父の覚悟
ハンスへの逮捕状は保安局からのものだった。
「クロスフォード特別捜査官。いくら局長のあなたでも、ここでは何の権力も持たない」
「今は捜査官ではなく、個人として来ている。ハンス・ミラーは僕の婚約者の父親だ。身柄を引き受けに来た」
「伯爵がどんなに保証金を積まれようが出せませんよ。まだ取り調べ中ですから、しばらく拘留します」
レオの目の前で、保安局の扉がぴしゃりと閉められた。
「レオ、一旦引いてくれ。罪状すら教えないなど、おかしな話だ」
「身柄だけ確保して、罪状など後から取って付ける気だろうな」
「特別捜査局に回される事件にはしないさ」
レオの慌てた様子に、ダリオも付いて来ていた。
(狙いはハンスじゃない。アデルだ)
なぜそれほどヴァレルが、アデルを欲しがるのかわからない。未来視と言っても、ごく狭い範囲。アデルの興味を持つ場所、人、事柄。国を左右するようなものではない。
何より、アデルがヴァレルに興味を覚えるとは思えない。名が出る度に眉根を寄せるくらいだ。
「レオ。この情報を教えてくれた保安局員。まだまだ協力してくれるそうだ」
「ありがたい。あとで何でも奢ると伝えてくれ」
「俺には悪魔の酒な」
あとは任せろとダリオが指を立て、姿を消した。
◇◇◇
ハンスは貴族用の収監室に入れられていた。質素ではあるがベッドに机。暇つぶし用の本まで置いてある。
長女の近くで、静かに余生を送るはずだったのに。つかの間で終わってしまった。
(あれは真面目すぎる)
特別捜査官は汚い手など使わず、真っ向から切り抜けてきたのだろう。だが相手はヴァレルだ。まだまだレオを若いなと思う。
「今頃あなたを義父とお呼びしていたはずなのに。あの力がなくても彼女なら妻に迎えたかったよ」
ハンスの前では、カインが楽しげにペンを走らせていた。
「税の免除と引き換えの賄賂……放火。あと一つくらい罪が欲しいですね」
「なら妻の毒殺でも書いておけ」
ハンスが皮肉を返すと、カインは嬉しそうに顔を上げた。
「それは面白い。未来を見る娘が真実を暴く。そんな物語にしましょうか」
「何度言えばわかる。アデルは未来など見ていない。あの子は人より少し勘がいいだけだ」
「それでも、あの方は欲しがっている。不思議なものですね」
カインは書きかけのノートを閉じると、席を立った。
「では、また話を聞きに来ます」
ハンスはカインを黙って見送る。余計な事を話せば罪が増えるだけだ。
コンコン。
名ばかりの事情聴取の終わりを見計らったように、保安員が入って来た。
「食事だ」
机の上にトレイと紙袋が置かれた。
「これは?」
「クロスフォード伯爵からの差し入れだ。男爵がずいぶん気を遣われているな」
「本当にありがたい。どれ……」
中身は一週間分の着替え。用意したのはアデルだろう。
味気ない食事を済ませると、本棚から一冊抜き取った。
「小説か。たまにはいいだろう」
それはある家族の物語。
――死んだ母親の代わりをする優しい長女。一風変わっているがしっかり者の次女。甘えん坊の三女。父は戦争で家を空けていた。
「……我が家みたいだな」
父の帰りを待つ三姉妹。だが戦地から父の生死が不明との知らせが届いた。
『必ず、父さんは帰ってくる。信じて待つのよ』
そう言って、次女は泣くばかりの妹を勇気づける。そんな妹たちを見守る長女。
そしてある日、杖を突きながら父が帰ってきた。ひげは伸び、服はボロボロ。
『本当に父さんが帰ってきた!』
駆け寄る三女を父が抱きしめた。すぐに父の両脇を長女と次女が支えた。みんな涙を浮かべる。
『お前たちを残して逝けるものか』
ハンスの手が止まった。
あともって半年だと告げられた日。妻はとうとう医者から見放された。
何も知らずに母に甘えるリンデ。妻の切ない顔。
こんな幼子を残して、妻を逝かせるわけにはいかない。
ハンスはヴァレル家にリンデを連れて頼みに行った。情に訴えてでも、何か薬を手に入れたい。
これからもヴァレル家に忠義を示すならと、願いは叶えられた。
「これでお母様は元気になるのね」
「そうだよ。また一緒に旅行にだって行ける」
リンデは薬を毎日母の枕元に届けた。
母の余命を知っていたのはユリアだけ。母が亡くなった後、アデルの言ったとおり飲ませてはいけなかったことも。それからヴァレルを恐れるようになった。
ユリアに、決してこの先も妹たちには話さない。そう約束させ、家から出した。
あとは自分が墓まで持って行けばいい。
誰にも知られなければ、それで終われる。
「そろそろ詫びに行こう」
妻はどう思っていたのだろう。
リンデにいつもありがとうと言い、アデルにはごめんねと謝っていた。そしてユリアに妹たちと父を頼むと指を握らせていた。
「母さんの代わりに式には出てやりたかったな……」
ここにいればアデルの結婚に差し障る。ヴァレルの狙いはクロスフォード伯爵を貶め、アデルから引き離す事だ。
紙袋から服を取り出し、切り裂き、紐状に繋げた。
「これで足りるだろう」
ハンスは机の上に椅子を乗せ、その上に足をかける。そして天井の梁に紐をどうにかかけた。
「こんな父親を許さなくていい……でももう一度会いたかった……」
まだ娘たちが自分の帰りを待って、誰が一番に頭を撫でられるか競っていた頃を思い出す。後ろで微笑む妻。そんな幸せな日々はもう二度と訪れない。
カタン……
「待てよ!」
隣の部屋で見張っていたダリオが駆け込み、素早くハンスを床に降ろした。
「もういいんだ。もう妻のところへ行かせてくれ」
大馬鹿だとダリオはハンスの横っ面をひっぱたく。
「レオからだ」
ハンスの手に手紙が渡された。
アデルやユリア、リンデが無事なこと。
そして最後に。
――死ぬ覚悟があるくらいなら、一緒に戦って欲しい。
命令ではなかった。
「何て事だ……」
自分は逃げる事しか考えていなかった。それをレオにぜんぶ見透かされていた。
こうなったら、レオはヴァレルから離れるよう一軒一軒説き伏せに回るつもりだという。多くの証言が集まれば、上だって動かざるを得ない。
「あなたの協力があれば、娘たちも助かる」
ユリアの嫁ぎ先、夫が経営している織物工場を何度乗っ取られそうになったことか。アデルを手元に置こうとこれからもあの手この手を使ってくるだろう。リンデだって人質のようにどこかへ嫁がされる。
ヴァレルの元を離れてから、自分にこっそり会いに来る者がいた。皆、見えない鎖に縛られ、逃れたいと願っていた。
「ここから出すことはきっと出来る。だが、今はここにいた方が安全だ。それまでどうか耐えて欲しい」
特別捜査官は本気だ。疑う余地はない。
「クロスフォード伯爵を信じましょう」
ダリオに邪魔され、力を落としていたハンスだが、最後には何度も頷いた。
(私にも守れる)
今度こそ、逃げないとハンスは娘たちに誓った。




