悪魔令嬢
翌朝アデルは、足取りも軽く、約束通りレオを起こしに行く。
寝起きなどそう見られるものじゃない。これも婚約したおかげだ。
扉を開けると酒臭く、レオはまだぐったりしていた。普段からは想像もつかない。
レオの従者フレッドがすぐに窓を開け放った。
朝日が射し込むと「うっ」とレオが呻く。
「レオ様、おはようございます。具合はどうですか?」
「大丈夫だ。迷惑かけたな」
「何でもお申し付けくださいね」
眩しいのかレオが目を細める。そこにアデルが微笑んで立っていた。
「レオナルド様、おはようございます!」
アデルの後ろから従者見習いとなったディルが顔を出す。朝から元気いっぱいだ。
「ディル、少し声を落としてくれ」
「すみません……」
「怒ってない。すごく頭が痛いんだ」
アデルをちらっと見ると、酔い冷ましのハーブティーを用意していた。期待した呪いはなさそうだ。
二人きりにはなれなかったが、夫婦となるまでは仕方ない。
「アデル様、ここにお湯を置いておきます」
「フレッド、ありがとう」
アデルは袖をまくり上げ、手早く湯に浸したタオルを絞る。
「待ってくれ……」
(まさか、身体を拭いてくれるのか?)
でもアデルに恥ずかしがる様子がない。もしやまだ男として見られていないのか。昨夜のあれも子ども扱いだったのか。
レオの心はかき乱されるばかり。つい心にもない言葉が口から漏れる。
「アデル。メイドのような事はしなくていい」
「でも……」
「アデル様、私どもでお世話させていただきますので、食堂でお待ちください」
「わかりました。ディル、お湯には十分気を付けるのよ」
「お任せください!」
アデルが廊下に出ると、すぐにレオの悲鳴のような叫び声が聞こえた。
「……やっぱりね」
張り切ったディルが、まだ湯気の立つたらいをひっくり返したのだ。
でも大丈夫。素晴らしい反射神経でレオがお湯を避けるのも見えていた。
身支度を済ませたレオが食堂に行くと、これまであまり顔を合せていないはずのアデルとミランダが親しげに話していた。
「レオ様、ミランダさんが珍しいものを持ってきてくれたんですよ」
アデルは綺麗に飾り切りされた果物に目を輝かせていた。まだ甘いものを控えていたが、果物なら食べ過ぎなければいいとマートルから許しが出ていた。
「アデル様、レオナルド様に食べさせてあげてはいかがですか?」
遠慮なくどうぞと、ミランダが微笑む。
「えっ?」
二日酔いでも病人と思えば、身体を拭いたりして世話をするのは当然だと思うが、食堂でレオに食べさせるのは気恥ずかしい。
「アデル。まだ少し辛いんだ。君にお願いしたいな」
レオが辛抱強く口を開けて待っていると、アデルがフォークを手に取った。
「美味しい。元気が出てきた」
酸味のある果物を口に運んだはずなのに、レオは蕩けそうなほど甘い声で次をねだる。
「子どもみたい」と言いながらも、アデルは口まで拭ってやる。
「レオナルド様がこんなお姿を見せるのは、アデル様だけですね」
鬼の特別捜査官の裏の顔に、ミランダは苦笑い。これはもう認めざるを得ない。
「まさかミランダが来るとは思わなかったよ」
「ヴァレル伯爵が相手なら、手下……いえ、部下ではなく私が動かなくては。父からもそう言われてきました」
アデルは果物を取り落としそうになった。レオにはあまりヴァレルと関わり合って欲しくない。
「アデル。実は君に護衛を付けようと思ってね。コーネリウスに紹介を頼んでいたんだ」
「それで、ミランダさんが……」
「君を任せるなら、特に信用のおける者でないといけないからね」
ニーナの侍女も護衛も、コーネリウスが厳選した者ばかり。
「しばらくは私ミランダがアデル様の護衛を務めさせていただきますので、よろしくお願いします」
「ずっとじゃないのね」
「はい。お二人の仲睦まじい姿は、独り身にしたら目の毒ですよ」
「ミランダさん……」
「ふふ。私が本気出したらレオナルド様以上の大物だって釣り上げて見せますよ」
「その時は心からお祝いさせていただくわ」
まだレオに思いを残しているのかと思っていた。そうだとしてもアデルに引く気はない。
ミランダが自分のように運命だと思う人に巡り会えたなら、それは素敵な事だ。
ミランダがアデルの耳元で囁く。
「もしピンと来る方がいたら教えてくださいね」
「もちろんよ。でも私にわかるかな」
「アデル様に私の事もっと知っていただきますから。そうしたら見えるかも知れないんですよね」
「そうね。ではお友達から始めましょう」
ミランダに秘密を知られているのなら、本当に遠慮なく頼ることが出来る。
「さて。そろそろニーナを迎えに行こうか」
「はい。ところでロナウド様に何をお持ちになるのですか?」
「大事な物だ。先に捜査局に寄る」
「テナさんは今日出勤かしら。会えたらいいな」
「テナなら来る。少しなら話す時間はあるだろう」
帰れずに捜査局に泊まり込んでいる者がいるはずだ。それを容赦なく叩き起こせるのはテナしかいない。
「レオ様、捜査員の皆さんへ果物を差し入れに持って行ってもいいでしょうか。テナさんにも食べて貰いたいです」
「部下たちが喜ぶ。ありがとう。そうだ、あの酔いざましハーブティーも頼む」
「はい。すぐに用意します」
気持ちの良い返事にレオの口元が緩む。またアデルの株が上がってしまうかも知れないが仕方がない。昨夜散々からかわれた分、今日は自慢して返そう。
捜査局に着くと、レオはアデルに外で待つように言い付け、一人執務室へ行ってしまった。
「重要書類なのかな。テナさんの所なら行ってもいいよね」
ショコラを連れて中へ入ろうとすると、ちょうどマスクをしたテナが、箒を持って出てきた。
「テナさん! 今日は大掃除の日でしたか? 私もお手伝いします」
「アデルさん! そこら中、粗大ゴミだらけですよ。本当に毎年毎年呆れかえるわ」
テナの後ろに、捜査官たちが屍のように倒れていた。その中には酒瓶を抱えたダリオの姿も。
「何が起きたのですか?」
「レオナルド様から何も聞いていないんですね。実は……」
「まあ、そんなことが」
あれほど心配したのに、原因は悪魔の酒を囲んだ飲み会だったなんて。
アデルにバレたことも知らないレオは、机の上の瓶を手にとっていた。
「無事だったか……」
ロナウドとの約束の品は執務室にきちんと届けられていた。
「レオ様。まだ飲むおつもりですか?」
振り向くと、腕を組んだアデルが立っていた。その背後でテナがにやついていた。
「アデル。誤解しないでくれ。これはロナウド様に頼まれたものだ」
「でもそれは体に毒です。飲ませてはいけません」
「アデル。飲み過ぎなければいいんだ。ロナウド様は節度のあるお方だ。大丈夫」
「でもレオ様のようなお心の強いお方でも惑わすお酒なんでしょう?」
「そうなんだが、たまにならいいだろう」
「わかりました。ショコラ、思い切り吠えていいわ」
「ワン! ワン!」
「アデル、落ち着いてくれ。僕はまだ……」
「金輪際、悪魔の酒は禁止です!」
執務室ばかりでなく、局内をショコラが駆け回り、吠え立てた。
「うわー、なんだ?」
「やめてくれー」
ショコラは鼻をひくひくとさせて、密かに隠していた酒瓶を見つけ出してはアデルに知らせた。
そして副局長ダリオの部屋の前で激しく吠え続ける。
「怪しいわね」
「開けましょう」
アデルとテナはうなずき合い、扉を開けると、すかさずショコラが執務机の下へ潜り込んだ。
「テナさん、これは許し難いですね」
「こんなところにまで隠しているなんて」
「アデル、どうした?」
頭を押さえながらレオも何事かと様子を見にやって来た。
「これは……かばえないな」
机の下に隠された木箱。悪魔の酒ばかりか、他の酒瓶まで隙間なく入っていた。
ダリオが必死に平謝りするが、アデルもテナも聞き入れない。
「それは、事件の打ち上げ用です。別に隠していたわけじゃ……」
「打ち上げにはお店だって行ってますよね。その予算を出すの、すごく苦労していたのに」
捜査にだってお金はかかる。経理課とどれだけやり合ったことか。テナが毎度頭を下げていた。
「神聖な職場を何だと思っているのかしら。これは全部没収します!」
「アデル、それは酷くないか?」
「レオ様がまた飲まされたら大変ですから」
「そうか。僕のためか。ダリオ。諦めろ。アデルは最高だろう?」
「レオ、お前、完全に尻に敷かれてるじゃないか」
「それが円満のこつだと昨日お前言ってたぞ」
わりとどうでもいいことは覚えていた。
翌日からテナにより、ショコラとアデルは酒瓶捜査の任務に就く。
「それだけは勘弁してください。今日持ち帰ります!」
「例外は認めません。それにこれ、中身入れ変えてますよね」
「ああ。もったいない……」
強面の捜査官も指をくわえ、目の前で悪魔の酒が捨てられていくのを黙って見ているしかなかった。
抵抗したのがばれたら、レオにしばかれ、テナから経費をもらえなくなる。
容赦のない取り締まりに、捜査局ではアデルを誰ともなく、「悪魔令嬢」と呼ぶようになった。




