優しい嘘
「叔父様、いってらっしゃい」
「行ってくる。アデル、ニーナを頼んだ」
「はい。お任せください」
アデルの明るい声に、レオは後ろめたさを覚える。無理をさせているのはわかっている。
アデルの実家での立場は弱い。なぜあれほど気を遣うのだろう。
そしてアデルの力は秘密にしておきたい。捜査官の中には、まだ手紙を疑う者もいる。差出人を見つけ出し、罰するべきだと言う者までいた。
それに嘘つき令嬢などと実に酷い呼び名だ。せめて自分の目の届くところに置いておきたかった。
医局と薬剤局の入る建物へ向かう、レオの足取りは重い。
医局長アーティの部屋はいつ訪ねても薄気味悪い。苦いような酸っぱいような匂いが漂い、棚に置かれたガラス瓶から思わず目を背けた。用事でもなければ絶対に訪れたくない。
「これはクロスフォード局長。どこか具合でも悪くされたのか?」
医局長アーティが黒縁眼鏡の奥からレオの顔をのぞき込む。
「今、気分が悪くなった」
「ではすぐに薬を」
薬剤局長マルテスが腰を上げようとする。
「不要だ。結果を聞きに来た。あの苺から何が検出された?」
「新種の毒です。あなたを狙う者は多い。悪事をあぶり出される前に、口を塞ぎたかったんでしょうな」
「やはりそうか。あれはやけに甘い匂いがした」
レオにケーキを運んできた給仕はヴァレル伯爵家が舞踏会のために臨時で雇い入れた者で、会が終わる頃には姿を消していた。何も起こらなかったのだから、伯爵家を調べることは出来ない。
アデルには大丈夫と言ったが、本当は危なかった。食べるふりをして持ち帰るつもりだった。
「我が国では新しいの毒が見つかれば、すぐにここへ報告される」
出回る前に薬剤局が高額で引き取る。悪事を働くよりもよほど割がいい。
「だとすると異国から運ばれたか……。それは厄介だな」
「どうするつもりですか?」
「港に行くしかないだろう。部下を幾人か連れて行くが、一人薬剤師を貸して欲しい」
「もちろん。解毒の得意な者をつけましょう」
今日はもう局には戻らず、一度帰宅して準備をしなければいけなくなった。
「もう届いただろうか」
二人が待つ屋敷へ帰るレオの足取りは軽かった。
◇◇◇
クロスフォード家の庭では、侍女や護衛に見守られ、ニーナとアデルは子犬と遊んでいた。
「アデルさん! 捕まえて!」
「ニーナ様が追いかけるからですよ。慣れないうちはそっと撫でるだけにしてくださいね」
昼過ぎにはもう子犬がクロスフォード家にやって来て、ニーナは嬉しくてつい構い過ぎた。
「やっと叔父様が許してくれたのよ。本当に可愛いわね」
「レオ様はニーナ様に甘々で、お願いならなんでも聞いてくれそうですけど」
「それが叔父様ったら犬はお嫌いなの。理由は知らないわ」
へぇ。あのレオ様がね。それは良いことを聞いた。
「あら、叔父様の馬車が帰ってきた。嬉しい。こんな早くのお帰りは滅多にないのよ」
「ニーナ様はレオ様が大好きなのですね」
「ええ。大きくなったら私、叔父様のお嫁さんになるの」
「まあ。レオ様が聞いたらお喜びになりますよ」
少女らしく夢見るニーナが羨ましい。自分には目の前の現実と、他人の未来しか見えない。
そこへレオが足早にこちらへやって来た。
そしてニーナを抱き上げる。レオの顔は緩みっぱなしだ。
「ニーナ、ただいま。子犬は気に入ったみたいだな」
「お帰りなさい! 叔父様、見て! すごく可愛いの!」
「アデル、そのまま抱いていてくれ」
「レオ様、お帰りなさいませ。飼い主なら頭くらい撫でてあげてくださいよ」
「遠慮する。犬は苦手なんだ」
虎を見ても顔色一つ変えないレオが、アデルの片手にでも抱けるような子犬を怖がるとは驚きだ。
「昔の話だ。たまたま見つけた子犬が狼の子どもだった」
「もしかして、その子の親に追いかけられたのですか」
「まあ、そういうことだ」
初めて猟に連れて行ってもらえた日のこと。すぐに猟師が気づいて追い払ってくれたが、大泣きして父と兄のところへ逃げ帰った。あれは本当に怖かった。
「ふふ」
「今、笑ったな。もしかして……」
「笑っていません。それと過去を見たことはありません」
「絶対に見るなよ」
「ご安心ください。想像だけにします」
「やめてくれ」
レオの悲痛な声についアデルの目尻が下がる。自分にまで気を許してくれているようで嬉しい。
「叔父様にもそんな子ども時代がおありだなんて。もっとお話が聞きたいわ」
「ニーナまで。でもすまない。もう時間がないんだ」
「またお仕事なの?」
「ああ。少し遠くまで行く。当分は帰れない。すまない」
「そうですか……」
ニーナは寂しそうに俯く。
「ニーナ様。この子に名を付けて、きちんと躾ければ、レオ様とご一緒に遊べますよ」
「そうね。この子を連れてお散歩がしたいわ。公園には色々な犬を連れた方がいるそうなの」
貴族の間で、愛犬を着飾らせて自慢するのが流行っていた。
「ええ。レオ様とニーナ様が子犬を連れて歩く姿が目に浮かびます。必ず行けますよ」
「アデルさんも一緒よ」
「そうだな。三人で行こう。楽しみにしているよ」
レオにチラリと見られたが、アデルは笑ってごまかした。
本当は何も見えなかったが、そうなって欲しい。でも、嘘ってばれたかな。
レオはそれから慌ただしく、行き先を告げずに出掛けて行った。




