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小さなお客様

 レオは事件簿を片っ端から集め、目を走らせていた。


 ここ数年、捜査局が手がけた事件にヴァレルが少なからずも関わっていた。


「税の着服、弱小貴族への圧力、密売……ヴァレルの名はどの事件にも見え隠れしている」


 ヴァレルが謀反を企てているのは掴めているが、それを上に報告するには決定打がなかった。


 ミラー家もヴァレルの支配下にある。ハンスと以前話した時にそれとなく探ったが、ずいぶんと窮屈そうにしていた。


 自分にアデルを嫁がせれば、家ごと守れるはずなのに断った。あの男はヴァレルに逆らえない理由を持っている。


「前から狙っていたのか……」


 ヴァレルの息のかかる家もすべて調べ上げ、アデルの相手が絞れた。まさかあの男が。


 こうしている間にもアデルがあの男の元へ……。気が狂いそうだった。今にも攫いに行きたくなるが、それではヴァレルと変わらない。


 アデルには皆に祝福されて自分に嫁いで欲しい。アデルの笑顔が目に浮かぶ。


 レオは立ち上がり、窓から犬小屋を見下ろした。子犬の姿はない。首輪だけが残されていた。


「ショコラ、アデルを頼んだぞ」


 ◇◇◇


 アデルは自室に引きこもり、窓の外ばかり見ていた。


「またヴァレル様のところかしら……」


 ちょうど父が出掛けて行くのが見えた。父とはあれから口を聞いていない。顔を見るのも嫌だ。


「鳥のように空を飛べたならな」


 すぐにでもあの屋敷へ飛んで行きたい。


「アデルお嬢様、ディルが帰ってきました」


「入ってちょうだい」


 額に汗したディルが、可愛らしい封筒をアデルに差し出す。


「ありがとう、ディル。今日はもうゆっくり休んでちょうだい」


「これくらい、へっちゃらです」


 一日に二度も遠くまで使いに出してしまった。駄賃代わりに、クロスフォード家から土産にもらった菓子を箱ごと渡した。


(ニーナ様、わかってくれたかな)


 もうクロスフォード家には行けないと知らせた。理由は家の仕事が忙しくなったと書いた。


 その返事の封を開けて、アデルは立ち上がった拍子に椅子を倒してしまった。


「大変! 来ないなら、会いに行くって。どうしよう。来てもお父様は会わせてくれないでしょうし、ただ追い返すなんてできないわ」


 ニーナが馬車に乗るなど、とても勇気のいることだ。それも自分のために。アデルの胸が熱くなる。


「庭でならこっそり会えるかしら……」


 部屋の中を行ったり来たりしながらニーナの事ばかり考えていた。


「あっ」


 アデルは急に心臓を鷲づかみされたような、鋭い痛みを覚えた。冷や汗まで出てくる。


「ニーナが連れ去られる……」


 どうしよう。ここに来てはいけない。空は真っ赤な夕焼け。馬車が襲われる。


「もう一度手紙を……」


 震える手でペンを握りしめるが、紙にインクの染みが広がるばかりだった。


 病気だと書けば、ますます心配して来てしまう。


 そうこうしているうちに、表が騒がしくなる。外を覗くと、クロスフォード家の馬車が止まっていた。もう午後だ。今から帰しては危ない。アデルは階段を駆け下り、玄関に飛びついた。


 ちょうど馬丁がノッカーを鳴らすところだった。


「アデル様、ニーナ様をお連れしました」


「あ……ありがとう。せっかくだから、ニーナ様にゆっくりしていただきたいわ。レオ様のお許しがいただけたら、今夜はこちらへお泊まりいただきたいの」


「承知しました。すぐに伺って参ります。ニーナ様、良かったですね」


「アデルお姉様、こんにちは。今のは本当? 突然押しかけて追い返されるかと思ったわ」


「本当です。でも急にお泊まりだなんて、勝手にすみません」


「私はすごく嬉しい。今日はマートルも連れてきているのよ。一緒にいいかしら」


「もちろんです」


 こうなったら朝までここにニーナを留めるしかない。そうすれば、未来は変わる。


 父にいくら駄目だと言われても、これだけは譲る気はない。その代わりになら何でもする覚悟だ。たとえこの先会えなくなっても……。


「狭い家ですが、どうぞ」


 ニーナとマートル、ニーナの護衛が入ってきた。護衛は有難い。


 馬車が戻ってきたら、馬丁も引き留めよう。レオもきっと何か気付いてくれるはずだ。


 ニーナは珍しくキョロキョロとしていた。


「ディルのお母様が作るお料理も食べてみたかったの。楽しみだわ」


「エルダー自慢の田舎料理はきっとお口に合いますよ」


 食堂でなく、ディルたちと一緒に、台所で食事させてもいいかしら。ニーナはきっと喜ぶ。


 アデルはハッと大事なことに気が付いた。家には客室が一部屋しかない。他に泊められそうなのは応接室だけ。


 そそっとマートルに近寄り、耳打ちする。


「我が家にゲスト用の子ども服なんて用意していないの。ニーナ様の着替えは私のお古になるけどいいかしら。それとね……」


「大丈夫ですよ。ニーナ様は喜ばれます」


 マートルは自分は応接室でいいと言ってくれた。そうすれば男性陣が客室で足を伸ばして休む事ができるとまで。


「マートル、ありがとう」


 アデルはほっと胸を撫で下ろす。


 そこへ足を踏みならしながら、リンデが部屋から出てきた。


「お姉様、また勝手な事を。あとでお父様にうんと叱られるといいわ」


「リンデ。それよりも先にお客様にご挨拶なさい」


「ニーナ様、ようこそいらっしゃいました」


「……」


 ニーナは答えない。小さくても伯爵家の娘。リンデの無作法を咎めないのはアデルがいるからだ。


 顔をしかめたリンデが、「可愛くないわね」と呟く。


「リンデ! 今すぐ部屋へ戻りなさい」


「言われなくても戻ります。ではごきげんよう」


 今後クロスフォード家に関わることはない。リンデにはもう気を遣う気はさらさらなかった。


「ニーナ様、本当にすみません」


「少しも気にしていないわ。それよりも私、アデルお姉様のお部屋に行きたいわ。いいでしょう」


「良かったら今夜は私の部屋で一緒に休みましょう」


「いいの? すっごく嬉しい」


 近くにいればまた何か見えるかも知れない。


 狭い部屋だがすぐに片付けられるのが良いところ。机に広げた手紙を引き出しの奥にしまい込み、ニーナを部屋に入れた。


「ここがお姉様のお部屋。あれは何?」


 壁のあちこちに飾ってある小さな額。絵は一枚もない。


「私が作った押し花です。季節ごとに変えているんですよ」


「素敵ね。私にもできるかしら」


「では庭に出てみましょうか。花を摘むところからですよ」


 ニーナを質素なワンピースに着替えさせ、髪もお下げにした。ニーナが嫌がるかと思ったが、マートルの言う通り喜んでいた。


 ぱっと見は町娘。外から悪い奴に覗かれてもこれで多少は誤魔化せる。


「私も一度こういうの着て見たかったの。似合うかしら」


 亡き母の手縫いの無地のワンピース。裾だけ小花柄が入っている。丈が短くなると生地を足して貰っていた。装飾はないが、それでも母の愛情がこもっている。


「私のお古なのに。何を着せても可愛いなんて」


 自分もこんな可愛い娘が欲しい。母も娘三人分の服を縫うのは大変だったろうが、いつも楽しそうにしていた。ニーナにならいくらでも作って着せたい。


 ふと、レオとニーナが頭に浮かぶ。胸がチクリと傷んだ。二人の隣に、自分もいられたらと、つい思ってしまう。


 庭で花を摘んでいると、聞き覚えのある鳴き声がした。


(まさかね……)


「アデルお姉様、黒い子犬がいる!」


 振り向くと、ちょうど生垣の下をくぐった子犬が見えた。


「ショコラ! 来てくれたのね!」


 名を呼ぶとショコラは一目散にアデルに駆け寄り尾を振った。


「良い子ね」


 誰もいない。でも首輪を外したのはレオだ。


 離れていても、レオがいる。きっと乗り越えられる。


「ニーナ様、もうこれくらいで大丈夫ですよ。あとは本に挟んで重石をのせるだけです」


 アデルはニーナの肩を抱き、家の中へと入って行った。



 門を通り過ぎる男が、アデルの背を見ていた。


「君の嘘がどこまで本当か、見せて貰うよ」


 噂が本当ならば捜査官になど渡しはしない。名を残すのは私だ。


 男は街中に消えて行った。

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