アデルは知りたい
翌朝、アデルはテナに付き添われ、捜査犬の飼育されている小屋を訪れた。昨夜の黒い子犬が気になって仕方がない。
「あのレオナルド様が犬嫌いだなんて、初めて聞きましたよ」
テナは局長の弱味を握れたと、面白くて仕方がない様子。
「真っ黒なつぶらな瞳で、私をじっと見上げてくれたの。あんな時でなければ、抱き上げていたわ」
レオが連れて来た子犬は自分を見つけ出し、助けも呼んでくれた。この街を離れる前にもう一度会いたい。もし連れて帰れるなら、引き取って育てたいくらいだ。
でも犬を連れて、どこか住み込みで働けるところなんてあるだろうか。実家には連れて行けない。リンデが嫌がる。
アデルはクロスフォード家を出るつもりだった。
「こいつだ」
「レオ様、いつの間に」
レオがあの子犬の入った籠をアデルの前に突き出す。
「帰るぞ」
「ちょっと待ってください。その子をどうする気ですか」
「連れて帰る。アデル、もうひとつ仕事だ。こいつも頼む」
「無理ですよ。だって……」
「もうニーナに手紙を出してしまった」
「そんなの、ずるいです!」
「ずるくない。先に知らせた方がいいだろう……クシュン!」
「局長、お顔が少し赤いですよ。風邪ですか? もしや犬アレルギーかしら?」
テナが代わりに籠を受け取った。
「わからん。今まで犬に近づいたことはなかったからな」
「アデル様、すぐに局長をお医者様に診せたほうがいいですよ」
「医者はいい。こんなものはすぐに治る」
レオはぷいと顔を背けた。
「えっ! もしかしてお医者も嫌いなんすか?」
「……」
「嘘でしょう。とにかくお屋敷に戻りますよ」
アデルに腕をつかまれ、レオが引きずられていく。それをテナは手を振って見送った。
「子犬作戦は良かったけど、まだひと押し足りないみたいね」
乙女心を少しもわかってない。
テナは籠の中の子犬に、くすりと笑いかけた。
「あなたのご主人様も、もう少し甘え上手ならいいのにね」
◇◇◇
「レオ様、少し過労気味だそうです。二日も休めば良くなるそうですよ」
「世話をかけた」
医者を見送りに行ったアデルは、レオの布団を掛け直した。水差しに新しい水を足し、飲みかけの薬を手の届く場所へ置き直す。
「これで大丈夫」
あとはここの使用人に任せればいい。
「アデル。話がある」
「……私からもお話が」
「先に言ってくれないか」
「はい。私の不注意とは言え、もう昨夜のような危険な目には二度と遭いたくありません。実家へ帰ります」
「それは駄目だ。ニーナが悲しむ。……僕もだ」
「もう決めたんです。それに伯爵家ではやっぱり肩が凝ってしまって」
へへとアデルが笑う。
「なら近くに家を用意しよう。そこから通ってくれればいい」
「そうもいきません。男爵家の娘にだって仕事はあるのですよ」
母に代って家計管理はアデルの仕事。それにわずかばかりだが、小遣い稼ぎに小物に刺繍をして売っていた。
「どうしても君が出て行くと言うなら、こっちにも考えがある」
「権力を無駄に使わないでください。それよりも早く治してくださいね。ああ。また見たらお手紙を書きます」
そしてアデルはレオを残し、さっさと部屋を出て行ってしまった。
「くそっ!」
レオは枕を思い切り扉に投げつけた。すると扉が開き、アデルが顔をだした。
「アデル、戻ってきてくれたのか」
返事を聞く前から頬が緩む。思わず布団を払いのけて起き上がろうとした。
「レオ様、お静かに。伝え忘れました。テナさんと先に帰ります。ではゆっくりお休み下さい」
パタンと扉が閉まる。
「ああ、もう本当に熱が出そうだ!」
レオはベッドの上で腕や足をバタつかせた。
「子どもじゃあるまいし。何してるのかしら」
隣の部屋で、アデルは昨夜の報告書を書いていた。謝罪と反省ばかりで始末書になっていたが。
しばらくして、レオの部屋が静かになる。薬が効いたのか、やっと眠ってくれたようだ。
音を立てないよう扉を開き、アデルはそっとベッドの脇に立つ。
最後に寝顔くらい見ても罰は当たらないだろう。
家族にはなれない人。でもきっと忘れられない人。
アデルの目からぽつりと涙がこぼれた。
それをそっと指で拭われた。
「おっ! 起きてたんですか?」
騙された!
もうこの人の未来なんて、見ても教えてなんてあげない!
「僕の話を聞かず出て行ったんだ。そこに座って」
「……はい」
病人に手間をかけさせるなと言われ、つい大人しく従ってしまった。
「以前君は、なぜ我が家でマナーやら勉強をするのか聞いたね」
「はい」
「伯爵夫人になってもらうためだ」
「はっ?」
急に熱でも出したかとレオの額に手を当てる。途端にレオの顔が赤くなるが、熱はなかった。
「僕は冗談は言わない。僕は君に婚約を申し込んだ。今は君のお父上に早いと言われたから保留にしているだけだ」
「保留? 私は承諾してませんけど」
「貴族の婚約は家同士の約束だ」
「古い……」
「何?」
「今は自由恋愛だって許される時代ですよ。うちの姉がそうでした」
姉ユリアは父の勧めていた子爵家次男との見合いを蹴り、大恋愛の末に商人と結婚してしまった。今は二人の子どもにも恵まれ幸せに暮らしている。
「僕らだって、そう変わらないだろう」
「何をどうしたらそう思うんですか? 教えてください」
「それは……」
レオが言葉をつまらせる。まるで尋問だ。
「それに近くに家ですって? 今とそれほど変わらないじゃないですか」
「……ならどうすればいい?」
「私にレオ様の誠意を見せて下さい。お金や権力で解決は駄目ですよ」
レオが唸る。
「誠意ってなんだ? 僕はいつだって君に真剣に向き合っていたつもりだったが、違うのか。……難しいな」
出会っていきなり婚約の申し出。知られた秘密。伯爵家での生活。今に思えばレオに振り回されっぱなしだった。いくら気を遣われても、アデルにはもういっぱいいっぱい。少し考える時間が欲しい。
それに、本当に自分が望まれているのか。レオに好かれているのかわからない。せめて何か、証拠となるものが欲しい。
しばらく考え込んだレオが、珍しく声を上げた。
「あれだ!」
レオの脳裏に浮かんだのは、子犬を追いかけるニーナと、その隣で笑うアデルだった。
「よし。僕は犬嫌いを克服する。そして三人で公園へ散歩へ行く。どうだ」
アデルがついた嘘。それはアデルが叶わないと思っていた夢だ。それを叶えてみせる。
「ニーナ様のためにも頑張って下さい。でも、それとこれとは別です。一度実家に戻ります」
「わかった。だが毎日でなくても良いから、捜査局には顔を出して欲しい。捜査でなく事務の手伝い。それならばいいだろう」
しばらくアデルは考え、うなずいた。いずれ実家を出るのに資金は必要だ。
「わかりました。それならば出来そうです」
「もうひとつ。あの子犬は捜査犬として局で飼ってもいいぞ」
「本当ですか! それなら毎日行ってお世話しないと!」
「ああ、僕も手伝う。一緒に世話をしよう。早く犬に慣れないとな」
「はい!」
ふーっと息を吐いたレオが目を閉じた。やはり顔色が悪い。アデルはしばらく隣にいたが寝息が聞こえると部屋を出た。
黒い子犬の名は何にしようかな。
あれこれ考えるだけで、少し楽しくなる。
「あれ? 結局、レオ様とさよならできてないじゃない!?」
なんか悔しい。
でもアデルの口元は笑っていた。




