クロスフォード伯爵家
王宮にほど近い貴族街の一角。周囲の屋敷とは比べものにならないほど広い敷地を持つクロスフォード伯爵家。
見上げるほど大きな門が開かれ、馬車は静かに進む。
「うわぁー……」
「口、開いてるぞ」
「すみません」
アデルは屋敷を見上げて、また口をあんぐりと開けてしまった。
「君に紹介したい人がいる」
「はい。ぜひご挨拶させてください。私のことは何と紹介されるのでしょうか」
部下とも言えないし、友達でもない。一体私は何者なんだろう。
「心配しなくていい」
くすりと笑ったレオが屋敷へ入る。それに続くアデルの足は少し震えていた。
「叔父様、お帰りなさいませ」
可愛らしい声が聞こえたが、声はすぐに消える。
「紹介しよう。この子は兄夫婦の忘れ形見のニーナだ。もうじき十歳になる」
ニーナは事故で両親を失い、兄に代わり爵位を継いだレオが世話をしていた。
「ニーナ様、初めまして。アデル・ミラーと申します」
だがニーナはすぐにレオの後ろに隠れてしまった。
「しばらくアデルに、ニーナの話し相手と、一緒に勉強をしてもらうことにした。大丈夫、優しい人だ」
(一緒に勉強?)
確かに実家では最低限しか学べなかった。
「もうそんな方は要らないわ。私はレオ叔父様さえいればいいの」
一瞬レオの背から顔を出したニーナはまたすぐに隠れる。
「僕も一緒にいてやりたいが、すまない」
捜査官をしながら、伯爵としての責務もある。たぶん寝る間もないほど忙しいはずだ。
「アデル。この通りニーナは内気で少し人見知りなんだ。ニーナが君に慣れるまで、僕の方の仕事は休んでいい」
あまり屋敷の外にも出たがらないと言う。
「かしこまりました」
何か見えたならメモを渡せばいい。ひとつ屋根の下にいるのは何かと便利だ。
「叔父様、アデルさんは王宮でもお仕事をしているの?」
「そうなんだ。少し仕事を手伝ってもらっている」
「そんな優秀な方が、私の話相手だなんていけないわ」
「大丈夫だ。今は一段落しているからね」
アデルは膝を折り、ニーナに話しかけた。
「ニーナ様。私は男爵家の出で、伯爵家のしきたりもマナーも知りません。どうか私に教えていただけませんか? 私に出来るのは、お話したり、本を読んだり、刺繍や簡単なお菓子作り。あとは外で追いかけっこができます」
「私があなたに? それに追いかけっこ? レディが走ってもいいの?」
「レディにだって体力は必要ですよ」
こんな可愛らしい子の相手でなければ、とっくに走って逃げ出していた。
「誰かに見られたら、恥ずかしいわ」
「こんなに広いお庭ですもの。大丈夫ですよ」
「そうだ。犬を飼ってはどうだろう。それなら追いかけて走ってもおかしくないだろう」
ニーナは犬と聞いて、まさかと叔父の顔を見上げる。
「私も動物は好きです。一緒にお世話いたしましょう」
「叔父様、本当に犬を飼ってもいいのね。約束よ」
「構わない。ただし大人しい子犬ならばな」
ニーナの目が輝き、早速レオに白い子犬をねだっていた。
アデルにあてがわれた部屋はニーナの隣。ニーナの部屋を挟んだ向こう側はレオの部屋。専属の侍女までいる。いくらニーナの話相手と言っても、破格の待遇にアデルは恐縮しっぱなしだった。
「こんな広い部屋を一人で使わせていただけるなんて」
「アデル様、お着替えをお持ちしました。明日新しいものをご用意いたしますので、申し訳ございませんが、今日はこちらのドレスをお召しになってください」
所作の綺麗な侍女。手に持つゲスト用のドレスも一級品。さすが伯爵家だ。
「ありがとう。明日実家から荷物を運ばせます」
「ではもうひとつお部屋を用意いたしますね」
新しい服は不要。そう言いたかったのだが、侍女には伝わらなかった。
「……着替えなら、大丈夫です」
この屋敷に似つかわしいかは別だが。
「レオ様から仕立屋に注文するよう言いつかっております。お受け取りくださいませ。それと必要な物があればすべてこちらでご用意いたします。でもどうしても必要な物があれば、私が取りに伺いますから」
侍女のマートルがにこりと微笑む。
「特にないわ。ありがとう」
二、三日泊めてもらうだけのつもりだったが、これでは当分帰れそうにない。。これはもう一生懸命仕事に励む。それしかない。
着替えがすむと食堂へ案内された。
レオとニーナと共にする静かな食卓。空気は優しいが、アデルはどこか寂しく感じられた。
実家ではたいていバジル一家、ネロリと台所で食べていた。賑やかな食卓が恋しい。
(みんなは今頃どうしているだろう。心配してるかな)
「アデル、 どうした?」
「すみません。お食事、とても美味しいです」
アデルは何でもないと、小さく首を振った。
「叔父様、明日も早く帰って来られるの?」
「ああ。そうできるように頑張るよ」
ニーナは嬉しそうだ。それはレオも。小さな姪っ子が可愛くて仕方がない様子。
アデルはどこかほっとした。レオの優しい声も笑顔も本物。ここは安らげる家なんだ。
「アデル。後で少し話をしたい」
「承知いたしました」
「固いな。君らしくないぞ」
「はい、レオ様」
「それでいい」
アデルの眉間がピクピクと動く。こんな大邸宅に来て、普段通りに振る舞えるわけがない。今も食事中、音を立てないように細心の注意を払っていた。
夕食後、二人は場所を移してお茶を飲んでいた。レオの寝室に近い小部屋。レオのプライベートな部屋だった。緊張してカップを持つアデルの手が震える。
「僕は君に詫びなくてはならない」
突然の言葉にアデルは何事かとレオを見た。いつもの自信にあふれた声と違う。
「ニーナの両親。僕の兄夫婦は馬車の衝突事故で亡くなった。二年前の冬、大雪の日だ」
アデルの顔が強ばる。初めて捜査局へ送った手紙にはその事故のことを書いた。
――ミラー家も通う教会前の大通り。降りしきる雪で前方が見えない。滑った車輪。横転する馬車。そこへ数台の馬車が衝突した。
「あの時はまだ僕は局長ではなかった。いや。局長であっても君の手紙をきちんと読まなかったろう。でも手紙に書かれた事は、本当に起きた」
レオの切ない表情。あの時人を出していれば。兄夫婦を行かせなければ。どれだけ後悔しただろう。
「それは仕方がないです。あの手紙だけで動くなど無理な話。確証も何もない。そういうものでしょう」
レオは深く息を吐き、言葉を探す。
「兄が亡くなったあとに、続けて両親も後を追うように亡くなった。悪いことが立て続けに起こってね。手紙の主を探したいのに、忙しさを言い訳にして、重い腰を上げたのがつい最近なんだ」
たまたま耳にした嘘つき令嬢。もしやと思い、あちこちの舞踏会に顔を出していたという。
「私も何通か出した後に、お知らせするのを止めた時期があります」
知らせても事は起きた。止められなかった。自分だけが知る喪失感。それはアデルの心を軋ませた。
「それについては局長として謝罪する。防げなかったのは僕の責任だ」
手紙だけでは話しにならないと、取り上げられない物もあった。駆けつけた時はすでに遅かった事も。
「いいのです。こうして今は全部読んでくださっていたことがわかりましたから」
「もうひとつ。もし手紙の主がここにいてくれたならと願っていた。ニーナまで失うことはできない」
見つけ出したのは女性。それも年頃。何としてもつなぎ止めたい。最初はそんな下心もあったとレオは頭を下げた。
「顔を上げてください。私はちっとも気にしていませんから。ニーナ様のお相手なら喜んで勤めさせていただきます。でも、なぜ私まで勉強を?」
ニーナと一緒とはいえ家庭教師から学べる。仕事とは思えない。
「今後、必要になるからだ」
「なんだ。捜査のためですね。わかりました。お役に立てるように頑張ります」
「……君はどうして自分の未来が見えない? そうだ。僕の未来は見えないのか?」
「見えません。レオ様に危険はなさそうですね。良かったです。お話はそれだけですか? 早くふかふかのベットに潜ってみたいのですが」
「もういい。お休み」
「はい。お休みなさいませ」
笑顔を振りまきアデルが席を立つ。扉が閉まり、小さな足音が消える。
「嘘つき。泣きそうな顔で笑うなよ」
レオは椅子にもたれ、深いため息をついた。
カチャリと扉が閉まる。
疲れたから一人にして欲しいとマートルを下がらせると、アデルはベッドに身を投げ出した。
「やっぱり。私に声をかけるなんておかしいと思っていたわよ。でもね。でも……」
――偶然の出会いかと思ったが、それも嘘だった。
でも……。
アデルの胸が少し痛んだ。




