特別捜査官は婚約者と祭りに行きたい
馬車の中で、レオはずっと頬が緩みっぱなしだった。
「……可愛かったな」
玄関先で肩を抱き寄せた途端、アデルはぎゅっと目を閉じてしまった。思わずまた唇にキスするところだった。
昨日はニーナもおらず寂しいだろうと、仕事を切り上げ早くに帰宅した。
アデルが小部屋にいると聞いて、二人きりで話せると楽しみに扉を開けたら、なぜか酒臭い。
原因はすぐにわかった。椅子にもたれ、クークー寝ているアデルの前には、飲めばすぐに眠れる、とっておきの酒が空になっていた。
「よくもまあ、あれを飲めたものだ」
底にほんのわずか残っていた程度のはずだが、度数が高い。でもあそこまで酔っぱらうとは驚いた。
「あれは反則だった。抗えるほど僕は紳士じゃない」
くくと、またにやけてしまう。
だが、王宮に着けば、いつもの真面目な特別捜査官の顔に戻る。
執務室で待っていると、副局長ダリオが朝の定期報告にやって来た。
「カインは図書館を解雇された。職権乱用にもほどがある。今後捜査局で借りる時は別名義にする事にした」
「そうだな。僕も気をつけるとしよう」
他にもいくつか打ち合わせをして、レオが切り出す。
「今年もあれをやるのか?」
「あれ? ああ、もちろんだ。だがお前から聞いてくるなど珍しいな」
「今年は僕も参加する。少し気になることがあるんだ」
ため息混じりだが、レオはどこか誇らしげだった。
「また何か見えたのか? 彼女はすごいな」
「だが、あの会のことは言えなかった」
豊穣を祈る祭り。その日は王宮の前庭まで誰でも入れるため、大勢の人で賑わう。当然、警備も増員され、地方からも隊員が集められる。
その夜催される慰労会は、いつしか保安局、騎馬隊、捜査局の酒好きたちが集まる大宴会になっていた。
「何が起こると言うんだ?」
「前にお前にもらった“悪魔の酒”。あれに毒が混入されていると言っていた」
「大事件じゃないか! 今年はそれを目玉に人を集めたんだぞ!」
今年の会はダリオが仕切っていた。
なかなか出回らない幻の酒。当日それがないと知れたら、大騒動になる。
「とにかく先に料理長だ。確認した時に変わった事がなかったか聞いてこよう」
「それなら俺が行ってくる。責任者として放ってはおけない」
「わかった。この件はお前に任せる」
任せると言っても、朝から夜の会場となる食堂を見張りに行かねばならなくなった。
今年はアデルとニーナを祭りに誘いたかったのに。残念だが、アデルの見た未来を防がねばならない。
ところが……。
「もうマートルたちが準備をしているそうですが、お仕事なら仕方ないですね……」
一緒に行けないと漏らした途端に、アデルの声がしぼむ。
屋敷に帰ると、祭りにかぶる帽子も服もすでに発注済みだった。この日だけは貴族の娘たちも、麦わら帽子と村娘のような少し丈の短いスカートを履く。
舞踏会よりも、三人で行くこの祭りを楽しみにしていたのだろう。
自分の手で笑顔にすると誓ったのに、落胆させてしまった。
何より自分だって、三人で行くのを楽しみにしていた。
「仕事は交代して貰うことにする。三人で出掛けよう」
わずかに床へ落ちていたアデルの視線が、ぱっと上がった。
「よろしいのですか? でもレオ様に無理させてしまうなら、ニーナ様と二人で……」
またすぐに気を遣われてしまう。
「僕も行きたいんだ。いいだろう?」
レオが片目を一瞬つぶってみせると、アデルは今度こそ大喜びした。
「初めてのお祭りに三人で行けるなんて! レオ様、ありがとうございます」
実家にいた頃は、リンデの麦わら帽子をアデルが作っていた。朝早くから花を摘み、丁寧に古びた麦わら帽子を飾り立てた。好きな手仕事だが、自分の分まで作る気にはなれず、いつも留守番をしていた。
「ペット連れでもいいと聞いたのですが、ミルキーとショコラも連れて行っていいですか?」
「もちろんだ。まだ公園に行けていなかったからな。犬たちにも服を作るといい」
「それなら私が縫います」
端切れがあれば作れる。できればニーナにも相談したかったが、まだ公爵家から帰らない。そろそろ迎えに行ってもいいだろうか。
「ニーナ様は、もしやこのままあちらで暮らすなんてことは……」
「それはない。ニーナの家はここだ。祭りまでには僕が連れ帰る」
「お願いします。もう寂しくて寂しくて。早く会いたいです」
「僕もだ」
兄夫婦が亡くなった後、ニーナをどちらで育てるか両家で散々もめたのだ。あの時はレオの両親がまだ健在で勝ち取った。だが、一度公爵家に入れてしまえば返す気はないらしい。
「君が迎えに行ったら、君まで引き留められる。一人で行っては駄目だよ」
フランシスはいたくアデルが気に入った様子だった。公爵夫人が後ろ盾になってくれればアデルにとって心強い。これはアデル自身が繋いだものだ。
だがアデルまで公爵家に長期滞在はさせられない。自分まで押しかけて居座りそうだ。
「はい。勝手に一人で行きません。約束します」
せめて近くまで行けば様子を見られないかと思ったが、レオにはお見通しだった。
「うわっ! レオ様、近すぎます」
良い子だと、おでこにキスされた。
だが、ロナウドから祭りの日までと渋られ、ニーナはそれまで公爵家で過ごすことになった。
祭りの前日。
レオの執務室で、ダリオが試飲だと言って、例の悪魔の酒を飲んでいた。
「どれを飲もうが、毒は入っていなかった。あとは当日だな」
「ああ。絶対に良からぬことは起きる。明日、お前は飲むな。これは命令だ」
「だから今飲んでいる。でも狙われるのは誰なんだろうな」
「僕でないことは確かだ。飛び入り参加ってことにしたからな」
となると、狙われるのはロナウドだろう。
「やはり仕組んだのはヴァレルか。財務局に調べが入る前に潰そうって魂胆だな。公爵まで狙うとは、捜査局を舐めすぎだ」
「ダリオ。声が大きい」
「でも今回もアデルちゃんのおかげだな。あんな健気で正義感のある子は他にいない。ただにこにこ笑っているだけのつまらない奥方になんてするなよ」
「言われなくてもわかっている。それにアデルは家で大人しくなどしてくれないだろう」
そんなところも好きだが、レオは心配だった。常に護衛が必要そうだ。
「ダリオ、それ以上飲み過ぎるなよ。明日お前が使い物にならないと困る」
喉の奥がカーと熱くなるほどの酒。それが癖になって、やめられないのが“悪魔の酒”と呼ばれる所以だ。
「わかってる。じゃ明日な」
話し半分のダリオにしつこく飲むなと言い聞かせ、レオは先に執務室を出た。酔っ払いの相手はしていられない。
◇◇◇
翌日は朝から晴れ渡っていた。
「可愛い! これニーナ様とおそろいなのよね」
アデルは新品の麦わら帽子に、オレンジ色の格子が入った若草色のスカート。焦げ茶の編み上げブーツもお気に入りだ。
「そうですよ。人が大勢ですから、はぐれてもすぐにわかるように、こしらえさせました」
大人しく寝そべっているショコラも、四角い端切れを幾枚も縫い合わせた上着を着ていた。もちろんニーナと共に公爵家にいるミルキーにも同じものが届けられた。
「アデルお嬢様、かかとが低くたって、走ってはいけませんよ」
「ネロリ、わかってるわ。私だってもう立派な淑女よ。レオ様の恥になるような事はしません」
「それならいいですけど」
先ほどからアデルは鏡の前でくるくると回っている。よほどレオと出掛けるのが嬉しいのだろう。見ているマートルやネロリもつい笑みがこぼれる。
「早くホールへ降りましょう。レオナルド様がお待ちかねですよ」
マートルには階下でそわそわと待っているレオの気配がわかった。
階段から降りてくるアデルを見上げたレオは笑みをこぼすが、すぐに笑顔を消した。アデルの隣にニーナがいないのだ。
いくら愛しい婚約者がいても、レオにとってはニーナも大事。
「レオ様、どうかされましたか?」
「いや。君に見蕩れていただけさ」
「嘘です。今日こそニーナ様を連れて帰りましょう」
「我が家の捜査官は凄腕だな。でも見蕩れたのは嘘じゃない。キスしていいかな?」
「駄目です! ほら早く行きますよ。ニーナ様が待っています」
帰りは三人。そう誰もが信じていたのに。
レオは深夜、一人で戻ることになる。




