第17話:男同士のベランダと、届かないバトン
「ちょっといいかな」
「?」
休み時間、教室で不意に声をかけられた。振り向くと、そこに立っていたのは木村タカハルだった。
同じクラスのイケメンで、サッカー部のレギュラー。インターハイへの出場も決めているスポーツマンで、とにかく女子からの人気がズバ抜けている。噂では、木村目当てに集まった女子マネージャーだけでサッカーの1チームが作れるほどの人数になったらしい。
そんな人気者が、これまた学校中のアイドル的な存在であるリカと付き合い始めたことで、彼の注目度はさらに跳ね上がっていた。誰かの恋人になったことで逆に価値が上がる現象でもあるのだろうか。……まあ、そんな心理学的な考察はどうでもいい。とにかく木村が超絶人気者だということだ。
俺たちは教室の外、ベランダへと向かった。 うちの高校は、なぜか各教室にベランダがついている少し変わった構造をしている。普段は窓もドアも締め切られているため、周囲に聞かれたくない内輪話をするには格好の場所だ。
校舎を設計した建築家も、まさか高校生が密談に使うとは思っていなかっただろう。
「えーっと……」
手すりに肘をつき、遠くの校庭を眺めながら木村が切り出した。 何を言おうとしているのか、わざわざ尋ねるまでもなかった。どうせリカのことだ。
「秋月と……また付き合い始めたのか?」
風に髪を揺らせながら遠目を見る木村。イケメンというのは、どんなポーズをとっても一幅の絵になるからずるい。
……あ、「秋月」というのはリカの苗字だ。
一回目の人生で半世紀以上も「沢渡リカ」として連れ添ってきたから、俺の脳と口は「リカ=沢渡」と記憶してしまっている。いまや彼女は結婚前の「秋月リカ」なのだから、呼び方に違和感を覚える俺のほうこそどうかしているのだが。
「いや、付き合ってないよ。……そもそも、俺とリカは最初から付き合ってなんてなかったし」 「え!? あの感じで!?」
木村が目を見開いて振り返った。無理もない。 一度目の人生の記憶があるリカは、二度目の世界でも平然と俺に抱きついてきたり、腕を絡めたり、手を繋いできた。教室で二人で向かい合って抱き合っていたなんて噂を立てられたこともあったはずだ。
だが、あれには切実な裏事情がある。 リカは俺が自分の席に座っていると、決まって周囲のイスではなく俺の『机』の上に直接座り込んでくるのだ。目の前に俺がいるから、彼女は足を広げて俺を避ける形になる。当然、制服のスカートがめくれ上がり、隙間から下着が見えそうになるのだ。
クラスの他の男子の目にとまるのを防ぐため、俺はとっさにリカの身体に引き寄せられるようにして、両太ももを外側から押さえてガードするしかなかった。結果として俺の頭があいつのお腹あたりに埋まる形になり、何を勘違いしたのかリカが俺の頭を抱きかかえてくるものだから、外から見れば『教室で熱烈に抱き合っているバカップル』にしか見えなかったのだ。あの超絶怒涛の事故をどう説明しろというのか。
「いろいろ誤解を生んでてすまん……。でも、もう少し俺と距離を取るように言ったから。俺たちはただの幼馴染だ。あいつは俺のことを家族……そう、兄弟みたいに思ってるだけだよ。夫婦みたいな意味じゃないぞ!」
「いや……。もう、振られたよ。あっさりとね」
木村は苦笑いを浮かべ、自嘲気味に息を吐いた。
「一ヶ月でも付き合ったら、僕のことを少しは好きになってくれると思ってたんだけどな。……周りからちやほやされすぎて、僕のほうに傲慢さが出てたのかもしれない」
思わず胸が痛んだ。木村はめちゃくちゃ良いやつなのだ。見た目がイケメンなだけでなく、中身までどこまでも誠実でイケメンなのだから恐れ入る。
「そんなことないだろ。部活のときも見てるけど、お前はいつも懸命だしさ。女子マネだけで1チーム作れるファンクラブ状態なんだろ?」
「はは、大げさだよ。サッカーは一人じゃできないしね。チームのやつらが面白がってそう言ってるだけさ」
謙虚で、爽やかで、気遣いもできる。この木村のどこに不満があるというんだ、リカのやつは。
「沢渡がうらやましいよ。……どうしたら、秋月さんに好きになってもらえるのかな。沢渡にあって、僕にないもの……お願いだから教えてくれよ」
普通のやつが言ったらただの嫌味か自慢にしかならないセリフだ。だが、木村はサッカー部で大活躍している上に、学年成績でも常にトップ5に入る文武両道の塊である。
顔も、頭も、運動神経も、何一つ勝てる要素のない俺に教えられることなんて何もない。むしろ「前世でどんな巨大な徳を積んだら、そんな完璧な男に生まれて来られるんだ?」と俺のほうが問い詰めたいくらいだった。
そんなやつがネタ込みでこんなことを言ったのだ。それなのに、その表情は本当に悲しそうだった。
「リカがちょっと勘違いしてるだけだって。木村みたいな良い男に好かれてることが、どれだけ幸せなことかあいつは理解してないんだ。俺からもっかいちゃんと言っておくからさ。幼馴染をよろしく頼むよ」
「……沢渡は、本当にそれでいいの? 秋月さんは、心底沢渡のことが好きみたいに見えるけど」
それもそのはずだ。あのまま運命が流れていれば、俺たちは結婚し、二人の子供に恵まれ、互いを看取るまでの一生を共にするはずだったのだから。
「俺もリカのことは憎くは思ってない。ただ、あいつは俺を『家族』だと錯覚してるんだ。俺もそれに近い。隣同士で十七年ずっと一緒だったからな。……でもさ、もしお前たちが結婚して40歳くらいになったら、俺たちと過ごした時間なんてあっさり追い抜くだろ? 歴史なんてそんなもんだよ」
「……沢渡って、なんかすごく達観した考え方をするよね。なんていうか、大人っぽいというか……」
――しまつた。 約八十年分の人生を完走した老成した思考が、つい口をついて出てしまった。俺は今、ピチピチの十七歳なのだ。もっと高校生らしく青臭く振る舞わなければ!
「と、とにかく! 俺は木村のことを全力で応援してるから!」
焦りを誤魔化すように、俺は木村の肩へ軽い拳をぽんと押し当てた。
「ふふ、ありがとう。こっちこそ、よろしく。頼りにさせてもらうよ」
木村も柔らかく微笑み、俺の肩に自分の拳を返してきた。 土壇場で「頼りにしてる」なんて言葉を自然に返せるあたり、やっぱり木村のほうがよっぽど大人じゃないか――そう思いながら、俺は苦笑いを噛み殺したのだった。




