初めての任務
アデルはくたくただった。こんなに目まぐるしい一日になるとは思わなかった。
早く足も伸ばしたい。なのに自室に入るとリンデが腕組みして待ち構えていた。
姉の顔を見るなり、イライラと足を踏みならす。
「お姉様、ずいぶんとごゆっくりだったわね。待ちくたびれたわ」
「あら。リンデが私の帰りを待つなんて珍しい」
「私はいつだって、お姉様が心配なの。家の評判まで落ちてしまうのよ」
家じゃない。心配は自分だけ。それに素直にレオが贈ると言っていたドレスが見たかったと言えばいいのに。
「本当に地味好みなのね」と呟くのが聞こえた。
公園から帰ると、アデルは報告書を書かされ、気づけば外が暗くなっていた。
送る時間がないというレオに代わり、テナという女性職員に連れられ、大急ぎで王宮の門前から出ている馬車に飛び乗った。相乗りだが乗り心地は悪くなかった。
「お父様は?」
「知らない」
きっとまたヴァレル伯爵からの呼び出しだ。父にまで置いて行かれてリンデはさらに不機嫌になっていた。
「リンデにお土産があるの。お菓子をいただいたのよ」
「そんなものでは騙されません。お姉様が私のレオ様を返してくれるまで、口も聞きたくないくらいよ」
せっかくリンデのために包んで持ち帰ったのに、見向きもされない。
「とってもいないし、レオ様はまだ誰のものでもないわ」
「いいえ。一緒に出掛けた。それも伯爵家の馬車で。詳しく聞きたいわね」
「少しお仕事を拝見して、図書館に行ってたのよ」
図書館はほんの三十分しか寄れなかったが、気になる本が借りられたのでアデルは満足だった。
「もういいかしら。私、疲れているんだけど」
「ただ座って、またぼーっとしていただけでしょう? それでどんなだったの?」
仕方なく、レオの仕事は古い建物の一室で、お飾りの管理職と教えた。表向きはそういうことにしているそうだ。
捜査局は王宮付きの騎馬隊についで花形職業。そこにレオが籍を置いていると言えば、リンデの目が輝く。だが“特別”は伏せておく。
「流石だわ。でも危険なお仕事ではないのね。良かった」
「そう……ね」
リンデはレオが暇なら、観劇でも何処へでも連れて行ってもらえると考えている。実際はとても危険な仕事だと知ったら、何て言うのだろう。格好いいだろうか。
「明日も王宮へ行くの。もう休むわね」
「ちょっと待って。毎日行ったらご迷惑でしょう。そんなこともわからないの?」
「違います。レオ様のご紹介で行儀見習いとして行くんです」
「ああ。要するに下働きね。それならいいわ」
いきなり不出来な姉と婚約したいなどと言うから、おかしいと思ったと笑う。
「ではお姉様はお仕事に励んでちょうだい。そのうち様子を見に行くからよろしくね」
やっと嵐が去った。服を脱いでそのままベッドに潜り込むと、楽しみにしていた本を開き、きりの良いところで閉じた。
「続きは明日。楽しみだわ」
そして目を閉じた途端に、足をばたつかせる。
「ああ、もう! 眠れないじゃないの」
また見えてしまった。
今度の場所は王宮だった。明日、レオに報告しなくてはいけない。忘れないうちにメモに残そうと蝋燭を付けた。
「王宮のどこかな。きっと私が通った場所だ。思い出せ」
大きな石が落ちてきて、ちょうど通りかかった女性のすぐ前に落ちる。ドレスからすると身分は高そうだ。
そうしているうちに、椅子に座ったまま眠っていた。
「アデル様。朝ですよ。起きてください。お迎えが来てます」
「迎え? 誰……」
まだ頭が回らない。時計を見ると朝の五時。いつもなら起き出す時間だが、今朝はもう少し寝ていたかった。
「クロスフォード様ですよ。今、リンデ様が応対しています」
そういえば昨日、捜査官は交代で二十四時間勤務と聞いた。だからって私まで早朝から行く必要はあるのかな。ない。絶対にない。
「後で一人で行きますって伝えて」
「アデル様! そんなの駄目ですよ! 起きてください!」
ネロリに服を着せられ、食堂へ行くと、レオは朝食を食べていた。料理担当のエルダーは焦っただろうな。果たして伯爵様に出せるものは我が家にあったのかしら。
「おはよう。朝早くからすまない。どうしても君に見てもらいたいものがあって」
ゆで卵を口いっぱいに頬張るレオ。ちょっと可愛いだなんて思ってしまった。だが早食いはよくない。
「君の朝食は馬車の中でいいかな」
「はい。朝はあまり食べられないので、抜いても大丈夫です」
「それはよくない。とにかく馬車に乗って。では失礼します」
父は「ああ」としか言わない。レオから何か質問攻めにあったようだ。レオは気になる事を放っておけない質らしい。
「レオ様、お待ちくださいませ。姉は少し疲れ気味なので、本日は私がお供します」
リンデに呼び止められたレオの目つきが鋭く変わる。
「僕は君に名を呼ぶ許可をした覚えはない。クロスフォード伯爵と呼ぶように」
「姉はいいのですか? そんなのおかしいです」
「おかしくなどない。ではもう行く」
リンデの顔が強ばる。そして、きっと睨まれた。もうこの家に私の心安まる場所はない。ネチネチと言われ続け、きっと針のむしろだ。
馬車に乗ると、座席に置いてあったバスケットからいい匂いがした。
「君はゆっくり食べるといい」
「それよりも妹か何か失礼な事をしたのでしょうか」
レオはぶすっとしたまま答えない。
「お願いします。お教えください」
「それは、君の噂の事だ。調べたら出所はすべて妹だった」
ようやく口を開いたかと思ったら、また不機嫌そうにしている。
「今さらですよ。それでどんな噂でしたか?」
「その……。君が裏で遊んでいると……」
「遊び? 確かに裏庭でこっそり遊んでいますね」
「何だって!」
急にレオが立ち上がったが、狭い車内。頭をぶつけ、ドサリと座る。
「まさか。君が男遊びを?」
「だって可愛くて、つい。先週は池で一緒に釣りを。私は横で見ているだけでしたが」
「相手は誰だ?」
「家の料理人エルダーの子どものディルです。先ほど召し上がった卵。あれは毎朝、ディルが市場まで買いに行ってくれるんです。まだ十歳なのにとても働き者なんですよ」
エルダーたちは長くミラー家に仕えてくれている。ディルも生まれる前から知っていた。
「そうか……」
レオの口から安堵のため息が漏れる。何を心配しているのかわからないが解決したようだ。
「王宮に出入りするとなれば色々と手続きがいる。勝手に身の回りを調べてすまない」
「いいですよ。隠し立てする事は他にありませんから」
アデルはバスケットの中のサンドウィッチをレオに差し出す。
「一緒にいただきましょう。一人では食べきれません」
「ひとつ貰おう」
レオががぶりと勢いよくサンドウィッチにかじりついた。
◇◇◇
図書館に向かい合う建物の前で、レオが立ち止まる。
「これを見ていないか?」
綺麗に掃除された歩道に、大人の拳ほどの石がひとつ転がっていた。周囲に同じような石はない。
「最近、この辺りに決まって石が落ちているそうだ。おかしいと思わないか?」
建物を見上げると、壁にはフルートを手にした天使や果物、植物が装飾されている。目立った痛みはないが、崩れて落ちてきた可能性も捨てきれない。
「昨夜、これと関係ありそうなものが見えました。実は今日その話をしようと」
これですとメモを見せる。
「やはりそうか……」
「この建物は何でしょう?」
「芸術館だ。画家や音楽家が集められている。ここを訪れる女性は多い。何か特徴は?」
「すみません。見えたのは水色の花模様のドレスだけです。楽器は持っていなかったと思います」
曖昧すぎて手がかりになりそうにない。
「その女性の顔はわかりませんが、もし前を通ったらまた何か見えるかも知れません」
「では、君は図書館から見張ってくれないか。ここに現れるんだろう?」
図書館の大きな窓からなら、芸術館の入り口がよく見える。
「無理ですよ。図書館で外ばかり見ていたら怪しまれます」
「大丈夫だ。受付嬢として座っていればいい。入り口にも近い」
「それこそ無理ですよ。資格を持っていません」
「無理無理言うな。これは捜査だ。問題ない」
「そうですか。それならば協力します」
何かピピッときたら知らせる。そんなので間に合うのだろうか。
「交代で隣に捜査官が座る。もちろん僕もだ」
レオが変装用の眼鏡をかけると、アデルにも渡された。
「おお。眼鏡ひとつで変わりますね」
「君もなかなか似合ってるぞ。さあ、行こう」
まるで二人で探偵にでもなったようだ。
「あっ」
「どうした?」
「今、少しだけ。その女性が泣いていたような」
「訳ありか。とにかく先に見つけ出そう」
「頑張ります」
アデルは即席図書館員として、レオの隣に座った。




