特別捜査局
クロスフォード伯爵の来訪と聞いて、家中が大騒ぎになった。
リンデは一番良いドレスに着替え、父ハンスも髪をなでつけ、一張羅で体裁を整えた。
まさか地味で嘘つきな次女アデルを訪ねてきたとは誰も思わない。リンデは自分が見初められたのだと有頂天だった。
一方のアデルは、階下の騒ぎにも気づかず、今朝方見えたことを忘れないよう紙に書き留めていた。
「公園近くのあの橋。人が大勢押し寄せて、次々に倒れるのが見えた。いつなんだろう」
アデルが見るのは断片だけ。わかっているのに、自分では橋を通行止めになどできない。誰か協力してくれる人はいないだろうか。
二年ほど前から王宮へ匿名で知らせ続けている。未来が変わることもあれば、変わらないこともあった。
――信じてくれる人が必ずいる。
アデルが手紙を送り続ける理由だ。
「アデルお嬢様、家の前にずいぶんと立派な馬車が止まっていますよ」
はたきを手にしたメイドのネロリが窓から外をのぞき見していた。
「へぇ。昨日リンデと一緒にいたご子息でもお見えになったのかしらね」
朝一番で来るとはずいぶんと性急な方だ。
そこへ、父の従者バジルが自分を呼びに来た。
「アデル様、旦那様がお呼びです。すぐ応接室へお越しください」
「待って。まだ寝間着なの」
「アデル様にお客様ですよ。大至急お願いします」
(私に客? お皿割ったのばれたかな……)
どうして自分の未来が見えないんだろう。見えていたら、お皿を割る前にテーブルへ戻したのに。そもそも父の命令だろうが舞踏会へ行かなかった。
「ネロリ。一番地味な服を出して。あと、せめてものお詫びに、急いでお花を摘んできてちょうだい」
「わかりました。でもアデル様の服は全部地味ですよ。どれにしよう……」
急げと言われ、化粧もしないで応接室へ降りて行った。
扉の前で耳をそばだてると、父の声は喜色を含んでいた。
(……誰が来ているのかしら)
「お待たせいたしました」
「おお、アデル。待っていたよ……」
父の目は、これでもかというほど地味な灰色のワンピースの上で止まった。
いけなかったのかしら。謝罪するなら、しおらしく見せなくてはと思ったのに。
父の隣に座るリンデは顔を伏せ、こちらを見ないで手をぎゅっと握りしめていた。
どうもリンデへの婚約の申し込みでも、お皿の件でもなさそうだ。
そして、客人を見てアデルは逃げ出しそうになった。
クロスフォード伯爵がソファに長い足を持て余すようにして座っていた。
何をしに来たのだろう。わざわざ文句を言いに来たとは思えない。
「クロスフォード伯爵、おはようございます。昨夜のことでしたら、深くお詫び申し上げます」
「おはよう。アデル嬢。お父上に、君との婚約を申し込みに来た」
「えっ? 朝から寝ぼけてらっしゃいますか?」
「僕はとっくに目は覚めてる」
なら、私がまだ夢を見ているのかしら。
「その花束は僕に? 嬉しいな」
「……どうぞ。我が家の庭で摘んだものでよろしければ」
可愛らしくまとめた花束を、押しつけるように渡した。
「いい香りだ。花束の礼と、昨夜君を驚かせた詫びがしたい。代わりのドレスを贈らせて欲しい」
「そんな高価なものは頂けません」
少し無愛想に答えてしまった。気を悪くして帰ってくれないだろうか。それなのに、目の前の伯爵様は、にっこりと微笑まれた。
「僕は君のように慎ましく、庭でそっと咲くような奥ゆかしい女性を探していたんだ。ますます我が家に迎えたくなったな」
こんな地味な娘を見て、どこからそんな台詞が出てくるのだろう。自分のことじゃないみたいだ。
「ところが君のお父上に婚約はまだ早いと言われてしまってね」
「昨夜会って、いきなり婚約では娘が戸惑います」
父が一番動揺していた。
「お許しいただくまで、僕は待ちますよ」
「クロスフォード伯爵。ご冗談にもほどがあります。うっかり本気にするところでした」
「僕は冗談は言わない。あと、君にはレオと呼んで欲しい」
真顔で答えるところがますます怪しい。
「そうだ。これから王宮へ行かないか? 僕のことを知ってもらうためにも、僕の職場に案内したい」
「今は父から外出を禁じられております」
「アデル、伯爵のご厚意だ。行っておいで」
聞いたことがないくらいに優しい父の声にぎょっとした。
(伯爵への機嫌とりね。それなら……)
「私はまだ結婚など考えていません。他の方を当たられた方が……」
「せっかく君を王宮の庭や食堂にも案内したかったのに。他にもなかなか入れない場所があるんだ」
一瞬にしてアデルの目が輝く。
「それならば、図書館に連れて行っていただけませんか?」
王宮図書館の蔵書数は国一番だ。伯爵が一緒なら奥の特別書架まで入れる。
「喜んで案内しよう」
クロスフォード家の馬車に乗ると、気持ちの良い揺れに、アデルの心はもう図書館に飛んでいた。
「本が好きなの?」
「普段家に居ることが多いので楽しみといったら読書ですね。舞踏会も滅多に出ません。昨夜は父に言われて仕方なく参加しました」
父の上司にあたるヴァレル伯爵家の舞踏会。出ないわけにはいかなかった。
「では僕は運が良かったんだな。それよりもその手にある手紙は? 僕宛かな」
「クロスフォード……レオ様にではありません。手紙を出したいので、そこの角で馬車を止めてくださいませんか」
匿名の手紙を届けるのに家の者は使えない。街角に立つ、配達人に頼むしかなかった。
「見せて。宛先が僕以外の男なら見過ごせない」
「お見せできません。それに殿方宛ではありません」
「それほど言うなら、信じよう」
レオが天井をコツンと叩くと、御者は指示通りに静かに馬車を止めた。
アデルは馬車を降りると配達人を探した。
「この手紙を急いで届けてちょうだい」
届け先は周りに聞こえないように声をひそめた。公園近くの橋を通らないようにとも付け加える。お金を受け取ると、配達人はすぐに走り去った。
(どうか今度も読んでくれますように)
馬車に戻るとレオにじっと見つめられた。
(……大丈夫。見られてはいないはず)
「先に仕立屋へ行こう」
灰色のワンピースから急いで外出着に着替えたが、それでも駄目らしい。
仕立屋に着くと、濃紺の上着とスカート。そして白いブラウスをレオに選んでもらう。ドレスでなくほっとした。
「まあ。とても良くお似合いよ」
店主のモード夫人が襟に青いリボンを結んでくれた。
「ありがとう」
まるでどこかの制服のようだと思った。でも着心地はいいし、新しい服はいつだって嬉しい。
ふと鏡を見ると、自分の隣に映るモードの未来が見えてしまった。
「顔色が良くないですよ。少し横になって休まれた方がいいわ」
「優しいお嬢様ですこと。たぶん寝不足です。いつものことですから大丈夫ですよ」
「そう。気をつけてね」
店を出る時もつい気になって、モードの顔を見てしまう。
「アデル。どうした? 何か気になる事でも?」
「いえ。何でもありません」
馬車に乗り込もうとした時、キャーと言う悲鳴が聞こえた。
「やっぱり! レオ様、すぐにお医者様を呼んでください」
急いで店内に戻るとモードが床に倒れていた。悲鳴は針子のものだった。
「動かさないで! 頭を打っているはずよ」
意識はなく、顔は蒼白。アデルはそっと額に手を当て、モードの手を握った。
レオはその様子をじっと見ていた。
医者はすぐに見つかり、モードはすぐに手当を受けることが出来た。
「良かった……」
アデルは胸をなで下ろした。防ぐことはできなかったが、命に別状はなかった。
「アデル。なぜ悲鳴を聞いただけで医者を呼ばせた? まるで倒れるのを知っていたみたいだ」
「えっと。それはモード夫人の顔色が悪かったからです。今にも倒れるのではないかと思って……」
「それだけじゃないはずだ」
レオはアデルの目をじっと見つめた。
すぐにアデルは目を反らす。そして額に冷や汗が浮かぶ。
「とにかく、王宮へ参りましょう。早くレオ様のお仕事ぶりを拝見したいです」
「そうだな。あとでじっくり聞くとしよう」
王宮へ着くとレオは何も言わず、奥へ奥へと歩いて行く。
「あの。図書館、通り過ぎましたけど……」
「先に職場へ案内する。しっかりと僕の仕事ぶりを見て欲しいな」
「わかりました」
レオは人気のない場所に建つ、古いが堅牢な建物に入って行く。
(内務省分室? 固そうなお仕事をされてるのね)
風雨にさらされ字の滲んだ看板。内部は外観同様に殺風景。長い階段の手すりは、太く重厚感があって黒光りしていた。
(ここは前に見たことがあるような。まさかね)
途中、レオに丁寧にお辞儀をする男性たちとすれ違う。皆、やけにきびきびとしていた。
(部下の方かしら? 伯爵ですもの。きっと高い役職なのね)
レオが不意に立ち止まる。
扉の上の文字を見た瞬間、アデルはレオの顔を見た。
(どうしてここへ?)
そこはアデルが手紙を送り続けていた『特別捜査局』だった。
「ここが僕の職場だ」
「まさか……嘘ですよね」
「嘘じゃない。僕はここの捜査官で、責任者でもある」
口の端をあげてにやりと笑うレオ。まさかのまさかでした。




