嘘つきのはじまり
深夜の小部屋に二人と一匹。アデルの足元にはショコラが眠る。アデルはレオの帰りをずっと待っていた。
「行きます!」
「君はあまり好まないと思ってたけど。ニーナも喜ぶよ」
ニーナの誕生会を公爵家で開くと聞いて、アデルは即答した。レオは少し拍子抜け。
アデルは憧れの貴婦人シンシアの生家を一度訪れてみたかったと言う。それに可愛いニーナの誕生日会。何を置いても行きたい。
「体はもう大丈夫なのか?」
「ご心配おかけしました。昼過ぎまでずっと眠りっぱなしでしたが大丈夫です。今は目が冴えてます」
「命に関わる薬でなくて良かった」
アデルの元気そうな姿にレオは胸をなで下ろす。
酒を飲まなくて良かった。思わずまたアデルを抱きしめるところだった。
「家はどうなりましたか?」
「全員怪我もなく無事だ。だが外も中も、屋敷中が煤だらけで、壁紙を全部貼り替えるそうだ」
それまでは父とリンデはヴァレル伯爵家。バジル一家とネロリはクロスフォード家に。一安心かと思ったら、レオの顔が曇った。
「あれは体のいい人質だ」
「それは、一体どういうことでしょうか」
「ヴァレルの代理人が朝一番で捜査局にやって来た。カインを引き渡せとな」
「もしかして、カイン様を引き渡すまで、父とリンデは帰って来られない……」
「そうだ。カインは君を害する気はなかったと言い張っている。婚約者として火事場から保護しただけだと。罪のない者を拘留するなら、こっちにも考えがあると言われた」
「確かにお茶をいただいて、話を聞いて貰っただけですから……」
まさか強い睡眠剤入りだとは思わなかった。
「君の事がカインに知れたのは、僕の手落ちだった。捜査局と僕個人の図書貸し出し履歴から推測されていた」
「それはカイン様だけの考えで? それとも……」
「裏にヴァレルがいる。だが今回も尻尾が掴めない」
アデルもヴァレル伯爵には数度会ったことがある。父に連れられ一家でお屋敷を訪ねた時、母の葬儀、舞踏会。挨拶程度だが悪い印象はない。むしろ上品で穏やかな紳士だと思っていた。
「そういえば、母の葬儀が終わった後、勘のいいお嬢さんと呼ばれた事があります」
「ヴァレルに?」
あの時。父は慌てて、この子は嘘つきで困っているとヴァレルに話していた。
「アデル?」
「すいません。カイン様に私の秘密を話してしまいました。昨日見たことも……」
「君は勘違いだった言うが、ニーナは助かった。君が助けてくれたんだ。僕らは君に感謝している」
「でも……」
「アデル。あれは仕組まれたんだ。君の見た後に、先を変えられた可能性だってある。だから自分を責めるような事はしないで欲しい」
「……はい」
この力が万能じゃないことは自分がよく知っている。
話すなら今だ。レオに全てを打ち明けたい。
「……私を最初に嘘つきと言ったのは、父なんです」
「……父上だったのか」
胸の奥にずっと隠していた言葉は、アデルの手を優しく包みこむレオによって引き出される。
「母が亡くなった時のことです……」
母の病気がなかなか良くならず、父がヴァレル伯爵に頼みこんで、異国から取り寄せた薬を貰ってきてくれた。薬を飲み始めてから少しずつ回復していった母に、家族は安堵した。
だがアデルは見てしまった。
徐々に母が薬によって蝕まれていく。痩せ細り、食べることも出来なくなる。母にすがって「もう飲まないで」と泣いて頼んだ。その時の母は、ベッドの上で少し悲しそうに笑っていた。
次に父に見たことを全部話し、飲ませないでくれと必死に頼んだ。
「お前は嘘つきだ。医者がさじを投げたのに、あの薬のおかげでサラは良くなっている」
あの時、リンデは姉と一緒に聞いていた。姉は黙ったまま下を向き、リンデは大声で泣いていた。
その後も薬は飲み続けられた。病状は良くなったり悪くなったりを繰り返す。そして最後には自分が見た通りに母は骨と皮ばかりになって、亡くなってしまった。
「アデル。母上を助けられずに辛かったろう。そればかりか、父親に嘘つき呼ばわりされていたとは」
それでも誰かが危ないと知ると黙って見過ごすことは出来なかった。ニーナの両親の事故の時も。もう誰も大切な人を失って欲しくない。その一心だった。
「よく今まで一人で頑張った」
レオはアデルを強く抱きしめた。
「レオさま……わたし……嘘つきじゃない」
「ああ。僕は知っている。君はいつだって正直だ。僕は信じる」
温かい胸の中で、アデルは大声で泣いた。ずっと心にためていたものが涙と一緒に流れていく。
しばらくして落ち着きを取り戻したアデルは、レオの上着に広がる涙のシミに気づいた。
「すみません。私ったら子どもみたいに……」
「泣きたい時は泣けばいい。その分、僕が君を笑顔にすると誓うよ」
ほらと、レオはショコラを抱いて見せた。突然起こされたショコラは、レオの腕から逃げ出し、椅子の下へ潜り込む。
「まあ。本当に克服されたんですね。しっかり受け取りました」
「これで合格かな。良かった」
アデルに笑顔が戻る。どうやらレオの誠意は示せたようだ。犬嫌いなどと言っていられない状況も手伝ってくれた。
「僕は君をカインやヴァレルなんかに渡さない。そのためにも公爵家に行って欲しい」
僕とニーナから君を奪わせないと、もう一度アデルを抱きしめた。
「レオ様! これ以上は心臓が止まります!」
「それは困るな」
アデルを部屋に帰したレオは深く息を吐いた。
「ヴァレルにアデルの事を話したのはハンスだ」
それが娘を心配して相談したのか、ただの家族の話だったのかはわからない。
ヴァレルに握られたハンスの弱味……。早く一家を開放してやりたい。
◇◇◇
「私はアデルお姉様とおそろいがいいな」
「ニーナ様が主役ですよ。私は隅の方で見ているだけで十分ですから」
アデルの部屋に広がる絹の海。あの仕立屋が屋敷に持ち込んだものだ。
「アデル様のために、最高のものをお作りしますよ」
モード夫人が微笑む。上客と言うばかりでなく、アデルは命の恩人だ。
アデルの体に次々に布が当てられた。その横でモードのデザイン帳を前にどれがいいかと、マートルと針子、メイドたちもやって来て、部屋はとても賑やかだった。
「ニーナ様のお誕生日会なのに、なぜ私が着飾る必要があるのかしら」
「アデル様。まだ動かないでください。もう一度これを……。やっぱりこの青ですね」
誰も答えてくれない。きっと公爵家に行くのなら、いつも以上に整えなくてはいけないのだ。
コーネリアのミランダは本当に綺麗だった。顔だけじゃない。背筋を伸ばし顔を上げていた。それに比べ、自分は噂と自信のなさに押しつぶされて、下ばかり向いていた気がする。
本当は自分だってレオの隣に立ちたい。逃げてばかりじゃ駄目だ。自分も誠意を見せなくては。
「アデル様。今日からデザートは禁止ですからね」
突然、マートルから厳しい宣告を受けてしまった。
「もしかして私、太った?」
「お嬢様は痩せすぎだと思います!」
アデル専属のメイドになったネロリがそれは可哀想だと訴える。
「そうではなくて。ご自身で鏡を見てください」
差し出された手鏡を覗くと、顔に赤くポツポツと吹き出物が……。昨夜もレオを待つ間、つい菓子を頬張っていた。
「ストレスもあるでしょうが、食べ過ぎましたね。それと夜更かしも厳禁です」
これでは誕生会に出られない。上辺だけ着飾っても駄目だ。
「……はい。貴婦人目指して、我慢します」
「アデルお姉様、頑張って。応援してるわ」
「ニーナ様、ありがとう。お誕生日会までには必ず治しますからね」
廊下にまで楽しげな声が漏れていた。
「ずいぶんと賑やかだな」
「クロスフォード様、アデルお嬢様のあんな楽しそうな笑い声を聞いたのは、久しぶりにございます」
姉妹の母であるサラが亡くなってから、アデルが笑うのは上辺だけ。心の底から笑うなど聞いたことがなかった。
「クロスフォード様には隠さずにお話しますが、旦那様のお仕事の事まではわかりません」
「いいんだ。アデルのご家族がどんな方たちなのか知りたいだけだ」
「それならば、話は長くなりますよ」
「いいぞ。ぜひ聞かせて欲しい」
レオがいよいよアデルを迎えるための準備を始めたのだと思ったバジルは、レオについて小部屋へと入って行った。




