扉の向こう側
アデルは何も考えられないまま、カインの馬車に乗ってしまった。
信じて欲しかった家族に母を殺したと思われ、嫌われていた。姉もそう思って家を出たのだろうか。
「アデルさん。実は僕が君と結婚するルース家嫡男なんだ。近々家督を継いで子爵になる。妻を迎えるなら同じ本好きがいいと思ってね。驚かそうと黙っていてすまない」
「そうですか。でも私は誰にも嫁ぎません。このまま修道院にでも入ります」
「何があったのか教えてくれないか?」
「私は嘘つきなんです。これ以上はお話できません。もう降ろしてください。一人になりたいんです」
「こんな夜更けに女性一人で歩かせるわけにはいかないよ。そうだ。図書館へ行こう。あそこなら君も少しは落ち着くだろう」
馬車は行き先を変え王宮へ。衛兵に「お仕えするヴァレル伯爵に急ぎの用を頼まれた」と告げれば、門はすぐに開かれた。
「おいで」
馬車置き場で降ろされたアデルは通い慣れた道を歩く。黒いマントで隠され、誰にも姿を見せることはなかった。
「また君に悪い噂が立っては困るだろう」
どこか哀れみを含んだ声に、アデルは自嘲する。
世界中の誰も信じてはくれない。ただ一人を除いては。でももう会うことはない。
図書館の通用口でも、カインが職員証と一緒に差し入れだと封筒を渡せば、守衛は黙って通してくれた。
しんと静まった館内。書架が壁のように立ちはだかる。アデルはまるで暗い谷底にいるようだと思った。このまま誰にも見つからず、いっそ消えてしまいたい。
カインの下げたランプの灯が揺れる。受付カウンターを通り抜け、長い廊下に並ぶ扉のひとつを開けた。
「入って。ここは私の仕事部屋だ。お茶を淹れるから座って」
言われるままにアデルは椅子に腰かけた。
お湯がシュンシュンと沸く。
立ち上る白い湯気が霧散していくのをアデルはじっと見つめていた。その先はどこへ行くのだろう。
噂もきっと同じだ。一度広まれば、もう誰にも止められない。誰も疑いもせず口にして、"嘘つき令嬢"という名だけが一人歩きしていく。
次は"親殺しの娘"。もう耐えられそうにない。
「リラックス効果のあるお茶だ。飲んで」
アデルは黙ってカップを受け取り、一口含んだ。喉がカラカラに乾いていたことに気づく。
カインはじっと飲み終わるまで待ってくれた。
ふっと息を吐き、ぽつりとアデルが言葉を漏らした。
「私は予言者ではありません。でもほんの少し先が見えるのです。ずっとそう思っていました。でもそれは全部、私の頭がついた嘘でした」
「君は確かに見たんだ。私は信じるよ」
「誰も信じなければ、それは嘘なんです。それに夕焼けじゃなかった……」
「もう少し話して。話せば楽になる」
アデルは肩を震わせ、嗚咽を漏らした。
ニーナはどうなっただろう。助けは間に合ったのか。今はそれ以外の事は考えられない。
「……少し休ませてください」
「部屋へ案内する。僕はここで一晩見張りをしよう。安心してお休み」
「ありがとうございます。それでは少し部屋をお借りします」
「先に言っておく。私は君が何を言おうと妻に迎える。いいね」
「……お休みなさい」
やけに体が重い。アデルはふらつく体を支えきれず、壁に手をついた。
「疲れが出たんだろう。私が運ぼう」
「……すみません」
カインは意識の遠のくアデルを抱き上げ、廊下の最奥にある部屋へ寝かせた。
「しばらく眠ってもらう。執筆の邪魔だからね」
そして、重い鉄の扉が閉められた。
仕事部屋に戻るとカインはすぐにペンとノートを取り出した。
アデルが馬車の中でずっとうわごとのように呟いていた。
ニーナ、馬車、誘拐、夕焼け
カインは恍惚の表情を浮かべる。
「噂は本物だった。これは予言だ。夕焼けではなかったが、空は赤く、誘拐は実行されている。はは。私はとうとう宝を手に入れたぞ」
ただの本好きの司書で終えるつもりはない。いつか自分の本を王宮図書館の書架に並べる。それも誰にも書けない予言の書。それが今実現しようとしている。
――『カイン・ルースの予言』
この王宮図書館から全世界に名を刻む。
世界が驚愕するような予言があの娘にできなくも問題はない。些細な事でも本当に当たればいい。あとは勝手に人が信じ込む。
カインは創造主にでもなった気分で、未来を書き始めた。
◇◇◇
ルース子爵の館は静まり返っていた。見張らせていたが、夜間に出入りは無かったという。
「黒い犬が来なかったか?」
「ショコラですか? 来ていないです」
「そうか。引き続き頼む」
レオはまた馬に跨がろうと手綱を持つと、馬がブルリと震え、後ずさる。
ダリオがレオから手綱を奪い取った。
「レオ、お前大丈夫か。身内の事件は判断を鈍らす。お前がいつも言っていることだ。もう帰れ。頭を冷やして来い」
手綱が赤く染まっていた。レオが強く握りしめていた痕だ。
「アデルを連れ帰るとニーナと約束した。彼女は僕が迎えに行く」
「何を言っても無駄だな。次は何処だ。部下達を集める」
ダリオがレオの肩をぽんと叩くと、レオの強ばった体から少し力が抜けた。
「すまない。奴の根城、図書館だ」
アデルを連れているなら自宅かと思ったが、違った。
レオが手を上げると王宮の門はすぐに開かれた。衛兵に確認すると、やはりカインが門をくぐっていた。だが連れの顔はわからなかったと言う。
レオとダリオ。捜査官たちが図書館を囲う。局の女性職員が攫われたと聞いて、皆が駆けつけていた。
図書館の通用門の前に、黒い犬がじっと身を伏せていた。
「ショコラ!」
ショコラは鳴きもせず、レオに尾を振った。
「アデルを追って来たんだな。お手柄だ。お前も来い」
ショコラがレオの前を歩き、ダリオ、捜査官がそれに続いた。
守衛は何事かと驚いていたが、捜査官を足止めする事などできない。見なかった振りをして、奥へ引っ込んでしまった。
「銃は使うな。アデルに当たったら大変だ」
「それなら俺の出番だな」
体の大きなダリオが指を鳴らす。
ショコラはアデルの匂いを辿り、迷うことなく受付カウンターの先まで辿り着いた。
扉の隙間からわずかに灯が漏れていた。
バタン!
「カイン・ルース司書。そこで何をしている?」
いきなり扉を開けたレオに、カインは薄笑いを浮かべる。
「司書がここにいて、おかしなことなどないだろう」
「就業時間外だ。不法侵入にあたる」
「それならば。これを」
図書館長の許可証だった。
「これは後で確認する。他に人はいないか?」
「誰もいないはずですよ。私はこの部屋から出ていないのでわかりません」
「ここに放火犯が逃げ込んだという情報が入った。すべて検める」
「捜査令状は?」
「これだ」
「確かに。好きに調べてください」
図書館中に明かりが灯ると、ショコラが駆け出し、ワンと吠えた。
「この扉はなんだ」
廊下の最奥にやけに厳重に鍵のかけられた部屋。まるで金庫のようだ。
「そこは禁書を保管している」
「鍵を出せ」
「鍵は図書館長しか持っていない」
「嘘をつけ! この中にアデルを隠したな!」
「嘘などついていない。朝まで待てばいいだろう」
見つかったところで、すべてヴァレル伯爵がもみ消してくれる。カインは顔色ひとつ変えなかった。
「アデル、僕だ。返事をしてくれ!」
鉄の扉を叩くが返答はない。
「おい、誰か道具持って来い! こじ開けるぞ」
ダリオの鋭い声に、捜査員が駆け出した。
「そんなの待っていられるか!」
鉄の扉を睨んでいたレオが、ショコラを抱いて走り出した。
レオは二階の床へ潜り込み、梁の間を這い、あの部屋の真上へ辿り着く。古い建物だ。どこかに弱った箇所があるはず。
腐った梁を見つけると、そこへ弾を撃ち込んだ。狙いどおり穴が開く。
「アデル!」
隙間から姿が見えた。
いくら呼びかけてもアデルは起きない。まさかと不安がよぎる。
穴をこじ開けて、ショコラを先に下ろし、レオも飛び降りた。
「アデル!」
息はしていた。だが様子がおかしい。
「アデル! お願いだ! 目を覚ましてくれ」
アデルの頬を叩くと、薄目が開いた。
「……レオさま……ニーナは……」
「ニーナは無事だ。ありがとう」
うん、うんと頷くアデル。その目に涙が浮かぶ。
「アデル、君って人は……」
レオは一瞬だけアデルを抱きしめ、ショコラをその腕に抱かせた。ショコラはクーンと鳴き、アデルの頬をペロリと舐めた。
「……ショコラも来てくれたのね」
アデルはまた目を閉じた。
ガンガンと大きな音がして、外から扉がこじ開けられた。
レオが一人、姿を現す。
「カイン・ルース。アデル・ミラー嬢の誘拐と監禁容疑で逮捕する」
カインはやれやれと、肩をすくめて見せた。
「私は彼女の夫となる者だ。そんな真似するわけがない。誰かに嵌められたんだ。それに嘘つき令嬢が何を言おうが……」
バンッ!
「ぐえっ!」
ドカンとカインの体が床に叩きつけられた。
「アデルは、嘘つきじゃない」
拳を握ったままのレオが、冷たい目でカインを見下ろしていた。




