待てよ?
(『友達以上』ってことは……集合論で言えば『友達』という範囲は含まれているよな? で、『恋人未満』ってことは……『恋人』という範囲は含まれていないってことだよな……?)
つまり、「友達以上、恋人未満」を論理的に整理すると、その正体はただの「友達」なのでは……?
(……くそっ、文系から理系を目指して数学なんて勉強するんじゃなかった! 知りたくない論理的真実を知ってしまった……!)
俺が一人で勝手に数理的思考の絶望に打ちひしがれていると、隣から小さく声が聞こえた。
「沢渡くん、何を一人でがっかりしているんですか?」
アヤノさんが、眼鏡の奥からこそこそ話で尋ねてきた。
「いや、ごめん……ちょっと自分の無力さに……」
「はい!」
俺の言葉を遮るように、アヤノさんがすっと手を挙げた。発言の意思表示らしい。 こんな圧倒的アウェイの状況下であるにもかかわらず、彼女の背筋は定規を入れたように真っ直ぐに伸びている。普段からその姿勢でいれば、それだけでみんなから一目置かれるのに。
「あなたは『寝取った』とおっしゃいましたが、秋月さんと沢渡さんは交際されていたのですか? 双方の合意があったという客観的な証拠はあるのですか?」
アヤノさんがすっと立ち上がり、裁判長であるギャル市東さんに向かって質問を投げかけた。 連れてこられた時はもう少しおどおどするかと思ったが、彼女の声は驚くほどはきはきとしていて、通りが良かった。
「そんなの、ここにいる全員が証人だよ! リカと沢渡はずっと付き合ってる!」
ギャル市東さんがドヤ顔でアヤノさんを指差しながら胸を張る。
「はい!」
アヤノさんの陰に隠れてばかりでは、男として情けなさすぎる。俺もアヤノさんの真似をして、勢いよく挙手した。
「なんだお前! 女の敵がっ!」
俺には発言権すら与えられないのか。俺涙目。だが、ここで黙るわけにはいかない。
「リカは俺を振って木村と付き合い始めただろ! 学校で告白されたみたいだし、見てた奴だっているんじゃないか? 少なくとも、二人が付き合ってるのは話題になってたから、ほとんどのやつが知ってるはずだ!」
ギャル市東さんが「あ?」と叫んで何か言いたそうにしているのを完全に無視し、俺は自分の主張を言い切った。
「はあ~~~!? 木村~~~!?」
ギャル市東さんの顔が漫画みたいに歪み、キレ具合が一回り巡ってちょっと面白くなってきてしまった。 すると、教室の端に立っていた木村が、気まずそうに、だが意を決したように少しだけ手を挙げた。
「や、僕は……秋月さんに告白して付き合ったよ。一ヶ月で振られちゃったけど……」
木村が申し訳なさそうに証言した。
「はー!? じゃあ、リカが嘘ついてるってのかよ! リカー!」
ギャル市東さんの叫び声で、教室中の視線が一斉に一番前のリカへと注がれた。 リカがハンカチの陰で、一瞬だけ「やば」という焦りの表情を浮かべたのを、俺は見逃さなかった。
何はともあれ、攻撃のベクトルをリカ本人に向けさせられたのは大きかった。こんな異常な空間で、リスクを背負って本当のことを証言してくれた木村には感謝しかない。
さあ、どうするリカ。 ここで「俺への当てつけで木村の告白をOKした」と言えば、木村から決定的に嫌われるだろうし、木村擁護派のクラスメイトたちも敵に回すことになる。木村は普段から人望があるのだ。
かと言って「木村に強引に付き合わされた」などと新たな嘘をついても、木村本人が否定すれば、自分が嘘つきであることを自ら証明してしまうことになる。
完全な詰みだ。さあ、どうやってこの場を切り抜けるつもりだ!?
「わーーーーーっ! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! 私が悪いの! ごめんなさいーーーっ!」
次の瞬間、リカは幼い子供のように大声をあげて泣き始めてしまった。
「ちょ、リカ!?」
いきなり全力で号泣し始めたリカに、さすがのギャル市東さんも慌てて取り乱し、背中を擦り始める。 理屈で勝てなくなったら涙で感情論に持ち込み、すべてを有耶無耶にする――リカの十八番だ。
そのドタバタ劇を静かに見つめていたアヤノさんが、ふうと小さな吐息をついた。
「……では。私、お昼を食べますので、失礼します」
アヤノさんは丁寧にお辞儀をすると、自分の鞄を持って、何事もなかったかのように教室を出て行ってしまった。
中心人物の一人が去り、残されたのは泣きじゃくるリカと、気まずそうにするギャル市東さんたち。 まるで土台の柱を失った欠陥住宅のように、この重々しかった公開裁判は、あまりにも歯切れの悪い形で強制終了を迎えたのだった。
――ただし。 俺の濡れ衣が完全に晴れたわけでもなければ、アヤノさんが「泥棒猫」のレッテルを貼られた事実が消えたわけでもない。最悪の空気感だけを残して、地獄の昼休みは過ぎていくのだった。




