第18話:モノ消費とコト消費
ザァァ……と、しとやかに降る雨の音が窓ガラスを叩いている。
休日の自室。俺はベッドの上で寝転がりながら、ぼんやりと天井を眺めていた。
本当なら、机に向かってガッツリ勉強したほうがいいのは分かっている。だけど昨日は木村とのやり取りやパンフレットの件など、色々と考えることが多すぎて寝るのが遅くなってしまった。頭が少し重くて眠い。こんな状態で無理に参考書を開いても、どうせページの上を目が滑るだけで大して頭に入ってこないだろう。
実際、教科書を開いてみたけど、目が滑る滑る。
こういう時は、変に足掻かず思い切って一度寝てしまったほうがいい。起きたあとに頭をスッキリさせてから集中したほうが、結果的に学習効率は上がるはずだ。
こんな「何もない日」はいつ以来だろう……。リカもうちに来ないし、アヤノさんは模試とかで遊んでくれないし。
受験生とは常に心が落ち着かないものだと思うけど、俺には少しだけ心の余裕があった。何しろ、俺には大学受験の経験がある。
なんなら一回目の人生で出題された問題の雰囲気だって、なんとなく覚えているくらいだ。
……だが、それはあくまで「城南大学経済学部」の問題だった。
今、俺が覚えるべきなのは「城東大学工学部」の問題と、その答えなのだ。
そもそも、文系と理系では『知識の覚え方』そのものが根本から違っている。
歴史の「645年→大化の改新」とか「1192年→鎌倉幕府(最近は1185年らしいが)」みたいな暗記。国語の漢字。英語の「as soon as →possible」といった熟語。
文系の受験勉強は、知っているか、知らないか。「覚えた」か「覚えてない」かという、知識の所有の有無がすべてだった。勉強とは、決められた正解をどれだけ頭の中に買い揃えるかという作業だったのだ。
だが、数学や物理はまったく違う。
「質量Mの物体に、質量aの物体が衝突する」なんて文章題、丸暗記したって何の意味もない。
水平にぶつかるのか、糸で吊るされて弧を描きながらぶつかってくるのか、はたまた上から自由落下してくるのか……条件によってパターンが無限に存在しすぎるのだ。
だから「暗記」じゃなくて、「理解」が必要になる。
問題文を読んだ瞬間、頭の中で「物体Mに物体aがぶつかった時のエネルギーの伝わり方」をリアルタイムでシミュレーションしないと解けない。
はっきり言おう。
――めちゃくちゃワクワクする、と。
楽しいやんか、これ。
漢字や年号を一秒でも早く思い出して機械的に即答していた、一回目の大学受験。
けれど物理は、急いだところで答えには辿り着かない。現象の理屈をちゃんと理解して、頭の中で組み立てないと先へ進めないのだ。
それは、あの太宰府天満宮で見た梅が枝餅作りマシーンが、規則正しくガチャガチャと動いていた光景にも似ていた。カムやギアがどう噛み合って動くのかを頭の中でちゃんとイメージできて初めて、正しい答えという成果物に辿り着く。
たぶん俺は、昔からこういう風に思考を巡らせるのが好きなのだ。
ふと、一回目の人生の大学時代に習った経済学の講義が頭をよぎった。
「覚えた」か「覚えてない」かという知識の所有は、俺にとって「モノがあるか」「ないか」に似ている。欲しい商品を買って所有する……まさに昔の「モノ消費」、つまり『消費経済』の考え方だ。経済学部で学んだこと、意外とまだ脳の引き出しに残っていたな。
一方で、物理や数学の解法は「経験」であり「想像」であり「脳内イメージ」だ。
知識を所有するだけでなく、自分の中で現象を組み立てて体験する……これこそまさに「コト消費」、現代でいう『体験経済』そのものじゃないか。
俺が本当に好きだったのは、決められた商品を買い集めるような「モノ消費」の勉強ではなく、自分の頭で体験して形を作る「コト消費」の学びだったのだ。タイムリープして二度目の人生を迎えたからこそ、俺は自分の本当の「好きなこと」と「可能性」に気づくことができた。
そして――この思考は、俺の周りの人間関係にまで自然と当てはまってしまう。
リカのことは、一周目の記憶があるおかげで、これから起こることも、これから起きるトラブルの避け方も大体分かっている。確定した未来、決まりきった製品、予測可能な日常。彼女との関係は、俺のイメージの中で「モノ消費(確定したモノ)」の要素が極めて高い。
一方で、アヤノさんはどうだろう。
話すたびに、俺の知らない新たな一面が次々と飛び出してきて、最高に面白い。
地味な見た目で、文学少女で、おとなしそうなのに、自ら好きで「選択的ぼっち」を選び、それでいて機械や構造が大好きで、呆れるほど知識が深くて熱い……。
予測不可能で、関わるたびに新しい驚きと体験をくれる彼女は、俺のイメージの中で「コト消費(刺激的な体験)」の要素に満ち溢れている。
「……あれ?」
雨音を聞きながら思考を滑らせていた俺は、ハッと息を呑んだ。
俺は……いつの間に、こんなにもアヤノさんの存在に心を奪われていたのだろうか。
自分の中で芽生え始めていた明確な「好意」の正体に気づき、俺は胸の奥がドクンと大きく跳ね上がるのを感じていた。




