公爵夫人のティアラ
悪魔の酒をアデルに没収されて、レオは顔を青くしていた。
楽しみにしているロナウドになんと言えばいいのか。ニーナをすんなり帰してもらえるだろうか。
レオはフランシスのために王都で人気の菓子店に寄ったが、ロナウドは辛口。
「困ったな」
「レオ様、ミラー家に寄ってくださいませんか」
「まだ改装中だが、何かあるのか?」
「はい。工事人に見つかってなければですが」
アデルに考えがあるようだ。この際庭に咲く花でもいい。アデルからならロナウドが機嫌を損ねることはないだろう。
「レオナルド様。まだ時間があるようでしたら、少し買い物に行って来てもいいでしょうか」
ミランダは小麦色に焼けた胸元を指し、公爵家を訪ねるには少々ラフ過ぎると笑う。ここは王都。海沿いの街コーネリアと違い、女性が肌を見せることはない。
「構わない。僕がいる時は自由にしてくれ」
「そうよ。せっかく王都まで来てくれたんだもの。ミランダさんが用がある時は、私も捜査局に手伝いに行ってるわ」
「そうだな。それがいい」
レオが微笑む。護衛を依頼したのは自分だが、できれば自分の手で守りたい。それにアデルが局に来ればテナの機嫌も良くなる。捜査官たちも和むと言っていた。
「ではどこか仕立屋に行ってきます」
「ミランダさん、クロスフォード家が贔屓にしているお店はどうかしら」
今日のアデルは、装飾を抑えても、少しも地味に見えない上品なドレス。
「そこなら好みに合いそうです」
ミランダはモード夫人の店の前で降ろされた。
「アデル。隣に座ってもいいかな?」
「えっ。でも」
「いいから。少しずれて」
レオが席を移ってきた。アデルと拳三個分ほど開けて、ポンポンと座面を叩く。
「ワン!」
「これならいいだろう?」
ショコラが自分の定位置だと隙間を埋めた。これにはアデルも声を上げて笑ってしまった。
ミラー家に着くと、アデルは勝手口から屋敷の中へ入った。
小さな厨房、その奥にアデルの一番好きな使用人たちの休憩場所兼食堂がある。まだ壁紙はそのまま。元々色褪せてくすんでいるせいか、煤は目立たない。
「レオ様、この扉を外してください」
床下が小さな貯蔵庫になっていた。隙間に火かき棒を差し込んでこじ開けると、ひんやりとした空気が漏れ出た。
「これは酒か?」
「はい。エルダーたちと作ったハーブのお酒です。我が家では薬ですね。これでしたらロナウド様にもよろしいかと」
「是非、我が家でも作って欲しいな」
薬剤師の出す薬が苦手なレオ。酒なら喜んで飲む。
「もちろんです。これなら私も一緒に楽しめます」
そして馬車はアシュクロフト家に到着した。
馬車からレオとアデルが降りてくるなり、ニーナが「遅かった」と駆け寄る。
二人に甘えるニーナをフランシスがじっと見ていた。
「レオナルド、遅かったな」
「申し訳ございません。少々手間取りまして」
「いいから。早く渡せ」
「旦那様、まだ昼間ですよ? それにニーナもいますから」
フランシスがたしなめても、ロナウドは味見だけだと聞かない。
「ロナウド様、実はあれには毒が混入されていまして、別のものをお持ちしました」
すべて処分せざるを得なかったと、口惜しげに説明したものの、レオの目は泳いでいた。
「何? 毒だと? それはいかんな……」
被害は食い止められたと聞いて、ロナウドも納得したようだ。
「代わりに、ミラー家の料理人と私が仕込んだハーブのお酒をお持ちしました。ハーブも我が家の庭で穫れた物。お口に合うかわかりませんが、お納めくださいませ」
薬かとロナウドは少し肩を落とす。
「旦那様が飲まないなら私がいただくわ」
「体を温める効果もありますから、女性にもお勧めなんですよ」
「それはいいわね。あとで一緒にいただきましょう」
ニーナが毎日アデルの話をするので、フランシスももうアデルを他人のような気がしない。
「ではこちらでお預かりいたします」
フランシスの侍女が籠を受け取るが、ちょこんとわずかに頭を下げただけだった。
たぶん男爵家の娘であるアデルが気に入らないのだろう。
「レオナルド。夕食を用意させているの。それくらいはいいでしょう?」
「フランシス様、ありがとうございます。遠慮なくご馳走になります」
「夕食までレオナルドはロナウド様の相手をお願い。アデルはニーナと私の部屋にいらっしゃい」
「かしこまりました。ニーナ、アデル。また後で」
ロナウドの話は長い。だが兄の代わりと思って、ここは付き合うしかない。
「お祖母様、またあれを見せてくださるの?」
「ええ。アデルも気に入ってくれるといいけれど」
あれとは何だろうか。でも公爵夫人のお部屋、一度入ってみたい。
(こういう丁寧な暮らし。憧れるな)
そこは思っていたよりも落ち着いた部屋だった。代々受け継がれたものを直しながら使っているという。
「今では華やかな公爵夫人だなんて呼ばれているけれど、娘の頃はあなたと同じで、地味な娘だったのよ。少しも社交界で目立つことはなかったわ」
それでも伯爵家の長女として勤めは果たしてきた。王宮への出入りも許され、そこでロナウドの目に止まった。
「ニーナ。あの本を持ってきてちょうだい」
「はい。お祖母様」
表紙の文字も薄れた分厚い本が、アデルの手に渡された。
開いて見ると、古い押し花の栞が挟んであった。
「アデルは部屋に飾っているそうね。私もそうすれば良かったわ」
すべてロナウドから贈られた花だった。伯爵家の自室には有名な画家の絵が飾られ、とてもじゃないが押し花は飾れなかった。
「素敵です。今も深く愛されているんですね」
「ええ。でも結婚するまでは大変だったわ。陛下の隣には立てなくても、弟のロナウド様ならって、狙う令嬢が山ほどいたのよ」
それこそ血を分けた妹もライバルだった。
「娘にはそんな苦労をさせたくなくて、早いうちにクロスフォード家の嫡男エドワードと約束を交わさせたの」
親が決めた相手だったが相性がよく、シンシアは幸せそうに嫁いでいった。可愛い娘にも恵まれ、これからと言う時に事故に遭ってしまった。
「ごめんなさい。まだ昨日のことのようなのよ」
「お祖母様……」
ニーナが祖母の手を取る。
「でもそろそろ前を向かなくてはね。ニーナ。あの箱を」
「はい」
アデルの前に置かれた宝石箱。
「開けてみて」
アデルの心臓が一瞬跳ねた。でも未来は見えなかった。
震える手でそっと蓋を開ける。
「まあ……」
箱の中には、見事なティアラが静かに眠っていた。
シャンデリアの光を受けた宝石がきらりと瞬き、まるで長い眠りから目を覚ましたように輝き出す。
「素晴らしいものを見せていただきました。ありがとうございます」
「これは私が輿入れの時に両親が作ってくれたの。シンシアも結婚式に着けたものなのよ。次はニーナかと思っていたけれど、アデルに着けて欲しいわ」
「とんでもございません! そんな貴重なものに、私なんかが触れてはいけません」
「あなたならそう言うと思ったわ。でも私はあなたに着けて貰いたいのよ」
「何故ですか?」
「それは秘密よ」
フランシスは式当日に教会へ持って行くからと笑うばかりだった。
その頃、別室では熱い戦いが行われていた。
「ロナウド様。そろそろ駒を動かしてください」
「レオナルド。焦りは禁物だぞ」
二人が顔を合わせればすぐに仕事の話になる。そこでチェスをしようということになった。
「喉が渇いた。先ほどのあれを……」
「ロナウド様は薬だと言って、受け取らなかったじゃないですか」
「今はあれが飲みたくなったんだ。早く持ってきてくれ」
壁際に立つメイドが素早く動く。
ほどなく、ハーブの酒が運ばれてきた。
「おお。待っていたぞ。こうも肩が凝るチェスは初めてでな」
「それは駒を動かしてからおっしゃってくださいよ」
二人同時にグラスに手が伸びる。仲良く乾杯とグラスを上げた。
「……やっぱり薬のようだな」
「残りは僕がいただきますから」
アデルの手作りを残すわけにはいかない。
「あれはいい娘だな」
「はい」
ロナウドもついシンシアとアデルを重ねてしまう。控えめで、いつも周りの幸せを願う子だった。
「もし。二人に子が出来た時。ニーナはどう思うだろうか」
「きっと可愛がってくれますよ。ニーナは優しい子です」
レオもアデルもニーナを邪魔になどしないだろう。でもニーナは……。
「いや。考えすぎだな。おい、少しは残しておけ。私ももう少し長生きしたいからな。薬臭くても飲むぞ」
そこへ夕食の支度が出来たと侍従が呼びに来た。
ロナウドが席に着き、食前酒に手を伸ばした。
「旨いな。もういっぱい注いでくれ」
次にレオ。
「確かに。これはいくらでも飲めそうだ」
うっうんと、アデルが咳払いした。アデルと目のあったレオはにこっと笑って返した。
「これはアデルが持ってきてくれたハーブのお酒ですよ」
二人がえっと、グラスから口を離した。
「はい。食欲増進と胃の調子も整えてくれますから。少量をお飲みくださいませ」
「甘くて美味しいわね」
「クロスフォード家でもお作りしますね」
ニーナにはアルコールが入っていないものが出された。
アデルも口に含むが顔色は変わらない。
……ということは本物。
レオとロナウドは顔を見合わせた。
「……」「……」
では、先ほど飲んだものは何だったのか。
言えば、叱られる。
謎が解き明かされることはなかった。




