嘘つき令嬢
「美味しそう……」
男爵令嬢アデルの目は、目の前に並ぶデザートへと釘付けになっていた。
たっぷりのクリームに、色鮮やかな果物。家では滅多に口にできないものばかりだ。
「舞踏会に来て良かった……」
小さく切り分けられたケーキを次々と口へ運ぶアデルの後ろで、くすくすと笑い声が聞こえた。
「あの子、何しに来たのかしら」
「ああ、あの子ね」
アデルは小さくため息をついた。
(仕方ないじゃない……)
舞踏会だというのに、誰一人アデルを誘わない。
噂だけは、どうにも出来ない。気にせずまたフォークを手に取る。
「美味しい。でも、もうお腹がきついな」
こっそり持ち帰れないか、真剣に頭を悩ませていると、ふと、隣のテーブルに座る一人の男性に目が止まった。
(あの人、格好いい……)
金の髪に、人を惹きつける青い瞳。一目で上等だとわかる夜会服。
年は自分より少しばかり上だろうか。
自分とは縁遠い男性だ。
それなのに、なぜか目が離せなかった。
(……あれ?)
何かが引っ掛かる。
男性がフォークを手に取った。
苺を口へ運ぼうとする。
その瞬間、アデルの胸がドキンと跳ねた。
「食べてはなりません!」
会場にアデルの声が響いた。
「えっ?」
男性の手が止まる。
そして、目が合った。
(気まずい……)
だが、一度出した言葉は引っ込められない。
「これ、君が狙ってた?」
「いえ。そういうわけでは」
ではなぜと、男性が首を傾げる。
苺はまだフォークに刺さったままだ。
「えっと……さっき虫が止まっていました」
「君は嘘つきだね」
男性は面白そうにアデルを見た。
ケーキは席に着いた時、給仕から直接受け取ったものだった。
「すみません。見間違えたかも。でも……どうしても食べない方がいい気がするんです」
最後の方はだんだんと声が萎んでいく。
「理由を教えてくれる?」
……逃げ出したい。こんな素敵な方にまで嘘つきと笑われたくない。
だが男性は言い逃げを許さない気だ。ほんの一瞬だけ細められた青い目がアデルの退路を塞いだ。
「それは……そのケーキは見た目だけで、美味しくないのです」
本当のことは言えない。正直に言っても誰も信じない。家族でさえ信じてくれない。
「まあ、どうしてもこれが食べたい訳じゃない。代わりに君のお勧めを教えてくれる?」
「それでしたら、こちらのフルーツタルトはいかがでしょう。新鮮なベリーが山盛りです」
これは嘘じゃない。今日食べた中で一番美味しかった。
「たしかに美味しそうだ。ねえ、君のハンカチを貸してくれるかな」
「ハンカチ? どうぞお使いください」
ハンカチには気になる相手に渡すよう家の紋が入っていた。貸すだけならいいだろう。
男性は席を立つと、ゆっくりとアデルの前まで歩いてきた。
そしてハンカチを手にすると、突然アデルの口元を拭った。
「クリームが付いていたよ」
「なっ!」
驚いたアデルの手から皿が滑り落ちた。
甲高い音を立てて割れる。
「驚かせてすまない。怪我はないか? 大変だ。ドレスを汚してしまった……」
「心配には及びません。洗えば落ちます。それよりもハンカチをお返しください」
裾に少しクリームが跳ねただけだ。
取り返そうとしたが、男性はすでにハンカチをポケットにしまい込んだ後だった。
家がばれる。それだけは避けたい。
「お願いします。お返しください」
だが男性は取り合わない。なぜこんなことになったのかしらと、アデルは頭を抱えたくなった。
「お姉様、そこで何なさっているの?」
そこへ妹リンデが自分を探しにやって来た。
「またぼーっと考え事? 少しは殿方の気を引くようなことは出来ないの? ……あら」
割れた皿をちらりと見て、それから男性の顔をまじまじと見つめる。
途端ににこりと笑ったリンデの声が、一段高くなる。
「すみません。姉が粗相をしたのでしょうか。代わりにお詫び申しあげます」
「偶然同じケーキを手に取ろうとしただけだ。皿は僕が手を滑らせた」
男性が軽く手を上げると、すぐに係がやって来て割れた皿は片づけられた。
「姉がおかしなことを言って、驚かせたのではありませんか?」
「おかしなこと?」
「少々虚言癖が。良からぬことが起きると、いつも騒ぎ立てて。でも姉の言った事は一度も当たったことがないのです」
まただ。妹はいつも同じ事を言う。
そして最後には、自分だけは姉を信じていると付け加える。
健気で優しい妹。
嘘つきの姉。
いつの間にかアデルは「嘘つき令嬢」と呼ばれるようになった。
おかげで友達はおろか、声をかけてくれる者さえいない。
(どちらが嘘つきなのかしら)
「ところで、あそこで睨んでいるのは君のお友達かな」
男性がリンデの後ろへ視線を向けた。
少し離れた場所で子息が三人、じっとこちらを見ていた。
「もうあの方たちとはお話は終わりましたの」
頬を染めたリンデは、彼らの元へ戻る様子もない。
目の前の男性を第一候補に決めたらしい。
あれこれと自分を売込むリンデを、とうとう子息の一人が呼びに来た。
「また機会があれば、お目にかかることもあるだろう」
男性は名乗らなかった。
「そうですか。お姉様ももう行きましょう」
「私はこのまま退席します」
「そうね。悪い癖が出る前に、そうした方がいいわ」
リンデは最後まで男性に上目遣いを送りながら去って行った。
絶対すぐに戻ってくる。その前に退散しよう。
(今のうちに……)
アデルは一歩ずつ下がっていくが、男性は口元を緩めながら、一歩ずつ歩み寄る。
(噂の嘘つき令嬢……見つけた)
職場に届く、差出人不明の妙な手紙。
起きるはずのない事故や事件を知らせる手紙。
その主をずっと探していた。
「君の名は?」
「アデル・ミラーです」
ハンカチから辿られるより、自分から名乗った方がまだいい。
「先ほどは大変失礼いたしました。では、私はこれで」
「待って。もう少しだけ君と話がしたい」
「もうお腹がいっぱいなので帰ります。それに私がここにいては邪魔なだけですから」
「誰の邪魔だ? 」
「あなた様と話したいご令嬢たちです」
着飾った令嬢たちが、早く退けと目で訴えていた。
「僕ももう用事はすんだ。家まで送ろう。馬車の中ならゆっくり話せる」
アデルは目をこれでもかと見開いた。
「婚約者でもないのに、それは出来ません」
「それなら今、正式に申し込もう」
「何を?」
「婚約を」
「誰と誰の?」
「君と僕のだ」
「何ですって?」
アデルは聞き間違えかと、耳に手を当てた。
「僕はレオナルド・クロスフォード。レオでいい」
「クロスフォードって、はっ……伯爵!?」
「そうだ」
「待ってください。なぜいきなり婚約なんですか!」
「僕は君が気に入った」
「私のこと、ぜんぜん知らないでしょう!」
「だから知りたい。一緒にいて楽しそうだ」
「話すだけなら他に方法はいくらでもあります!」
「ない」
「あります!」
「それはなんだ?」
「えっと……お茶会とか!」
「僕は貴婦人じゃない」
「でしたら、次の舞踏会で」
「待てない。僕はせっかちなんだ」
「そんなの知りませんよ!」
「それに僕は君と出掛けたい」
「外? では公園とか……」
言ってから気づいた。それこそデートではないか。
「他には?」
「……ありません」
レオが楽しそうに肩を揺らす。
駄目だ。
何を言っても面白がられるだけだ。
「君だって相手探しに来たんだろう? 僕にしなさい。ケーキくらい毎日食べさせてあげる」
「ケーキは嫌いになりました! さようなら!」
アデルは出口へ向って走った。こんな時、装飾の少ないドレスは便利だ。逃げるが勝ち。
屋敷の外へ飛び出すと、夜の冷たい空気が火照った頬に触れた。
「あっ……」
急に頭が冷える。
「私、からかわれたんだ……」
一瞬でも本気にしてしまった自分が恥ずかしい。
「帰ろう……」
◇◇◇
「クロスフォード伯爵です」
「嘘をつくな! 伯爵がおまえになど声をかけるはずがない!」
帰宅して父に報告すると、頭から怒鳴られた。
せめて父から伯爵へ謝罪の手紙を出して欲しかったのに、取り合ってくれない。
「どこの子息かわからないが、余計なことは話していないだろうな」
「何も。聞かれたので、一押しのケーキをお勧めしただけです」
今度は父からため息が漏れた。
母が生きていれば、少しはましだったろうか。信じなくても唯一話を聞いてくれた。
「あの方も信じなかったろうな」
それでも、言わないわけにはいかなかった。先を知っているのは自分だけ。未然に防いでしまえば事は起こらない。
だから嘘になる。
(……嘘つき令嬢か)
ただ、あの人は否定も馬鹿にもしなかった。
アデルはため息をつき、自室の鍵が閉められる音を聞いた。罰として、当分外へは出してもらえない。
「お姉様ったら。まさかクロスフォード伯爵に声をかけられただなんて。もう少しましな嘘をつけばいいのに。でも素敵な方だったわね。誰だったのかしら」
扉の向こうからリンデの笑い声が聞こえる。この家は可愛らしい妹中心に回っていた。
ところが翌朝。
ミラー男爵家の前に、クロスフォード伯爵家の馬車が止まった。




