港街コーネリア
アデルはクロスフォード家で半月を過ごしていた。レオはまだ戻る様子はない。
ミラー家からは何も言ってこなかった。それも心配だが、レオが上手く話してくれたのだろう。
朝からニーナと一緒に、マナーや一般教養の授業を受ける。もともと学ぶのは好きだ。午後は子犬ミルキーの世話。あとはゆっくり読書や刺繍などして過ごした。
日に日にニーナもアデルに懐いて、時々「アデルお姉様」と呼ぶことがある。その度にアデルは「お姉様はおやめください」と言わなければならなかった。
「お二人が並ぶと姉妹のようですよ」
「とんでもない! 畏れ多い事だわ」
「本当ですよ。それにアデル様はマナーだってすぐに上達されて、お城で開かれるお茶会や、舞踏会にだって出られます」
「そうかしら。だとしたら嬉しいけれど、機会がないわね」
「レオ様はあまり華やかな席はお出にならないですからね」
仕事で必要ならば出る。レオが付き合いや娯楽で出ることはまずない。
「アデル様からお誘いしてみてはいかがでしょう」
それはできないとアデルはきっぱりと言う。
「もう少し大きくなれば、ニーナ様がお隣に立ちます。それをお見送りする日が楽しみだわ」
自分は仕事を手伝えるだけで満足だ。
「アデル様は欲がなさ過ぎます。というか鈍感ですね」
最近はマートルとくだけた話をするようになった。
使用人の中にはアデルよりも身分の高い者もいたが、誰もアデルを傷つけるような事を言う者はいない。なぜかとても大事にされていた。
「私もアデルさんが本当のお姉様だったら良かった。今までも年上の方で話相手はいたの。でもにこやかに話をするのは最初だけ。そのうちに鏡ばかり見て、叔父様の話しかしなくなるの」
「あんなに素敵な方が近くにいれば、誰でも気もそぞろになりますよ」
「アデルさんは違うの?」
「さあ。よくわかりません。レオ様は雲の上の存在。そんなところでしょうか」
自分は特別捜査官の顔を見ているからか、ものすごくときめくこともない。あの鋭い目を見たら、ただ格好いいなんて言えない。今もどんな危険にさらされているのか心配でたまらない。
「ニーナ様、アデル様。レオ様からお手紙が届いていますよ」
そこへ家令が手紙を運んできた。ニーナは一人で読むという。アデルもそれにならい、自分も部屋で読むことにした。
「えっと。うわ。これ報告書みたい。ふふ。レオ様らしい」
何処にいるかは書かれていない。でも一瞬だけ磯の香りがした。
「海か。たしか昔一度だけ家族旅行をしたことがあったな」
まだ自分が三つくらいの頃だ。リンデはまだ歩き始めたばかりで、姉と一緒に手を引いて歩いたものだ。
窓を開けると爽やかな風が吹き抜けてくる。
「海。また行ってみたいな」
その時、アデルの胸がドキンドキンと急に跳ね上がった。
「レオ様が……」
アデルは家令に頼み込み、王宮まで馬車を出してもらった。そして、特別捜査局まで走った。
誰かに伝えたい。レオの居場所が知りたい。今すぐに行かなければ、もう二度と会えないかも知れない。
捜査局の階段を駆け上がり、次々と扉を開けた。
「テナさん!」
「アデル様じゃないですか。そんなに息を切らしてどうなさったのです?」
「大変なの。レオ様に今すぐにお知らせしたいことが……」
はあはあと肩で息をするアデルに、ただ事ではないと、テナはアデルの口を塞いだ。
「ここではなく、局長の執務室へ行きましょう。すぐに副局長を呼んで来ます」
「お願いします」
水をもらい、一気に飲み干す。
とりあえず、話は聞いてもらえる。あとは信じてもらえるかどうかだ。
久々に訪れるレオの執務室。主のいない椅子を見つめていると、テナが呼びに来た。
「アデル様、すぐに出発します。お話は道中伺うとのことです」
「はい。でも……」
「お屋敷には使いを出しました。急な出動は良くあることですから」
「ありがとう。途中でニーナ様に手紙を出してもいいかしら。余計な事は書かないわ」
「ええ。それなら」
テナも同行してくれることになり、アデルも一安心。そして二人で馬車に乗り込むと、すでに副局長は乗っていた。
「ダリオ・ブラウンだ。長旅になるがよろしく頼む」
「初めまして。アデル・ミラーと申します」
「すまない。急がせてしまったな」
「ダリオ様はせっかちすぎるんです」
テナは出掛ける準備が何も出来なかったと怒っているが、アデルに文句はない。
王都の中央駅からは目的地まで汽車で向かう。ダリオが駅員に身分証を見せると、すぐに一等車の個室へ乗り込むことが出来た。
車窓を流れる景色を目で追うアデルは、行き先を聞いていなかったことに気づく。
「どこへ向っているのですか?」
「港街コーネリアだ」
やはりとアデルはうなづいた。
「私もテナも、局長から事情は聞いている。安心して話して欲しい」
まだレオは、差出人の正体を腹心にしか話していない。
「見えたのはレオ様が縛られたお姿です。暗い倉庫のような部屋。たぶん船に乗せられます」
「そんなことまでわかるのか。大したものだ」
「レオ様の手紙から磯の香りがしたので。船はなんとなくです」
「それでも十分だ。現場へ行けば、もう少し詳しく見えるんだろう?」
返事の代わりにアデルはうなずく。毎回ではないが、たしかに最初に見たものより詳しく見ることができる。だが縛られたレオの、その先を見るのは怖い。
「私を同行させていただき、ありがとうございます」
「でも君を連れて行ったら、レオにひどく叱られるな」
これから危険な現場に行くというのに、アデルに怯えた様子はなかった。唇をぎゅっと噛みしめ、レオの身を案じている。
「ダリオ様。見すぎです。観察したい気持ちはわかりますが、失礼ですよ」
「すまない。これは職業病だ」
「芸術館の件も君のおかげで事件になる前に解決したと聞いているよ」
「皆様のお力です。私一人では防ぐことはできません」
「そうか。でも君の手柄には違いない。公には出来ないが、レオが喜んでいたな」
「ダリオ様はレオ様とお親しいのですか?」
「同期だ。それに子どもの頃から奴を知っている。真面目で仕事熱心。弱点はいまだにわからない」
「隠すのがお上手なのかしら」
子犬にも怯えるレオを知るのは家族だけ。それ以外では自分一人かもしれない。アデルからやっと笑みがこぼれた。
「おっ」
レオが隠したがるのは、先を見る力だけではなさそうだ。
◇◇◇
汽車を降りると、潮の香りが一気に押し寄せてきた。
港街コーネリア。
海の女神像を中心に賑わう広場。店も多く、人が忙しく行き交う。アデルは圧倒された。これではたちまち迷子になってしまう。
「レオ様はこの街のどこにいるんですか? 一刻でも早くお知らせしないと」
「こちらです。どの街にも協力者がいて、その者の屋敷にいます」
小高い丘の上に建つ屋敷に住む商人。それがこの街の協力者だった。誰よりも情報を持つ。
美しい白壁の屋敷。窓辺を飾る色鮮やかな花。同じ国なのに異国へ来たようだ。
「ダリオ様まで来るとは。もう事件は解決していますよ。ところで後ろのお嬢さんはどなたですかな」
この屋敷の主、コーネリウス。この街はもともと彼の先祖が開いた街。統治よりも商売がしたいと、身分も平民のままだ。日に焼けた肌に、たくましい腕。時には自身で船も操る。
「世話になる。彼女は俺の助手だ。まだ見習いだがね」
「アデルです。まだ不慣れですが、よろしくお願いします」
「なんだ。ダリオ様もついに身を固めたのかと」
コーネリウスはそう言って豪快に笑った。
アデルはダリオの背にぴったりとくっついていた。ここに辿りつくまでに、何度も人にぶつかった。手荷物もないのにスリに狙われるとは思ってもみなかった。もう怖くてダリオから離れられない。
「滅多な事を言うな。レオに聞かれたら大変だ」
「まだお二人のことは内緒なんですな。結構、結構。祝いの宴はいずれ開きましょう」
そこへガヤガヤと外が騒がしくなってきた。
「レオナルド様のお帰りだ。最後は一網打尽とは流石ですな」
外へ出ると、後ろ手に縄を縛られた異国人がざっと数えて十人ほど。捜査員が男たちを囲む。
男たちは外国語で何か話しているが、アデルにはさっぱりわからない。その後ろにレオの金髪が見えた。
(レオ様、無事だったんだ)
アデルが駆け寄ろうとしたが、その足がピタリと止まり、踵を返して走り出した。
「アデル様! お待ちを!」
テナが必死に呼び止める。
「アデル! 待て! どうしてここへ来た?」
レオの声にアデルがようやく足を止めた。
「どうして? 見えたからです。でも私がお知らせしなくても事は収まったようですね」
「何が見えたんだ? 僕に説明してくれ」
「もう危険は去りました。あとはお楽しみください。では失礼いたします」
「えっ?」
「レオ! お前はわからないのか。あとで報告する!」
「……何がだ?」
ぽかんと口を開けるレオを残し、テナとダリオがアデルを追いかけて行く。
「あんなに慌てて、どうしたのかしらね」
レオの腕に絡みつく美女が微笑んだ。




