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ふたりの婚約

 アシュクロフト公爵家の応接室。国王の肖像画が客を見下ろしていた。


「まさかな……」


 ハンスは目の前に座るレオを見た。男爵を上座に座らせる伯爵などいるだろうか。


 暗い小部屋にでも押し込まれるのかと思ったら、高位貴族を迎えるような応接室へ通された。


「僕は最初から、あなたをアデルのお父上として接している。おかしなことはない」


「だが私はアデルをあなたから遠ざけようとした。それなのにまだそう思うのか」


「これ以上あなたがアデルを傷つけなければね」


「何故です? あれは伯爵家にふさわしい娘でない」


「控えめで、努力家。素直で正直。なによりとても愛らしい。他にも聞きたいですか?」


「もう結構だ。それで、話とは? 私が何を言おうが、もう決まっているのでしょう」


「まだだ。お父上の許可が欲しい」


 レオが婚約証明書をハンスの前に置く。


 紙一枚くらいどうとでもなるくせにと舌打ちしそうになったが、ハンスは黙ってサインした。


「やっとだ」


 レオは素早く受け取ると、懐にしまった。後は王宮に提出して、国王の許可を得るだけだ。


「これでクロスフォード家とミラー家は親戚だ。あちらとは縁を切って欲しい」


「できない」


「僕が後ろ盾になる。それに……」


 レオは、一人黙ったまま座るロナウドを見た。


「私に何をしろと?」


「話が早い。すぐに仕事を辞めて貰いたい。爵位もお返しいただこうか。後は何もしなくていい」


「それでは、この先どうすれば……」


 いきなり路頭に迷えと言われたような気がして、ハンスには戸惑いしかなかった。


「どうせ婿を取らなければ跡継ぎはいない。爵位を返せばそれなりの恩給が支払われる。それと屋敷は人に貸せば、今よりずっと楽な暮らしが出来るはずだ」


「リンデが……まだ娘が一人残っている。それまで待ってはもらえないのか」


「心配ない。ロナウド様の奥方が口利きしてくれる。まあ本人次第だが」


 確かに端くれでも貴族でなければヴァレルの役には立たない。本当に何もしなくていいのか。そんなことで自由になれるのか。


「不安な顔をするな。これからは余生を楽しんで欲しい。それをあちら側へ見せてもらう」


 ヴァレルに刃向かうことなく、離れる事が出来るとわかればいい。小さなひびは、やがて大きな亀裂になる。


「では、お義父上。アデルの支度はすべて我が家が準備をする。あなたはそうだな。義姉上の近所へ越せばいい。家を用意しよう」


「……ありがとうございます」


 話はまとまった。アデルに早く知らせたい。レオが席を立った。


「お待ちください」


 ハンスがレオを呼び止めた。


「これではアデルに肩身の狭い思いをさせてしまう。私が出せるのは少しばかりだが、聞いて欲しい」


 レオとロナウドがうなずき合う。


「聞こう」


 ヴァレルは財務省の役人。国中の貴族の懐事情はすべて把握していた。困っている弱小貴族に声をかけ、親切ごかしに納税の逃げ道を教える。


「次に傘下に入った貴族同士を婚姻させ、お互いを見張らせた。アデルもその一人に入るはずだった」


 ハンスも年の近い子爵ならばと、相手をよく確かめもせず、すぐに了承した。


「ヴァレルにアデルのことを話したことは?」


「あの噂のことですか。あれは……」


 ヴァレルは家族の事を知りたがった。使える駒を見つけ、動かす。いつの間にか、ヴァレルの手の者があちこちに配置されていた。


「アデルがどうしても母に薬を飲ませるなと言った時、私はついその話をヴァレル伯爵にしてしまった。結局、私は妻を酷く苦しませて、見殺しにしてしまった」


 ハンスもどこか薬を疑っていた。それでも希望を持ってしまった。


「ヴァレルはその時、なんと?」


「劇薬だと言って渡したと。それでもいいと使ったのはお前だと……」


 妻殺しと言われ、もう何も考えられなくなっていた。ヴァレルに言われるままに、税の取り立てだけでなく、その家を探らされていた。嫌とは言えない。残った娘たちだけでも守らなくてはならなかった。


「なぜアデルに辛く当たっていた?」


 レオの目が一瞬鋭くなる。


「あの子は物心ついた時から変わったものを見る。最初は妻も私も面白く聞いていたが、次第に怖くなった……」


 それはそうだろう。幼い娘が口にした何気ない一言が本当に起こるのだ。


「アデルは一度も私を責めなかった。一生許してはもらえない……」


「アデルはあなたを心配していた。家族だからだ。ただ抱きしめて、次は信じると言ってやれば良かったんだ」


 レオが唇を噛みしめる。アデルの優しさが、声が、父に届いていなかった。誰よりも信じて欲しかったはずなのに。


「そうだな……アデルにあなたのような人がいて良かった」


 ハンスの目から涙がこぼれ落ちた。


 ◇◇◇


「では、ケーキが縁でレオナルドと?」


 公爵夫人フランシスが物語よりも面白いと笑う。滅多に感情を見せないフランシスに周囲は驚いた。


「はい。私はデザート目当てで参加したので。たまたまお近くにいらしたのが、レオナルド様でした」


「叔父様は甘いものはあまり召し上がらないのに。不思議ね」


「きっとお疲れで、甘いものが欲しかったんですよ」


 アデルは思わず生唾を飲みそうになる。


(ああ、今日も我慢だわ。公爵家のデザートなど滅多に食べられないのに)


「私もアデルさんに選んで貰おうかしら。お勧めをここへ持ってきてちょうだい」


「フランシス様、一緒に選びませんか? 全部はお腹に入りませんが、目だけはすべて食べることが出来ます」


「本当に面白い子ね。でも今日は……」


 フランシスの手が膝を撫でる。年寄り扱いには早いと杖は使っていない。


「では、こちらに手を乗せてくださいませ」


 アデルは椅子に座るフランシスの前に両手を差し出した。アデルよりも、細く小さな手が乗せられると、ゆっくりと引き起こした。


「あとはニーナ様と手を繋がれたら良いと思います」


「ええ。お祖母様、一緒に歩きましょう。ご案内するわ」


「私はすぐ後ろにいますから、ご安心ください」


「アデルさん。あなたもよ」


 周囲の貴族がまた驚く。あの気むずかしやの公爵夫人が、孫のニーナばかりか男爵家の娘と手を繋いでいる。


 もし転ばせでもしたらと、誰も手を貸さなかった。それを男爵家の娘が躊躇なく手を出したのだ。


 その日の出来事は、あっという間に社交界に知れ渡った。



「アデル、ニーナは今日ここへ泊まるそうだ。フランシス様から君も一緒にどうかと聞かれたんだが」


「帰ります。水入らずのところをお邪魔するわけには参りません」


「君って人は相変わらずだな。わかった。二人で帰ろう」


「でも……」


「これを見てくれ。どうだ?」


 アデルの目の前に差し出されたのは、父の直筆サインの入った婚約証明書。


「あの頑固な父が……」


 とうとう何も言えなくなったんだ。誰にも、この特別捜査官を止めることはできない。噂も身分差もすべて覆してしまう。


 きっと自分の未来まで変えてしまった。これ以上、自分の心に嘘はつけない。


 アデルは心からの笑顔をレオに向けた。


 その笑顔に、レオも優しく微笑み返す。


「では婚約者殿。どうぞ」


 差し出された腕に、アデルはそっと手を添えた。


「はい。どうぞよろしくお願いします」


「これで誰にも遠慮しなくていい」


 レオが小さく呟く。


「はい」


 アデルは幸せそうに頷いた。


 二人は寄り添うように歩き、夕暮れの公爵家を後にした。

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