すれ違い
「馬鹿みたい……」
こんなところまで押しかけて、どうかしていた。
駅を目指して走ってきたが、乗車賃がないのに気付き、アデルは広場から海を眺めていた。
「アデル様。宿に行きましょう。もう日が暮れます。外は危険ですよ」
「テナさん、ありがとう。でもあと少しだけ……」
「駄目です。あなた様に何かあったら……」
「誰も心配しないわ。でももう行きます。テナさんまで危ない目には遭わせられないもの」
酔っ払いに絡まれるテナが見えた。その後すぐにダリオが駆けつけやっつけてくれるのだが。
「私はレオ様からアデル様をお守りするよう言いつかってますよ」
「面倒をかけてすみません」
ついテナに頭を下げてしまった。少し困った顔をされたが、何も言わないでくれた。
レオは責任感のある人だ。きっと最後まで自分の面倒を見るつもりだ。でも今は名を聞くのも辛い。
テナに手を引かれ、港を見渡せる宿の一室へ入った。自分には不釣り合いな贅沢な部屋にため息をつく。
「窓から見える夕日が綺麗ですよ」
「そうね。とても素敵」
アデルは窓辺からじっと次第に黒くなっていく海を眺めていた。
その頃、コーネリウスの館では宴が催されていた。協力者によっては早く帰れと追い出されるが、ここでは毎夜何かしらの宴が催されていた。
「作戦大成功に乾杯!」
コーネリウスはご機嫌だった。
今回の密輸事件が明るみに出れば、コーネリウス家は監督不行き届きを問われかねない。
美術品や宝飾品の密輸先は、これから王都へ戻って調べる必要がある。毒草は少しばかりのサンプルを残し、薬剤師の手によってすべて処分された。
だがレオの心は少しも晴れない。
グラスを手にしたまま、バルコニーから港を眺めていた。
「気分でもお悪いの? 先ほどから何もお話にならない」
「少し疲れただけだ。明日には王都へ戻る」
「ここでゆっくりなさればいいのに。父も喜ぶわ」
「それより足の具合はどうだ。いきなり噛みつくとは、やはり犬は嫌いだ」
「それは先ほどの子のことかしら。あまりあなたに懐いてないみたいだったわね」
「ミランダ。特別捜査局は君たち親子の協力に感謝している。でもそれは聞き捨てならないな。アデルは僕の……」
レオの言葉が止まる。「僕の」何と言おうとした?
「レオナルド様には婚約者はいない。そう父から聞いています」
「その情報は正しい」
「海の男は港ごとに愛人を持っています。どうかしら?」
「僕は船乗りじゃない。それに妻は一人でいい」
「私はあなたの妻になりたいなんて少しも望んではいないわ。それも望めないほどあの子が大事ですか?」
ミランダがレオの唇に自分の唇を近づけると、レオはとっさに身を引いた。
「そうだよ。僕は彼女が大事だ」
――婚約を申し込んだのは手紙の主だったから。でも今は違う。
「ふふ。なら早く行っておあげなさい。港近くのホテルよ。お姫様は最上階の部屋にいるわ」
ミランダは花瓶の花を引き抜き、レオに渡した。
「ありがとう。ああそれから、そのワインに入っている媚薬。僕には効かない」
レオは足早に去って行く。
「こんな美人を振るなんて。馬鹿な人」
平民の自分など、嫌なら突き飛ばせばいいのに、しなかった。
たまに訪れる特別捜査官。彼のために身につけた外国語。次はいつ来るだろう。
「ミランダ姐さん!」
「馬鹿! 今夜くらいはお嬢様とお呼び!」
野太い声に呼ばれて振り向くと、自分よりも体の大きい男がペコペコと頭を下げていた。
「喧嘩です。姐さんにしか止められませんよ!」
「仕方ないね。今行く」
この街を裏で取り仕切るコーネリウス商会の跡を継ぐひとり娘。それがあたしだ。
「やっぱり無理よね」
ミランダはヒールを脱ぎ捨てた。
「アデル! 話がある。ここを開けてくれ」
いくらノックしても返事はない。
隣の部屋からテナが顔を出した。
「レオ様、こんな遅い時間に何用ですか」
「テナ。すまないが一緒に部屋へ入ってくれ。アデルに詫びがしたい」
「詫びだけですか? じゃあその花束は?」
「詫びの印だ。いいから早く」
「仕方ないですね。五分だけですよ。後は明日にしてください」
「わかった」
だが扉を開けると部屋はもぬけの殻だった。
「アデル様は一体どちらへ。あっ。メモがあります」
レオがテナからメモをひったくる。
「何? 不審な船? 大小の荷箱、倉庫。これだけではわからない!」
「とにかくレオ様は先に港へ行ってください。私は皆を起こして、すぐに追いかけます」
「頼む!」
レオが走って行く。
「アデル様、どうぞご無事で」
テナもダリオに知らせようと走った。
◇◇◇
アデルは港近くの倉庫の前にいた。
部屋にあった黒い日差し避けの布を頭から被ると、すっぽり隠れることが出来た。
「どこの倉庫かな」
見えた瞬間すぐにメモを取ったが、いつ運び出されるのか気が気じゃなく、焦って一人で飛び出してきてしまった。
何か見えないかと、目をつぶる。
「駄目だ。やっぱり自分の未来は見えない」
どこからか犬の鳴き声と怒鳴り声が聞こえた。アデルは体を低くして声のする倉庫へ近づいた。
「私は樽。私は荷物……どうか誰にも見つかりませんように」
「ワンワン」
「えっ? お願いよ。静かにして」
足元に見知らぬ真っ黒な子犬がいた。アデルの匂いをクンクンと嗅いでいる。
「樽も荷物もしゃべらないぞ」
「!!!」
「アデル。ここは危険だ。戻るぞ」
レオの目が鋭く周囲を見渡した。
ほらっと、レオが干した肉を放った。子犬はそれを咥え、尻尾を振りながら去って行く。
「レオ様。ここまで来たんですから、ひとつでもお役に立ってから去ります」
「どこから去るつもりだ?」
「どこって。しーっ!」
倉庫から口元を隠した男が出てきた。
「気のせいか」
男は用を足して中へ戻って行く。
「布から出てくださいよ」
「僕が見つかったら君を逃がせない。いや逃がさない」
「はっ? いいから出て。近すぎます」
「僕から離れるな」
「あっ」
急に視界が開けた。
「お前ら、そこでこそこそと何をしている?」
先ほどとは違う、大男に黒い布を奪われてしまった。
「逢い引き中だ。わからんのか」
「レオ様!?」
「いいからこっちへ来い!」
レオは抵抗するなと目でアデルに合図する。小さく頷くアデル。
倉庫に入るとレオの目が男たちを捉える。
(……六……七……八)
まだ隠れているかも知れない。自分一人ならば逃げ切れるが、アデルがいる。
荷箱の前で犬が数匹、血を流して倒れていた。アデルは思わず駆け寄りそうになるが、レオがアデルの腰を掴んで放さない。
「酷い……」
「酷いのはその犬っころだ」
ほら見ろと、男がズボンをまくり上げる。歯形がついていた。
「お前、捜査官だな? その顔、見覚えがある。調べろ」
奥から進み出てきた男はリーダーだろう。周りの男たちを顎だけで使う。
一人がレオの下げていた拳銃を取り上げた。
「もうじき、ここへ応援がくるぞ。お前たちは逃げられない」
男が銃口をレオの胸元へ突きつけた。
「黙れ!」
そしていきなりレオの腹を蹴飛ばした。アデルは声を上げそうになったがこらえた。自分が騒げば、ますます窮地に追い込まれる。
「お前たちはここでは処分しない。面倒だが場所を移す」
この街で大きな事件を起こせばコーネリウス商会に睨まれる。船もしばらく港を使うことは許されない。沖に停泊するしかなくなる。
アデルたちは布で口を塞がれ、縄で手を縛られた。
(このまま船に乗せられる。自分のせいで本当に起きてしまう)
恐怖で震える手に、ふいに温かなものが触れた。レオの指だった。
「女は殺さない。この器量なら高く売れる」
下卑た笑いが倉庫に響く。アデルは思わず下を向いた。
「ピー!!!」
いつの間にか縄を解いたレオが口笛を吹いた。その瞬間、捜査官たちが犬とともに入ってきた。あの黒い子犬も一緒だ。
ズガーンと捜査官たちの威嚇射撃が倉庫に響いた。
「アデル、伏せろ」
レオがアデルの頭を抱え込んだ。
温かな暗闇の中、ドキンドキンとレオの鼓動が激しく打つのをアデルは聞いた。
「レオ様……」
「まだだ」
ギャンギャンと鳴いて男たちに食らいつく犬たち。抵抗出来なくなったところを、捜査官や警備隊が取り押さえた。
しばらくして、倉庫内に静寂が戻った。
「怖かったか。もう大丈夫だ。アデル?」
アデルは気を失っていた。
アデルが気づくと知らない部屋に寝かされていた。
「気がつかれましたか」
「あなたは……」
「コーネリウス家の娘、ミランダです」
「そう」
「今、レオナルド様をお呼びしますね」
「待って。テナさんを呼んでください」
レオに合せる顔がない。勝手をして危険な目に遭わせてしまった。
ミランダはベッド脇の椅子にそっと座った。
「あなたは勘違いしている」
「何をですか?」
「私はただ通訳としてレオナルド様に同行しただけ。この港には多くの船が来る。異国からもね」
「でも……」
「足を犬に噛まれてしまって、怪我をしていたんです。ほら」
ミランダはスカートの下からほっそりとした足首を出して見せると、包帯が巻かれていた。
船から下ろされた荷物を犬に嗅がせる。知らない匂いは吠えて知らせるよう訓練されていた。昔からこの港で使われる手法だ。密輸を逃さないため、夜間は犬が放されていた。それでも密輸はなくならない。
「あの方、犬が苦手だとか言って逃げるから、犬が不審者と勘違いしてね。引き離そうとしたらこの様よ」
「痛そうですね」
「とっても痛いわ。一人では歩けないくらいに」
「お大事に……」
その後の会話は続かなかった。
「もう行きますね」
そう言ってミランダは出て行った。
「なんだ。あの人も私と同じじゃない」
アデルは深くため息をついた。
あの時のレオの鼓動は嘘じゃない。思い出すたびにアデルの鼓動が早くなる。
初めて知ったこの感情。
「こんな気持ち、知らなければよかった」
レオがノブに手をかけると、中から微かに泣き声が漏れてきた。
「アデル……」
傷つけたのは自分だ。レオはノブからそっと手を離した。




