第12話:焼き直しではない今
木村とリカが付き合い始めて、ちょうど一ヶ月が経過した。
そして――リカはあっさりと木村を振って別れたらしい。
元々、木村が「一ヶ月だけでもお試しで……」と言い出したのが始まりだった。あの時はただの気休めの方便だったはずだが、リカはその言葉を都合よく盾にして、期限が来たからと切って捨てたのだ。
そんなこととは露知らず、俺はリカと顔を合わせないよう、いつもより三十分早く家を出る習慣をつけていた。
……だが、甘かった。
ある朝、目を覚まして一階のリビングへ下りていくと、そこには当然のような顔で我が家のキッチンに立つリカの姿があった。
「あ、ヨータ! おはよう! ちょうど朝ごはん出来たところだよ」
テーブルの上に並べられていたのは、俺の好きな和食の朝食だった。
「リカちゃんが朝から来てくれてね……」
母さんは何でもないことのように嬉しそうに言った。リカは幼馴染だから、うちの家族としてもリカを家族の一員のように考えているところはある。それは俺も含まれる。
リカと付き合ったり、結婚しなかったとしても、完全に切り離すことが難しいと考えている。言ってみれば、リカは元々妹みたいな存在だったのだ。八十年近い人生を共に歩んできたこともあり、今では「戦友」みたいな感情もある。だからこそ、リカが木村と付き合ったときに、何かが決定的に壊れたと思う。
一度壊れたガラスはもう戻らないように、こぼれたミルクはもう戻らないように、俺の心ももう戻ることはないのだろう。
一回目の人生で、俺が目覚まし時計をいくらセットしても起きてこないリカの部屋へ起こしに行き、身支度を急かしていたあの頃とは正反対の光景。
早起きして我が家に侵入し、俺の母親より先に朝食を作っている。
「……お前、なんでここにいるんだよ」
俺は頭をガシガシと強く掻きながら、重い足取りで席に着いた。
向かいの席では、母さんが何やら察したような顔で俺とリカを交互に見つめている。我が家と隣の家との妙な緊張感を感じ取ったのか、空気を読んで何も言わずに静かに味噌汁を啜っていた。
俺は目の前の朝食を一言も発さずに食べ始めた。作ってくれたリカに感謝しているからではない。単に食べものを無駄にするのがもったいないからだ。
だが、俺が無言で箸を進める様子を見て、リカの表情がパッと明るくなった。
自分の手料理を食べたことで、またこれまで通りの関係に戻れたとでも思っているのだろう。分かりやすいほどドヤ顔を浮かべ、胸を張って言い放った。
「私、木村くんと別れてきたから。もうフリーだから。これでいいんでしょ!」
まるで「これであなたの希望通りにしてあげたわよ」と言わんばかりの態度。
俺は最後のお茶を飲み干し、湯呑みをテーブルにカタンと置くと、リカの目を真っ直ぐに見つめた。
「もう、俺の許可なくうちに来るな」
「……え?」
笑顔のまま凍りつくリカ。
「俺たちはもう、違う道を歩き始めているんだ」
俺の冷ややかな言葉に、リカの眉がハの字に歪んだ。今さら取り繕ったり、お互いに腹の探り合いをする段階はとうに過ぎている。
なぜなら、リカも――俺と同じ『一回目の人生の記憶』を持っているからだ。
一回目の人生で、自分勝手に俺を振り回し、最終的に冷え切った関係のまま七十七年の生涯を終えた記憶。だからこそ彼女は、「結局ヨータは私と結婚するんだから」という高慢な確信を持って俺に執着していたのだ。
「なに言ってるの!? 私たちは結婚するんでしょ!?」
なりふり構わず叫ぶリカ。母さんがビクッと肩を揺らしたが、俺は視線を外さなかった。
「それは昔の話だ。俺たちは今を生きている。物語の焼き直しをしている訳じゃない」
「……っ」
俺の言葉は、言い訳の余地を与えない決定打だった。
『結婚するはずだった未来』という幻想を打ち砕かれたリカは、声もなくがっくりと肩を落とした。
二度目の人生は、過去のなぞり書きじゃない。俺の意志で、俺の足で歩んでいくんだ。




