レイヴァルの書 第1節 救済を望む魔王とホシを探す仮神(かみ)(1)
第1話を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本章では「神」「信仰」「終末」を軸に、それぞれの思惑を抱えた預言者や使徒たちの物語が動き始めます。
そして第2話では、もう一人の主人公である魔王レイヴァルがついに登場します。彼の存在が、物語にどのような波紋を広げていくのか、ぜひ見届けていただければ幸いです。
ヴァルセニア東端の地、ネルシオン。
人々が虹彩山脈と呼ぶ険しい山々に囲まれたその国は、「魔族の国」として恐れられていた。
かつて魔族は人類を滅ぼそうとし、真神クレシアと預言者エルサン率いる蒼聖軍との戦いに敗れ、この地へ追いやられた。
その戦いで魔王コルナクは討たれ、魔族は滅亡を覚悟する。
その絶望の中に現れたのが、一人の青年だった。
レイヴァル。
彼が大地へ手をかざした瞬間、黄土の平原は轟音とともに隆起し、山脈となって人と魔族の軍勢を飲み込んだ。
後に虹彩山脈と呼ばれるその山々は、両軍の墓標でもある。
魔族は救われた。
だが、その代償はあまりにも大きかった。
多くの魔族は救世主として彼を讃えるどころか、家族や故郷を奪った張本人として恨んだ。それでも人間の再侵攻を防げる者はレイヴァルしかおらず、魔族は彼を新たな魔王として迎え入れるしかなかった。
こうしてレイヴァルは、人にも魔族にも恐れられる「呪われた魔王」となった。
◇ ◇ ◇
前魔王コルナクの居城、フラウス城。
かつて多くの魔族が集い、笑い、誇りを語り合った城は、新たな主を迎えた今も静まり返っていた。
もっとも、その主であるレイヴァルは玉座に座ろうとしない。
書斎で本を読み、城壁の側塔へ登り、気が向けば草原へ出ていく。
王としての務めより、自分の興味を優先する男だった。
書斎の蔵書や愛用の枕を傷つけられれば本気で怒る。
だが、客間の銀細工や名剣がなくなっても気にも留めない。
そんな男だからこそ、城が城としての姿を保っていられるのは、一人の従者のおかげだった。
白狼人の女性、シルメア。
彼女は前魔王コルナクと、その妻フラウスが愛した城を守り続けていた。
警備も修繕も掃除も人手は足りない。
それでも毎日城内を駆け回る。
もっとも、彼女を最も悩ませているのは城の老朽化ではない。
自由気ままに姿を消す現魔王である。
「今度見つけたら、首輪でも付けて椅子に縛りつけてやります……。」
そう心に決めながら、シルメアは南東の側塔へ登った。
その視線の先、三エルド(約十八キロ)ほど離れた黄色い草原に、見慣れた黒い外套が立っている。
レイヴァルだ。
だが、その隣には一人の少女がいた。
銀色の長い髪。
透き通るような白い肌。
その姿を見た瞬間、シルメアは悟る。
「……仮神。」
胸騒ぎがした。
彼女は塔を飛び降りるような勢いで駆け出した。
黄色い草原、強い生命力を放つ 雲葉草は周囲にその色を周囲に放たんばかりである。
黄色い草原。強い生命力を宿す雲葉草は、黄金の波となって大地を埋め尽くしていた。
その波の中に、雲葉草より強い彩を放つ存在が立っていた。
銀糸を束ねたような長い髪。陽光を透かすほど白い肌。深い藍色の衣は風を受けてもほとんど揺れず、その瞳は空の青とも海の蒼とも違う、どこまでも澄み切った色を湛えている。
年の頃は十六、七にも見える。しかし、その眼差しだけは幾千年もの時を見続けてきた者のように静かだった。
人はその存在を**仮神**と呼ぶ。
神が自ら地上に降り立てぬ時、その意思を伝え、世界を見届けるために遣わす依代。人であって人ではなく、神であって神でもない、神域と俗世の狭間に立つ観測者である。
少女とも少年ともつかぬ面差しをしたその仮神は、レイヴァルへ柔らかな笑みを向けた。
「きみがボクを、いや仮神を探している、…それで合ってるかな?」
「ああ、そのとおりだ。…こういう時に**神**というものは最初に名を名乗るものとばかり思っていたが、魔王に名乗る名はないということかな?」
レイヴァルは淡々と応えて、そして問う。その声には神に対する敬意も、親愛の情も感じられないが、彼が好奇心を持っていることは理解できる。
仮神は青年の姿を見つめる。
年の頃は二十代半ばほどにしか見えない。
漆黒の髪は風に乱れたまま肩口まで伸び、日に焼けた褐色の肌は長く旅を続けてきた者を思わせる。無駄のない体躯を黒い外套が包み、腰には一本の長剣だけを提げていた。装飾は指輪一つなく、王と呼ばれる者にふさわしい華美さはどこにもない。
どこにでもいそうな旅人。
そう評してしまえば、それまでの男だった。
——ただ、その眼だけが違った。
光を宿しているのに、生きている者の熱がない。
怒りも、憎しみも、歓喜も、諦めさえも、その黒い瞳の奥には沈殿してしまっている。
仮神は眉をわずかに寄せた。
神は魂の色を見る。
だからこそ分かる。
この男は空虚なのではない。
あまりにも多くのものを抱え込み過ぎて、感情という器そのものが静まり返っているのだ。
(……これほど静かな魔王を、私は知らない。)
仮神は、自分が警戒心を抱いていることに思わず苦笑した。
――まさか、自分にこんな感情が残っているなんて。
「ああ、そうだ。」
少女は何かを思い出したように人差し指を立てる。
「名乗ってなかったね。」
白い指先を胸に添え、柔らかく微笑む。
「ボクはリシェル。」
「かつて真神を目指し、クレシアに敗れた愚かな仮神の一柱さ」
その言葉は、明日の天気でも語るように軽かった。
「だから、ボクは神様じゃない。」
「……まだ、ね。」
そう言って悪戯っぽく笑うと、リシェルは改めてレイヴァルへ視線を向けた。
「それで、魔王レイヴァル。」
「神になり損ねた候補生の一人に、何の用かな?」
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
◎ヴァルセニア用語集◎
◯ヴァルセニアの単位
* 1フェル = 約12 m
* 8フェル = 1ノル(96 m)
* 8ノル = 1ヴァル(768 m)
* 8ヴァル = 1エルド(6.144 km)
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