お酒はほどほどに
二人の婚約に、クロスフォード家ではやっとかと使用人一同が胸をなで下ろした。アデルの一番近くにいたマートルはことさらだった。
「まったく。いつになったらアデル様が気付くのかと。みんな最初からそのつもりでしたのに」
「ごめんなさい。でもこうしてここにずっと住める事になって嬉しいわ」
「もうひと部屋、至急ご用意しますね」
「あらどうして? これ以上お部屋はいらないわ」
「ご夫婦のお部屋が整うまで、お二人の寛ぐお部屋ですよ」
「ふっ!? いえ、何でもないわ。あのレオ様の小部屋は? 今では妙に落ち着くのよ」
広すぎず、狭くもない。使い込まれた家具や小花の壁紙。どこか懐かしい気分にさせてくれる。
「あれは先代夫人の。レオナルド様のお母様が、お裁縫や読書などをされていたお部屋です」
「そうだったのね。どおりで女性らしい気遣いのある部屋だと思った」
「アデル様がお使いになれば、きっと大奥様も喜ばれます」
きっと次はシンシアが使う事になっていた部屋だ。それにたくさんの思い出が詰まった部屋だろう。幼いレオが大好きだったはず。だから今でも……。
「そんな大事なお部屋なら、気軽に入れないわね」
「大丈夫ですよ。アデル様には自由に使っていただいていいと伺っていますから。実は私たちも掃除ですら滅多に入ることはありません」
それならお掃除は自分の役目だ。
「ところでニーナ様はまだ公爵家からお戻りにならないのかしら」
「しばらくあちらで過ごすそうですよ。ロナウド様がお離しにならないみたいで」
このまま帰らないのでは心配になる。
「お帰りの日が決まったら、お迎えに行くわ」
「はい。すぐにお知らせしますね」
それまで昼間は一人だ。
そういえばテナに会いたい。仕事もずっと休んでいた。
「少し王宮に出掛けてもいいかしら。図書館に返却もあるし」
「明日、レオナルド様と一緒に行かれるのがいいと思います」
図書館と聞いてマートルが顔をしかめた。心配をかけるわけにはいかない。
「そうね。今日はあの小部屋で読書するわ」
「はい。ご用があればお呼びください」
掃除道具はどこかと尋ねると、「ご用意します」と言われてしまった。まさか自分専用の……。あり得る。
読みかけの本を抱え小部屋に入ると、誕生会でレオが着けていた香りが微かに残っていた。
「お仕事の時は使わない、特別な香り……」
アデルはそっと首元をなぞってみた。
「嬉しかったな……」
真珠のネックレスは宝石箱に大事にしまわれた。一生の宝物だ。
レオがいつも使う椅子に腰掛けてみた。なんだか肘掛けまで愛おしく思えるから不思議だ。そっと手を乗せてみた。
この先、レオと思い出を紡いでいく。楽しいことばかりではないだろうが、きっと大丈夫。
そしてこの家を、レオやニーナの安らげる場所にしていくのは自分だ。
「お帰りになったら、何かお出ししたいわね」
レオからここでたまに寝酒を飲むと聞いていた。
戸棚を探ると、お茶の他に酒瓶が並んでいる。
「お酒は名前を見ても、ぜんぜんわからないわ」
そのうちの一本を手に取ってみた。栓を開けると、強いアルコール臭にむせてしまった。
「もしかして、これ全部、強いお酒なのかしら。お体に悪いじゃないの」
でも二人で乾杯なんてちょっと憧れる。両親がお祝いの日だけワインを傾けていたのを思い出す。
栓をしようとしたが、ほんの少ししか残っていない。
「きっとお好きなのね。どれ、味見を……ぐほっ」
また、むせてしまった。
「あっ……」
――木箱に詰められた酒瓶が荷馬車で運ばれていく。行き先は………。
もう少し先が見たいと、アデルはむせかえりながらも、酒を少しずつ口に運んだ。
(うーん。なんかふわふわする)
舞踏会で勧められる甘い酒とは違う。顔も火照ってきた。
「……アデル、大丈夫か?」
(これはレオ様の声。声も素敵なんだな)
「おかえりなしゃい。いま、れおしゃまにご用意しましゅね」
アデルは瓶を振って見せた。なんだか楽しくて仕方がない。
「アデル、これは割って飲む酒だぞ」
「れおしゃま、おからだに悪いですからね。のみすぎはだめれすよ」
「それは僕の台詞だ。ほら、水を飲んで」
コップを持たされたが、すぐにこぼしてしまう。
「このコップ、おかしいでしゅね。もれてます」
「おかしいのは君だ」
そしてアデルはふわりと雲にでも乗った気持ちになる。そして鼻先にあの香りとは違う、落ち着いた香りがした。
「うーん。これもだいしゅきです」
腕を伸ばしてレオの首にしがみつく。離れたくない。
ガクンと体が傾き、柔らかいものが、唇に触れた。くすぐったいのに気持ちいい。
「ふふふ。あしたは、二人でおでかけしましょうね」
「どこへ行く気だ?」
「このおしゃけに、どくが……」
「毒? アデル? アデル!」
翌朝、アデルは酷い頭痛で目が覚めた。
(えっと。なんだか忘れちゃいけないことがあったような……)
レオが帰って来た事は覚えているが、後の記憶がところどころ抜けていた。
マートルに散々笑われながら、熱いタオルで体を拭いて貰う。そしてネロリに二日酔いに効くハーブティーを入れて貰い、どうにか起き上がることができた。
「レオ様、昨夜は大変申し訳ございませんでした」
よろよろと食堂に行くと、笑いをこらえたレオが待っていた。
「果物も効くらしいぞ」
「ありがとうございます」
「君は本当に面白いね。君といられて僕は幸せ者だ」
「あの。なにか変な事を口走ったりしたのでしょうか?」
「ここでは言えないな」
にやついていたレオがぷっと吹きだした。
「ならどこでなら言えるんですか……」とは聞けなかった。
「それで。あの酒がどうしたのか教えて欲しい」
「それがですね……」
酒瓶は王宮に運ばれた。試飲され、味と安全を確認された後に厳重に倉庫へしまわれる。そしてずらりと並ぶ男性たちの前に出される。その中にはロナウドもいた。
そのうち男性たちが次々と立ち上がり、一人の男性を取り囲む。男性は「やめてくれ」と叫んだ後、テーブルに突っ伏してしまった。
「今回は、ずいぶんと詳しく見えたんだな」
「はい。そのために、沢山いただきましたから」
「そこまでしなくていい」
「……はい。もう二度と飲みません」
レオの記憶では、本日王宮で開かれる舞踏会も晩餐会もなかった。
「とりあえず料理長に聞いてみよう。アデルも一緒に行くか?」
「はい。と言いたいところですが今日は家にいます」
「だろうな。ショコラを置いていくから、遊んでもらうといい」
「それ、逆では?」
「僕の代わりだ」
ショコラはあれからずっとレオと出勤していた。今では名捜査犬として欠かせない戦力になっている。
「酒の方は僕に任せて欲しい。では行ってくる」
「いっ、いってらっしゃいませ」
玄関先で、おでこに軽くキスされたアデルは真っ赤に熟したトマトのよう。まだまだ慣れそうにない。
アデルは門が閉まるまで、じっと馬車を見送っていた。
(レオ様なら大丈夫。今回もきっと止めてくださるわ)
「おいで、ショコラ。お庭を散歩しよう」
少し風に当たりたい。
尻尾を振って先を歩くショコラ。途中バッタが飛び跳ねただけで、アデルの足を止める。本当に賢い子だ。頭を撫でると、ペロリと手を舐められる。
「そっか。昨日のあれはショコラか。レオ様は紳士だものね。疑って申し訳なかったわ」
いくら酔っ払っていても、そんな大事なことを忘れるわけがない。でも、ほんの少し期待してしまった。
「ワンワン!」
「いいよ。怒ってないからね」
ショコラはクーンと鳴いてみたが、アデルには伝わらなかった。




