父と娘たち
アデルは戸惑っていた。
(これはどうしたことかしら……?)
父と同じように保安局か捜査局へ連れて行かれるかと思った。
なのに庭園に面した部屋でビロード張りの椅子に座り、目の前にはデザートが並んでいた。
あんな騒ぎを起こして、お咎めがないはずない。たとえ正しい行いをしたとしても、身分の低い者が咎められる。
きっとこれでレオ様とはお別れだ。涙で喉が詰まる。
侍女がそっとハンカチを渡してくれた。
「そろそろ王妃様がこちらへいらっしゃいますから、どうぞお使いください」
「はい」
せめてクロスフォード伯爵の婚約者として最後まで顔を上げ、背を伸ばしていたい。
しばらくして、王妃がフランシスを連れてやって来た。
「アデル。大丈夫?」
「フランシス様、申し訳ございません」
「そうじゃなくて、デザートをぜんぜん食べていないじゃないの」
「へっ?」
思わず間の抜けた声が出てしまった。この状況で食べられるほど神経は太くないつもりだった。
仕方なく目の前の苺ムースを口に含むと、フランシスは満足げに微笑む。
「本当にフランシスの言うとおり、面白い子ね」
王妃様まで笑っている。
(お二人は仲がいいのね)
そういえば、二人は義理の姉妹だった。
「アデル。ありがとう。知らずにあの花に触れるところだったわ」
「いえ。確か図鑑で見たことのある花だなと思って。お騒がせして申し訳ございませんでした」
図鑑を調べたらきっと出てくるはずだ。見えたとは言えない。
「ヴァレル伯爵夫人には、人へ贈る際に一言添えるように申しつけたわ」
「それがいいと思います」
双方ともにお咎めはないようだ。アデルは心底ほっとした。
「アデル、レオナルドを呼ぶわね」
フランシスはまだ動揺しているアデルを気遣い、侍女にすぐに捜査局まで呼びに行くよう話していた。
「いえ。帰宅したら報告はしますが、一人で帰れます」
「そう。いい心がけね。なんでも夫に頼るようでは社交界を渡ってなどいけないわ」
王妃は褒美にと、小さな花のブローチをアデルに与えてくれた。
「可愛らしい。白百合ですね」
「アデル。それはね、この一角に入れる通行証よ」
「えっ!」
見ればフランシスの胸にも同じブローチが光っていた。
「そんな大事なものはいただけません!」
「いいのよ。私が友人だと思う人に渡しているの」
アデルはブローチを胸に抱き、ただただ頭を下げ続けた。
「お座りなさい。これから面白い話を聞かせてもらうわよ」
これからが本当のお茶会だと、王妃は侍女まで近くに座らせた。
「では、皆様が想像もつかないお話を少しだけ」
アデルは貧しい中でも楽しく暮らしてきた話を聞かせた。
その夜、アデルはレオにしっかりと慰めてもらい、大いに笑われた。
「貧乏貴族の暮らしの何が面白かったのかわかりませんが、またお茶会に誘っていただけました」
「君はすごいな。社交界で敵なしじゃないか」
王妃からブローチを賜れるのはごくごく少数。ローザですら持っていなかった。
レオの口元が緩む。これで二人は公に認められる。
でも国王陛下も人が悪い。自分の未来は知りたくなくても、王妃様の未来は知らせて欲しいとは。
「アデル。これで君はヴァレルの夫人にまで目を付けられた。でも決して手は出させない」
「はい。でも多少のことは自分でも切り抜けて見せます」
「君は本当に強いな」
「だって私は温室育ちではありませんから」
「そうだった。そんな君に惚れたんだった」
レオはアデルを引き寄せる前に、ちらりと壁際に立つミランダを見た。
「えっと、明日の天気は……」
背を向けたミランダが窓を開け、空を見上げる。
レオは素早くアデルの両頬にキスをした。
翌朝、アデルがニーナと散歩をしていると、屋敷の前に馬車が止まった。
中から中年の男性が降りてくる。
「お父様!」
「ああ、アデル。心配をかけたな」
ハンスは朝になって突然、誤認だったと保安局を追い出された。
「ご無事で良かった。レオ様はもうお出掛けなの。さあ中へ入って」
「いや。すぐにユリアの家に行く」
「なぜ? お茶くらいいいでしょう?」
「時間がないんだ」
やはり父は自分を嫌っている。アデルは下を向き、唇を噛みしめた。
「お祖父様。アデルお母様を悲しませないでください」
「ニーナ。この人はニーナのお祖父様ではありません」
「アデルお母様のお父様なら、お祖父様よ」
“様”を抜いて以来、ニーナは人目のある時は叔母、二人の時は母と呼んでいた。
「お嬢様は、このアデルを母と呼んでくれるのですか?」
「アデルお母様は私を愛してくれているわ。いつもは優しいけど、きちんと叱ってくれるの」
「そうか。私はアデルにただ怒鳴ってばかりだった……」
「お父様はそれでいいのです。私は嘘つきでしたから」
「それは違う。嘘つきは私の方だった。お前に向き合うのが怖くて逃げていた。でももう逃げないと、それだけを言いに来たんだ」
「お父様……」
「これからユリアとリンデにもそれを伝えに行く。そして国中を周り、私と同じように縛られた貴族たちに話して回る」
特別捜査官の手助けが出来ると胸を張る父。こんな誇らしげな父は久しぶりに見た気がする。
「わかりました。では次にお会いするのは結婚式かしら」
父が薄く笑った。支度もしてやれずにとでも思っているのだろう。
「そうだ。これを渡さなければ」
父が懐から出したのは、小粒ながら巻きの綺麗な真珠のイヤリング。
「私がサラに贈ったものだ。ネックレスと髪飾りもあるんだが、それは二人に」
三人で喧嘩になるから、勝手にくじで決めたという。
「お父様ありがとうございます。大事にします」
「では行ってくる」
「はい。お気を付けて」
別れはミラー家の玄関で見送るような、素っ気ないものだった。
いつもと違うのは、アデルは馬車が見えなくなるまで門に立っていたこと。
(これでいいんだ……)
ここで抱きついたら、行かないでと言ってしまいそうになる。
「アデルお母様……」
「中へ入りましょうか。今日はミラー家のお祝いケーキを焼きたくなったわ」
少しバターを奮発したスポンジケーキにジャムを挟んだだけのもの。
一番ジャムの多いところはリンデ。父は甘い物はいらないと、ジャムのついていない端だけを食べる。姉と自分は太るからとリンデの皿に半分載せた。
「甘やかしていたのは、お父様だけじゃなかった……」
そして父も贔屓なんてしていなかった。
◇◇◇
「ユリアお姉様。ジョアンがやっと寝てくれたわ」
「助かるわ。最近手がかかって、子守が欲しかったのよ」
ユリアの嫁ぎ先は代々織物工場と店を営んでいた。手頃な値段で上質な物が手に入ると、顧客が大勢ついていた。
ミラー家の玄関に敷かれた足拭きも店のもの。二人はミラー家の玄関先で出会った。
「ユリアお姉様は、お義兄様の顔に騙されているのかと思っていたけれど、違ったのね」
「顔が良くても、性格が合わなければすぐに別れていたわ」
「私はもうお年寄りでも、大金持ちなら誰でもいい」
「リンデ。おかしな事を言わないで」
「だって。お義兄様より格好良い人はなかなかいないし、若くて身分の高い独身貴族なんて、そうそう現れないわよ」
「あなたは何のために結婚するの?」
「男爵家の三女なんて誰も見向きもしないの。最初は可愛いとか言って近づくくせに、姉がいますって言うとすぐに逃げる。それもあの嘘つき令嬢の妹だってね」
「だからって、アデルにあたることはないでしょう」
「アデルお姉様は、お母様を見殺しにしようとしたのよ。それなのにまだ嘘ばかりついて周りを困らせる」
「……嘘じゃないわ」
「なんだ。ユリアお姉様も知っていたの」
リンデはユリアが嘘つきな妹が嫌でさっさと家を出たのかと思っていた。
「違うわ。私が家を出たのはヴァレル伯爵が怖かったからよ。アデルはお母様を見殺しになんてしていない」
ユリアの声は震えていた。
「だってあの薬をお母様に飲ませようとすると、泣いて止めていたじゃない」
父には口止めされていたが、もうリンデも子どもじゃない。きっとわかってくれると信じて、ユリアは重い口を開いた。
「医者はお母様はもう助からないって言っていた。それも一人二人じゃない。確かにあの薬で少し寿命が延びた。でもね。飲まなければ、あんなに苦しむ事はなかったの」
「じゃあ、飲ませなければ良かったの? 毎日お母様に薬を運んだ私が悪いってこと?」
「違うわ。リンデは何も悪くない。誰も悪くないの。悪いとすれば、劇薬と知っていて渡したヴァレル伯爵よ」
「ヴァレル様を悪者にしないで。あんなに優しい紳士はいないわ」
「あの男に何か言われたの?」
「何も。ただ……」
なぜあの火事の日に、あれほど歓待してくれたのだろう。客室を使わせてくれた上に、着替えまで用意してあった。火事が起きることを事前に知っていたかのようだ。
そういえば、奥は妙に賑やかだった。大勢の客でも来ていたのだろうか。
「何も言われていないわ。私は子守より売り子の方が合うみたい。店番してくる」
「お客様は平民が多いの。愛想よくね」
はい、はいとリンデは店への扉を開けた。
(さっき、何か言いかけたわよね)
ユリアはリンデの様子が気になったが、忙しさについ話を聞きそびれてしまった。




